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旅行と人生の分かれ道 ①

コロナ前は、海外を1人で旅行するのが趣味でお金貯めては3ヶ月に1回、海外へ行っていました。
それはもう人生を旅に捧げてたと言ってもいいぐらい。
27歳頃なので、キャリアを気にするお年頃。でも私は新卒時代にお世話になった会社にバイトとして再入社。好きなようにシフト組んでよかったので掛け持ちしてお金を貯めていました。
また、当時はシェアハウスに住んでおり、その住民も留学経験があったり、ワーホリ帰りの人・旅好きな人ばかりで本当にいい環境でした。
常に誰かが旅行を計画している状況でした。
シェアハウスの話もなかなか濃かったので追々書きますね。

ちなみに私が行った国は、
フィンランド・エストニア・シンガポール・マレーシア・オーストラリア・台湾(3回)・韓国(2回)・タイ・ロシア(3回)です。
人生大事な時に、捧げてきました。

隣の芝生は青く見える

社会人として経験・キャリアを積むのも大事。
しかし若いうちに海外を見るのもいい経験。
人生何が正解かは分からない。後者は「遊びやがって」と思う人も少なからずいるはず。だけど私は人生一度きりだし、業界的にも経験していたら戻りやすい業種なので、どうにかなるでしょと後者を選びました。
友人からも「羨ましよ」と言われたけど、友人は前者のキャリアを積み役職も付いている子で、彼氏もいて結婚の話も出ている子でした。

“隣の芝生は青く見える″まさにこれだった。

何だか大人の会話してるねと、その時は逃げてしまいました。心のどこかで「キャリアが無い私」を恥ずかしいと思っていたのかもしれません…自分で決めた道なのに少しだけ後悔していた自分がいました。

親からは呆れられてましたね。
専門学校卒業後、東京で3年働き、九州の会社に転職。職場も転々とし、安定したと思ったら実家に帰ってきて、仕事始めたと思ったら半年で辞めていきなり一人旅してくるわと言い始め、帰ってきたら「やっぱ東京戻るわ」と
行ってまた出て行った。
同級生はどんどん結婚・出産していくなかで娘は独身でふらふらしている。親はどんな気持ちだったんでしょうね。
今更聞きにくいけど、なんだかんだ親も「娘がヤバい奴だった」と笑い話はしていると聞いたので、それはそれでOKでしょう(笑)

人生の分かれ道

「こんな私も30歳になっちゃったよ」
こんなことしてても良いのかな…外仕事しかしたことがない私は需要があるのか?と不安に襲われ、派遣で事務仕事も経験しておこうと派遣登録。
すんなり職場も決まり安心していたら新型コロナが世界を混乱に陥れた。仕事は旅行関係なため多忙だった。世間は仕事が減る中、私は忙しくさせてもらっていた。
しかし世の中は、良くなること無くただただ混乱していた。その頃からテレビを見なくなったし、見たものの記憶がモノクロでしか思い出せないくらい精神的に参っていた。仕事でもミスが増え、派遣先を変えて3年住んでいたあの大好きなシェアハウスも退去した。でも仲良しメンバーが退去し始め、私もそれに続いた。

退去したあとは、千葉の親戚宅にお邪魔していた。叔母一家も、叔父さんがアメリカに単身赴任・従兄弟たちも家を出ており、叔母が一人になるため、そこを狙って転がり込んだ。
職場も都心で決まり、ここでも繁忙期は毎日残業でてんてこ舞い。疲れて帰宅し、叔母がご飯あるよ~と出してくれても疲労で食べれず、心配して声をかけてくれてたのだが、それがストレスとなっていた。気づいたら喉の調子がおかしくなっていた。
これ以上いたら、ストレスでおかしくなりそうだったので、叔母には悪いと思いながらも、シェアハウスを新たに見つけ早々に引っ越した。叔母は気にしていたが母が「あいつは一人が好きなだけだから」と裏でフォローしてくれていた。理解されていないと思っていたけど、母は理解してくれていたことをこの時知った。

新しいお家は、mixのシェアハウスだった。
旅行していた時も、安いのもあるけど旅行者同士の交流も楽しんでいた人間なので、ホステルを選んでいたので今回もいけるでしょと軽い考えで選んだが、後々後悔することになるのでした。

厄年から?それとも年齢?

新しいお家に引っ越してきてからは、ストレスとは皆無!とはならず…入居者同士のトラブルが多かった。騒音もだけど、共有部の使い方が理解できず、ここに引っ越してきたことを後悔していた。
仕事も毎日残業。誰に話せるわけでもなく、家と職場のストレスを溜めていたら、うまくご飯を食べることが出来なくなっていた。事務職に就いてから筋肉が落ちていたが、気づいたら半年前より10㎏瘦せ、ものが呑み込めない・喉に圧迫感がある。食べていないのにげっぷが出るなど、どう見ても健康じゃない状態までに落ちていた。
咽喉科に行っても、「精神的なものでしょう」と言われ痛い治療をされて、30超えた大の大人が泣きながら嗚咽していたら、診察待ちの子どもからすごい顔で見られたこともあったし、人生初の胃カメラもこの時期で結局、ヒステリー球と逆流性食道炎を発症していた。30歳を超えてから体を壊しやすくなったし、症状がデカい。ここでも大人になったなと感じた。


ひとりの時間を作ってみた

結局、シェアハウスを出た。
引っ越した先は、旗の台と西小山の間の閑静な住宅街の古めのアパートだった。体調は変わらないものの、生活環境が変わっただけで少しだけ楽になった。近所で行きつけのお店を作ったり、永遠と歩いたりしてプライベートを充実させていた。
疲れた時は、ひとりの時間を作る。と決めて考え事したいときは、行きつけのカフェに逃げていた。逃げる場所は必要ですからね。家だと煮詰まっちゃっていい考えが出来なくなる時もあるから。

この時間を作ってからは、自分と向き合えることができた。
「この仕事、ずっとする?」
「本当は、前の仕事に戻りたいんじゃないの?」
逃げていた問題をここでは真正面から考えた。

趣味の旅行も出来ない現状。当分出来ないだろう。
でもいつか、以前のように行けるようになったらその時に考えようと思った。そして、東京から離れるという点も視野に入れてこの先の人生を考えた結果、転職することを決めた。2022年の夏だった。

ー続ー

長々と書いてしまいました。
でも文章を書くって楽しいですね。
書いているうちに、こんな事もあったなとか思い出話になっちゃいましたが私の実のないエッセイを続けさせていただきます。

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