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【人生最期の食事を求めて】一風変わったうなぎの誘引。

2023年7月8日(土)
「博多うなぎ屋 藤う那」(福岡県福岡市博多区)

雨それ自体を観察するかのように、午前を無為に過ごした。

夏の旅の雨は、どことなく繊細な記憶を刻む。
降っては止むことを繰り返す度毎に、色とりどりの傘の色彩が街中に散らばっていた。
その光景は宙に舞う蝶のようだった。
しかし、ひとたび外に出てみると涼しげな蝶の舞を夥しい湿気が打ち消した。
全身から吹き出す汗の粒は体内から降り注ぐ雨そのもので、空から降り注ぐ雨を浴びているほうがむしろ心地良いのかもしれない。

幾度となく訪れているこの街も、“天神ビッグバン”というスローガンの下で至るところで再開発の波に飲み込まれ、都心部の其処此処で大掛かりな建造物の構築が見受けられた。
日本の主要都市の何処も彼処も再開発に晒されているようだが、果たしてそれは本質的な必然性があるのだろうか?
なるほど、経済成長という昭和的発想を今だに引き摺る経済思想の未だ振り払えきれない幻影の中に微睡んでいるだけではないのか?
拭っても拭っても滴り落ちる汗を気に止めながら赤坂から天神を抜け、連日の雨によって茶色に混濁した那珂川に差し掛かった。
いつもなら若者たちの姿が見受けられる中洲界隈も疎らで、淀んだ空の下で派手な看板が虚しげに輝いている。

雨と湿度に体力が奪われていくことを実感した。
私の中で何かが欠如している。
それは、なんだろううか?
それは、博多でまだ出逢っていない何かだった。
それは、何か?
それは、かつて記事で読んだ鰻料理だった。

11時40分を過ぎていた。
湿度にもめげることなく、私の足は俄に急ぎ足になって地下鉄駅へと急いだ。

まさに昼を目前にした博多駅は老若男女問わず蠢いていて、その群衆自体が不快な湿気を放っているように感じた。
どの街の主要駅の東口も同様、博多駅のそれも無機質なビルや居酒屋チェーン店が犇めきあっている。
目当ての店は、ビルとビルの狭間にひっそりと佇んでいた。
真新しいビルの1階にはいけすがあるものの鰻屋という雰囲気はなく、一瞬躊躇したが次々と訪れる客がエレベーターに乗り込んでいくことで、その店が2階になることを知らせてくれた。

博多うなぎ屋 藤う那

まさに正午だった。
すっきりとした店内に入ると中を活況を呈していて、和服姿の若い女性スタッフに予約なしであることを伝えた。
「少々お待ちください」
どこか頼りない声音で女性スタッフは応えて姿を消した。
「予約のお客様ですね、中へどうぞ」
奥から戻ると早々に女性スタッフは頼りない声音で意想外な言葉を発した。
「いやいや、予約はしていないです」
私は半ば諦めながら正すように言った。
「あれ?」と女性スタッフは独り言のように呟くと、「すみません、もう1回確認してきます」というと再び奥に消えた。
私の脳を支配する鰻という選択は、たちまちにして萎縮していった。
女性スタッフが奥から戻って来ると、
「すみません、私の勘違いでした。大丈夫です。奥のテーブル席へどうぞ」
まるで敗者復活戦で勝ち上がったような気分だった。

冷房の良く効いた心地よさに包まれながら、私は安堵にもたれながらメニューを見た。
うな丼やうな重といった正統派ならばどこででも食することができる。
私は過去に読んだ記事を思い返しながら自らを律して「並うなぎセイロ蒸し二貫」(2,800円)を確信した。

それにしても、整然と美しい店内は矢継ぎ早に客が入ってくる。
誰もが予約しているようだ。
となると、なんと幸運なことだろう。
「お待たせいたしました」
という女性スタッフの掛け声とともに、並うなぎセイロ蒸しが置かれた。
それ稀な外貌で、焦げ茶色の鰻の蒲焼を支えるように存在感を露にした卵焼きが横たわっている。
その下で眠るご飯は蒲焼と同化しているかのようだ。
まずは卵焼きから攻めた。
さほど甘さはなく、程良い弾力と熱量が口元を支配した。
深みのある香ばしいタレと鰻の旨味が染み渡ったご飯は秀逸の味わいで、どうやらもち米も混ぜ合わされている。
その食感は卵焼きとは異なるそれで、卵焼きの質素な味付けとの融合が絶妙であった。
そこへ女将さんらしき女性がお茶を持って現れた。
「初めて食べる味わいですね」
私は箸を止めて女将さんに感想を述べると、
「柳川風と少し変えているんですよ」と幾分博多弁のある口調で溌剌と応えた。「柳川は錦糸玉子を載せるんですが、うちは卵焼きなんです」という創意工夫を説明した。
「店は長く営業しているんですか?」
「うちはまだ6年しか経ってないんですが、クチコミのおかげで多くのお客様にお越しいただいているんですよ」
味とサービスとレビューは、現代の飲食店における集客手段としては三位一体であることは言うまでもない。
それを継続的に実施できるかどうかが生存政略の根幹でもある。
味で勝負する旧勢力に対して、ソーシャル・メディアも駆使する新勢力の勃興はもう止めることができないだろう。
奈良漬けを噛み締め、お吸い物で箸を休めている間にもそんなことをふと思った。
鰻もご飯も量的には決して満足する量でないが、もち米の存在はそれを補完する力を秘めている。
蒸された鰻の最後の一片を追いかけるように卵焼きとご飯が追随するとたやすく完食に至った。

並うなぎセイロ蒸し二貫
玉子焼、蒲焼、もち米、それぞれ弾力を楽しめる

満足というのは不思議なもので、満腹からすべて得られるものとも言い難い。

また次々と客が訪れた。
満足に浸ったまま私はレジへと足を運んだ。
女将さんらしき女性に、
「本当に美味しかったです。またすぐ食べたくなりますね」
と感想を伝えながらクレジットカードを渡すと、
「またいらしてくださいね」と会計処理を済ませようっとしていると、エレベーターのドアが開いた。
何やら団体客らしく、その他の店内スタッフでは対応しきれていないと気づくや、女将さんらしき女性が会計処理の途中で消えていってしまった。
私はレジ前に佇み、会計処理を待ち続けた。
それから何分間が経過しただろう?
やがて、若い女性スタッフが、
「どうかされました?」と私に気づいて近づいてきた。
「女将さんが会計の途中で団体客の対応に行ったきり戻ってこないんですよ」
若い女性スタッフは大変失礼しました、と慌てて謝罪して処理を進めた。
別段憤怒の念に駆られることなく、むしろ苦笑いしながらその場をやり過ごして店を出た。
また小雨が降り出してきたかと思うと、突如として強まり打ちつけるように降り注いだ。
その雨は、ビルとアスファルトが放つ匂いを洗い流しているように思えた……

糸を引くような激しい雨が降りしきる博多駅前

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