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南薫三 ~日常の美しさを描きとめる~ -ステーションギャラリー&松濤美術館-

 2/20、東京ステーションギャラリーで南薫造展が始まった。地元・広島以外ではほぼはじめての大規模な回顧展だ。
 またこの週末には、松濤美術館でも南薫造を見ることが出来る。遺族の寄贈によるコレクションからなる所蔵品展では、彼のスケッチ・習作がメインとなる。
 あまり論じられることの少ない南薫造。しかしながら二つの展覧会から見える彼の創作はかなり魅力的だ。

『没後70年 南薫造』
 @東京ステーションギャラリー

 南薫造は1883年、現在の広島県呉市に生まれた。1902年、東京美術学校に入学し岡田三郎助に師事、卒業後には当時人気を博していた水彩画を学びにイギリスへと留学する。その後欧州各地、さらにアメリカも訪れつつ、1910年に帰国。日本水彩画会・文展・帝国美術院などの会員・審査員を務めながら、1932年には東京美術学校の教授となる。戦時中は広島に疎開し、その後は広島での美術振興に尽力。1950年に広島で没した。

 東京ステーションギャラリーでの展覧会は、ひろしま美や松濤美なども協力しており、南の主要作品をほぼ全て拝めるといっても過言ではない。

 展覧会は、3階に初期から渡欧期の作品、2階に帰国後の作品が並んでいる。
 南が留学した、1900年代初頭のヨーロッパというと、前衛的な方向が加速する時代だが、水彩画が留学の目的だった南はその影響はあまり強く受けなかったようだ。この時期の作品は、水彩画らしい透明感ある表現で、日々の風景のスケッチや日常の人物表現などが中心。油彩画もアカデミズム的だが一方で豊かな詩情に溢れている。その視線は優しく穏やかだ。1909年の《うしろむき》は、イギリス、ウィンザーでの宿泊先にいた少女のすがたを描く。後ろで手を組みつつ、うつむいて脚をくねらせる姿勢は、姿だけでなく、心も「うしろむき」になっている少女の心を良く捉えている。

《うしろむき》1909年、広島県立美術館(前期展示:~3/14)

 3年の欧州留学を終え帰国した後
 ステーションギャラリーでは、帰国後の作品群は年代をある程度追いつつも、基本はサイズや主題ごとに部屋に配されている。順に追っていると、当時形容されたような、制作での「模索・迷い」をどこか感じさせるかもしれないが、作品リスト片手に年代順に作品を見てみると、そこに表現の発展の傾向を感じ取れるように思う。それこそがフォービズム的と形容される要素で、簡単に言えば、「写真のように風景を捉える表現」と言えるだろう。
 普段ものを描く時には、対象となる何かが持つ色感(物の持つ「固有色」といわれるもの)や、対象の手触り・質感などを無意識に想像しながら描く。大学入学以前の初期作品・渡欧期の作品には、そうした対象の質感が考慮に入った表現が多い。しかしながら帰国後、その要素が消え始める。対象が何かに関わらず、見たものをそのままの光・色で描き出そうとする。
 ステーションギャラリーの展示順からは少し離れるかもしれないが、南の制作の発展を想像してみよう。

《六月の日》1912年、東京国立近代美術館

 帰国後間もなくの1912年に描かれた《六月の日》では、空・人物・大地・草むらなど、それぞれの対象ごとに様々な筆致を織り交ぜて作品を仕上げている。個々の特徴を捉えた表現に加え、構図・内容ともに充実した一枚だが、一方でその筆致の多彩さは、どこか絵画としての巧みさに収まってしまうような印象も受ける。「六月の日」という題名から感じられる、夏の暑い日差しはどこか抜け落ちてしまっている様な気もする。
 その後、1915年の《葡萄棚》では厚く絵具を重ねて、葡萄棚を通して入る木漏れ日と薄光に目を向けようとした。厚塗りの絵具は一方で柔らかい光の印象を打ち消してしまっているようにも思われる。
 様々に試みた後、1920年代以降に彼はひとつの回答に行き着いたようだ。キャンバスで色を重ねながら光を表現しようとすると厚ぼったくなるのであれば、パレットで色を作って、筆触はその輝かしさに似つかわしい形で乗せれば良くなる。そう気づいたのかもしれない。1920年代以降の発展は、まさにそうした光や大気を取り込んだ筆触への挑戦だったようだ。

