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ふきづらい世の中


とかく人の世は吹きにくい。

猫も杓子もマスクをする今日、外すにはそれなりの大義名分や客観的に納得される理由が、暗に求められているような気分がする。もとい、「暗に」は撤回。

ところで、ファミコンのカートリッジを、かつてフッと吹いた。そんな人もいるだろう。読み込みの接触が悪いとき、端子を強くひと吹きしてやると、何度もカートリッジをはめ直したのが嘘のように読み込まれる。こんな行為さえも誰かの目が気になる時代。


   *   *   *

このあいだ、写真を焼きにカメラ屋へ行った。USBのデータを店の専用の機械に読み込ませ、USBに予め取り込んでいる画像の中から、選んで焼く。

その日、久々に挿したUSB。やっぱり読み込まない。2回ほど抜き挿ししたところで、いつもなら強く一息、フッと吹きかける。ところが、フッと気に懸かった。

周りにお客さんがいる中で、マスクを外してわざわざ飛沫を出すのはどうも憚られるな、と。いやはや、気にしすぎなのかも知れない。一挙手一投足を見逃さず、「イマ、マスク ハズシタネ! コロナガ ウツルデショ!」と言ってくる人など居るだろうか。うーむ、よくわからない世の中だ。居ないとも限らない。

ほらほら。大阪の「飴ちゃん」の会社だって、吹くのはやめましょうと言っている。やっぱり過敏ではないのだ。


ジレンマだ。吹かないと一向に写真印刷ができない。

そこで思いついたのが、手でお椀を作り口元を半ば覆いながら、USBの端子を吹きかける方法だ。マスクをずらし、手で覆ってフッとひと吹き。すると、ちゃんと読み込みが始まった。よかった。


   *   *   *

USBに限らず、吹くという行為をしづらい世の中になっているだろう。誕生日ケーキに飛沫がかかってはならない。仏壇のローソクの横にある団扇で消さなければ。あるいは、目にゴミが入ったが、隣にいる友人に吹いてもらうよう頼んでもならない。水ですすがねば。どうも取るに足らないシチュエーションばかりが例にあがったが、日常のちょっとした一コマで、吹かないとならない瞬間は多々ありそうだ。それがままならない。

ところで最初のファミコンの話に戻るが、なんと任天堂が、カセットを吹く行為を控えるように、10年以上前に呼びかけていた。そのころ、ウイルス感染症なぞ流行ったかしらというとそうではなく、金属製の端子が錆びて故障の原因になるからだという。錆びるということは恐らく、吐息の蒸気や(流行りの)飛沫がいけないのだろう。

なるほど、ならばUSBも吹いてはいけないことになる。原始的な「吹く」という行為の肩身がますます狭くなってきた。

たしかによくよく考えれば、精密機械の類は、吐息でホコリを吹き飛ばしてはならないものが多い。カメラのレンズだって、幾種もの専用クリーナーのラインナップが売り出されているし、自分の高校時代の技術の授業を思い返せば、削って出た金属の細かい粉も吹いてはならなかった。飛んだ粉が目に刺さるのだとか。「吹くな 削り粉」と当時の技術ノートに書かされた。

ガスボンベタイプのブロアーが売られてもいる。任天堂はそうしたグッズを使って欲しいのだそうだ。この時代、いつでもどこでも手軽に使え、仰々しい感じのしない「ハンディボンベ」のようなものがあれば売れるのではないだろうか……、なんて思う今日この頃。





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