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DJ SODAの痴漢騒動で思うこと

先日、大阪で行われた音楽イベントで、DJ SODAさんの胸を、観客の女性が故意に掴んだとのニュースがあった。

我々はDJ SODAさん側の発信された意見しか聞くことが出来ないので、真偽や、故意か過失か、そもそも写真に写っていた女性が犯人か?ということはわからないので、そこを追求するのではなく、一般的な痴漢問題として考えたいと思う。

まず、この手の問題が起こると、テレビやSNSの議論は大抵、『男VS女』という形になる。

性犯罪のみならず、家事育児の分担や、社会生活のしやすさでも『男VS女』の構造は意図してか意図せずかよく見られる。
それでは性差別などの問題は改善しない。
憎むべきは『(男女を問わず)痴漢などの加害者』であるということ、「痴漢は女の敵」ではなく、「痴漢は人類の敵」である。

そしてもうひとつ、「あんな露出度の高い服でいるんだから触られるのも当然だ」という、あろうことか被害者を批判する問題がある。
それがあると被害者は声を上げることがしにくくなり、結果、加害者の利益になるというとんでもない状態になってしまう。俗に言う『二次被害』だ。

これについては言うまでもなく、痴漢そのものが悪である。

被害にあった人の服装については、ファッションは個人の自由だと考えている。
ただ、自由だからと言って何をしても守られると思うのは少し危機意識が希薄ではないか。

例えば100万円を財布にも入れず裸で持ち歩いている人が強盗にあった場合、もちろん強盗が悪いのは間違いないが、大金を持ち歩くならもっと守りようがあったはずとは言えないだろうか。

残念ながら悪い奴はどこにでも存在する。今日まで普通の人だったのに、明日には犯罪に手を染めるなんてこともあるし、そこに罪悪感を感じていない例も数多ある。
最近よく聞く、闇バイトなどはその典型である。

人間はどんなに悪いことでも、自分にとっての正義感に当てはめれば、正しいと思ってそれを行う。
ナチスのヒトラーや、独裁者、テロ組織も、本人たちにはそれぞれの正義がある。
正義感とはそれほどに危険なものである。

悪事は絶対的にそれを犯した加害者が裁かれるべきで、被害者を守る社会にしてほしいと願う。
半面、自分がいつなんの被害に会うか分からないことを認識して、自分を守らなければならない。
そして自分が加害者にならないよう、自分の正義感を絶対的なものとせずに、時代の変化や周囲の環境に柔軟であり続けたい。

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