 《ピアノの前の少女》1927年、ひろしま美術館

 1927年の《ピアノの前の少女》ではそうした特徴が顕著だ。ピアノを弾く娘の頭部や下がるおさげは、その上方に飾られている陶器ともはや質感に差がほとんど無くなっている。服もどこか硬さを思わせ、少女はまるで室内装飾の人形か何かのようにすら見える。
 色を並べるような均一な筆致は室内画では異質に見えてしまうかもしれないが、屋外作品ではむしろその傾向が生きてくる。少し遡るが《牧草を刈る》(1921年)では、牧草を刈る人物たちは、牧草地に溶け込んでいる。農夫たちは白い衣服の色彩のみで判別できる。

《牧草を刈る》1921年、呉市立美術館

 絵画面上の筆致が均質になることで、絵画はより輝きを増す。その事で個々の対象はひとつに埋没してしまうが、代わりに陽光の輝きや、大気感が作品に立ち上がる。《牧草を刈る》は、画像も少し暗めだが、実際の作品も近しい暗さがある。空は雲が広がるとともに、太陽は高く上っていないようにも見える。そうした空気感は、牧草や農夫の色にも影響を与えている。もしかしたらこの埋没感も、その薄暗い光の中で見る光景としては更に適切なのかもしれない。

 その後、筆致の均一さはすこし和らぐ。1928年の《海辺の造船所》では、均質化の傾向は少し影をひそめる。ただ人物が風景に溶け込む傾向は同様だ。造船所の軒下から海辺を見渡す光景。その手前に木材が並ぶ中、人物が同じような形で描かれている。以前以上にはっきりと人として描かれつつも、一見しては意外とすぐには分からない。

 1930年代後半から1940年代初頭の作品では、より大胆な筆致がその中心だ。大胆だが一方で、その色彩感はより極まって、美しさが感じられる。
 1941年の《高原の村の朝》では、前方のキャベツは《ピアノの前の少女》で見たような、堅く光るような様子で描かれるが、後方のキャベツは近づいて見れば、もはや歪んだ緑の線だ。しかしひとたび距離をとれば、途端にそれは後方にひしめくキャベツの姿に変わる。筆致は大胆だが、目の前の光景を正確に捉えて再現していると言えるだろう。
 一方で、モチーフによってはより細やかな表現も見られる。畑の畔に座り込むふたりの子供の服に見られる光の反射、奥に干される洗濯物など、ここでは人の存在を示すモチーフが細かな筆致で描かれている。

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《高原の村の朝》1941年、ひろしま美術館

 そうした発展は、最晩年に描いた《瀬戸内の海》で最高潮に達する。この作品は、南の表現のすべてが詰まった作品に感じる。

 《瀬戸内の海》1949年、松濤美術館

 広島出身の彼にとって、瀬戸内海は地元へ帰るたびに手がける、いわば彼のライフワークであった。興味深いのは、年齢を重ねるごとにその色が濃い青から透き通った水色へと変容していることだ。20代での《瀬戸内海》では、細かな筆触で青を重ね、水の存在感を感じるような深い青として描くが、帰国後、1917年の《三ツ口港の景》では、遠海はまだ濃い青色だが、近海はより淡い色彩が用いられる。そしてこの最晩年に描いた《瀬戸内の海》では、水面はすべてがきらめくような水色で、大筆の勢いある筆致で描かれている。繊細な初期に比べればその筆致は大胆だが、決して狂暴ではない。むしろ最晩年の作品からは水面の美しさがより感じられるだろう。ここには彼自身の光への感受性、そしてその表現の極まりを見ることが出来るだろう。
 ここでも同様に、筆触はモチーフによって使い分けられている。しかしながらそれによって作品の均衡がもはや崩れることはない。素直な風景表現としての、光の輝きが現れているのだ。

