見出し画像

高校地下格闘技編① 気付いたら地下のクラブで戦ってたときの話。


高校2年生、16歳の冬。

気付いたら僕は、地下のクラブにいました。

そして、「何かあっても責任は負いかねます」の書類にサインをして、試合をしようとしていました。



初めての地下格闘技。


さかのぼること数ヶ月前。

当時、高校の柔道部に所属していたのですが、元々先輩が1人しかいないような部活だったため、悪い意味でオフがちゃんとある状態でした。

(同期4人中、2人は毎日遊戯王のデュエルに忙しくなかなか練習に参加してくれませんでした。)


いつかのオフの日に、せっかくだし体を動かしにいこうと思い、近所の体育館に行きました。そこのボクシング室でサンドバッグとかを殴ろうかなと思っていたのですが、リングの中で大人たちが3人ほど集まって、打撃も、投げも、寝技も、全部を組み合わせたスパーリングをやっていました。それを見てドキドキした後藤少年は、

「自分も入れてもらえますか…?」

と声をかけていました。

それが、地下格闘技との最初の出会いでした。

そこから巡り巡って、僕は地下格闘技チーム「キングス」の練習に参加させてもらうようになりました。練習場所は、区民体育館のボクシング室でした。


そのチームには、今まで出会うことのなかったような怖い方々が集まっていました。代表は若い頃から喧嘩が強く、地元では知らない人はいないような方でした。体も大きく、見た目もウシジマくんそっくりだったため、当時普通の高校に通い「あいつとあいつが付き合ってるらしいよ~」とかで盛り上がっていたような後藤少年には、刺激が強すぎました。

そこの練習会場には、いろんな意味で目がイッている先輩や、左手と右手に「神のみぞ知る」「我が人生」と刺青を入れている先輩など、いろんな方がいらっしゃいました。

そんな環境で、代表や副代表にボコられながら過ごすこと数ヶ月。

代表から、「来週こいつとこいつのどっちかと試合やる?」という電話を頂きました。

当時のチームのスタンスとしては「イエスorイエス」が当たり前であったため、「やります!」と応えました。

そうして、自分の地下格闘技デビュー戦が決まりました。

地下格デビュー戦。


試合当日。会場はすすきのの近く、狸小路にある地下のクラブ(ライブハウス?)でした。

会場に着くと、絵に描いたような不良の方々がたくさんいました。

そして、試合前に、契約書(試合で怪我しても責任を負いません。自分でなんとかしてね。)にサインをしました。

そのとき、対戦予定の相手選手が目の前に現れ、「今日よろしく」と言って握手を求めてきました。優しい口調でしたが、見るからに怖い人でした。


「帰りてえ。。。」


そう思いながら、時間が流れていきました。自分の前の試合中に、「殺せえ!」と旗を振り回して暴れていた中年の怖い人が連行されているのを見て、震えてました。

そんなことをしているうちに、あっという間に試合の時間になりました。

試合をおこなう場所は、工事現場用の金網で四角形に囲まれて、床はコンクリートの上にドンキホーテで売ってるようなジョインドマットを敷いた仕様でした。

ルールは、打撃も寝技も全部ありで、目潰しや金的などが禁止のものでした。防具は、オープンフィンガーグローブ着用でおこないました。


いざリングイン。

「あれ?数日前までは、同じクラスで誰々が付き合ってるみたいだよ~とかそんな話してたよな?そもそも中学生までは卓球界で神童と呼ばれてた俺が今、いったい何をしてるんだ?」

などと考える余裕もなく、試合開始。


アドレナリン全開でよく覚えてないのですが、前日に刃牙を読んでいて影響されていたのか、たまたま放った掌底が相手のアゴをとらえて、気付いたらKO勝ちをしていました。

そのとき、脳みそから何かドバッと出るような快楽を感じ、興奮してマウスピースを地面に叩きつけていました。「生きてる!」という安堵感を身体中で感じていました。

そうして、地下格闘技デビュー戦を無事に勝って終えることができました。




その後。



初めての試合を終えた次の日。学校には内緒で試合に出たりしていたので、変わらず普通に登校し、普通に授業を受け、普通の1日が終わりました。

地下格闘技の試合に出たからといって、当たり前ですが世界は何も変わりませんでした。

普通の毎日がまた始まっていく。





そう思ってました。



その後、体重100キロのウクライナ人が自分の目の前に現れるなんて、


このときは思ってもいませんでした。


(続く)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?