 長くなったが、こうしてみるように、南薫造の作品は時代を経るごとにその輝きが増してくる印象がある。渡欧期の透明感あふれる水彩画の光は、最晩年では柔らかな筆致によって満ちた輝きへと変わるようだ。最晩年の一群の作品を見ていると、本当に心が洗われるような気分になる。

 しかしながら、その創作全体を通して流れる通奏低音としての印象は変わらない。その印象は、帰国後すぐの彼の展覧会「南薫造、有島壬馬滞欧記念絵画展覧会目録」(日本で初めて作家名を冠にした展覧会と言われる)への高村光太郎の批評ですでに見事に言い当てられている。

南君の藝術には如何にもなつかしみがある。大手を振つた藝術ではない。血眼になつた芸術でもない。尚更ら武装した藝術ではない。どこまでもつつましい、上品な、ゆかしい藝術である。
(『高村光太郎全集第六巻』「南薫造君の絵画」219頁より)

 高村の評する「つつましさ、上品、ゆかしさ」は、南が絵画の美を表面的な美しさに求めたという意味ではなく、その主題として日常を描き続けたことに由来するはずだ。南が日常に主題を求め続けた理由。それは、松濤美術館の展覧会の中心を貫く「日常の風景には美しい瞬間が溢れている」という彼の言葉に集約されるに違いない。

サロン展「渋谷区立松濤美術館所蔵 南 薫造 日々の美しきもの」
 @松濤美術館

 松濤美術館には、南の遺族の寄贈によるコレクションがあり、その中でも人物画・静物画が中心となる今回の展覧会では、板が支持体の作品も多く、それらはおそらくスケッチ・習作だ。作品によっては何か別な用途に使われていた板を利用して、両面に描いているものもある。戦時中の資材が不足している時期だったのかもしれないが、外光の元でスケッチをするには持ち運びやすく頑丈な板材はもってこいだったのかもしれない。
 ステーションギャラリーにならぶ大規模な作品と異なり、スケッチ・習作ではより「ひとを見るやさしさ」に溢れたものばかりが並ぶ。人物画や動植物のセクションでは南の確かな実力を確認できる。風景画や情景画は、私生活での風景、さらには、渡欧期に憧れを抱いたインドへなど、定期的に訪れたアジア各地でのスケッチなどがあり、それらは、そこで生きる人々の様子を中心にするもの、また広い風景を描きつつも人の姿も小さく描きこむものが多く、そこに人の存在を確かに感じさせるものだ。上海の光景を描く《中国の街並み》(1939年ごろ)では、建物や有名なガーデンブリッジを描きつつも、中心となるのは街角を行き交う人々の個性的な姿だ(下記リンクに画像有り)。
 南の制作の根幹を確かめられる、そんな展覧会。会期が今週末までなのが非常に惜しいが、ぜひ行っていただきたい展覧会だ。

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 南薫造は、日常で出会う景に美しさを見いだした画家だった。日々の暮らし、散歩で出会う風景、または定期的に訪れていた海外で出会う光景。そして常に彼の作品は「ひとを見るやさしい眼差し」に溢れている。風景を見るときには必ず「そこに生きる」人を描く。もし居なくとも、その気配を作品にもたせた。作品を見て感じるのは、よく知る土地を訪れたような安心感。まさに高村の言う「なつかしみ」だ。

 ひとのいる風景を、その見たままの感動とともに描きとめる。南の作品を見ていると、普段の光景も同じような輝きをもって見えてくるような気がする。輝く陽光、風に揺れる木々、さまざまな表情を見せる水面。そして、そこに生きる人々の仕草、表情。彼の眼差しはいつも優しく、感動にあふれていた。温厚な人柄という評も合わさって、彼の作品はより暖かく感じられる。

 日本近代洋画史からすれば、確かに偉業と言える業績は少ないかもしれない。しかしながら、そうした美術史的評価とは別に、忘れられるにはとても惜しい、魅力的な画家であることが今回の両展覧会からは十分に伝わってくる。やさしい気持ちで帰れる、素敵なふたつの展覧会だった。

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 最後に少しだけ補記。
 ステーションギャラリーでの展覧会で興味深かったのは、イギリス時代に描いた2枚の同じ作品の模写がともに展示されていたこと。エドワード・バーン・ジョーンズの《水車小屋(ミル)》の模写だ。

エドワード・バーン・ジョーンズ《水車小屋》
1882年、油彩、ロンドン、ヴィクトリア&アルバート美術館

 南薫造がロンドンに渡ってすぐ、はじめてのヴィクトリア&アルバート美術館で真っ先に目に留まったのがこの作品だったという。南は案内人の助けも借りつつ本作の模写を仕上げる。その後、日本からの依頼があり、本作品をもう一度模写した。最初の作品への感動をもとに手掛けた1枚目、そして第三者からの依頼に基づくより精緻な模写。同じ画家による同作品の模写が並ぶケースは少ない。少々サイズも異なる両作品だが、表現に見られる違いは、画家の感性がどのように作品を捉えたかを示しているといえるだろう。

 当日の観察の収穫としては、とにかく前景の人物表現に彼の注意が集中しているように見れること。ドレスのひだの様子は手直しが多く、陰影の色彩もいろいろ試しているが、これが事細かに観察し再現しようとした形跡なのか、観察不良ながら必死に再現を試みた結果なのかはいざ知れず(もし本物を前にした摸写なら前者しかあり得ないはずだが)。いずれにせよ2回目の模写では十分に再現されている。
 もう一つ興味深かったのは1回目の作品のサインが削り取られていた点。2枚目を完成させたことで1枚目を完成とした己を恥じたのか?ちょうど年号の末尾が消えていて両者の制作順は完成度からの憶測しか許されないのは寂しい。
 帰宅後に改めて原画を調べて見ると、バーン・ジョーンズが対象すべてにピントが合った表現なのに対して、南が明確に前景の人物群に目が向いていたことが分かる。中央で踊る女性のドレスは南の模写ではかなり手がかかっているが、むしろ表情・手の動きなどは模写として正確に感じられるかもしれない。

 ステーションギャラリーではこうした「見比べ」が他にも楽しめる。文中でも触れた瀬戸内海の表現や、同じ夜に浮かぶ家などの風景を描いた、渡欧期の1908年《白壁の農家》と晩年の1947年《生家の近く》など。主要作品が会するからこそ実現する「見比べ」も楽しんでみてはいかがだろうか?


2021. 03. 05

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『没後70年 南薫造』
 東京ステーションギャラリー
(東京駅 丸の内北口すぐ)
 会期:〜4月11日(日)〈展示替え有、前期:~3/14、後期:3/16~〉
 休館:月曜(4月5日は開館)
 入場料:一般 1,100円 高校・大学 900円〈日時指定の事前購入制〉

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サロン展「渋谷区立松濤美術館所蔵 南 薫造 日々の美しきもの」
 松濤美術館(渋谷駅より徒歩15分/京王井の頭線 神泉駅より徒歩5分)
 会期:〜3月7日(日)
 入場無料

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画像出典:
《ピアノの前の少女》、《高原の村の朝》
 :ひろしま美術館 所蔵作品作家一覧「南薫造」
《うしろむき》、《六月の日》
 :東京ステーションギャラリー「没後70年 南薫造」展ホームページ
《瀬戸内の海》
 :松濤美術館 公式Facebook
《牧草を刈る》
 :呉市立美術館コレクション展「没後70年 南薫造をしのぶ」
《水車小屋(ミル)》:wikimedia commons(PD)
その他:筆者撮影



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