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【読書日記】松田青子『持続可能な魂の利用』

松田青子(2023):『持続可能な魂の利用』中央公論新社,273p.,760円.

『おばちゃんたちのいるところ』に続いて,松田青子の作品を私が読むのは2作目。なお,私が手にしているのは中公文庫であり,単行本は2020年5月に刊行されている。この文庫版にはエトセトラブックスの松尾亜紀子さんが解説を寄せている。久し振りの成分献血に出かけたが,持参した本が読み終わりそうだったので,近くの書店で購入。ほぼ,献血の間に読み終えた。『おばちゃんたちのいるところ』は短編集みたいなものだったので,長編は初めてだといえる。しかし,こちらも第一部と第二部に分かれていて,また冒頭の「おじさん」の話は,メインの主人公である「敬子」の物語とは少し浮いている。語り手も主要な登場人物の間で交互に入れ替わったり,長編でありながらも緻密な物語構成にはなっていない。
ともかく,ガツンとやられた作品だった。全体としてはこの国のあり方を変えるほど大きな話をしていながら,些細な話も詳しく描く。ミクロとマクロ,リアルとファンタジーの軸が滑らかではなく,偏りがあるわけでもなく,バランスがいいというかともかく発想が自由でいちいち驚く。そもそも,表題が斬新だ。持続可能というのはいわゆるSDGsにも使われるサステナビリティのことで,今日では国連というグローバルなスケールでの公的機関が唱える語となっている。思い返せば30年前,私が所属していた大学院の教員およびその指導を受けていた院生がこの言葉を強調していた。まさにSDのサステナブル・ディベロップメント=持続的発展である。しかも,その対象は非常にローカルで,持続可能な農村というテーマだった。確かに,過疎化や農業従事者の高齢化および後継者不足によって農村の農業は縮小し,農業を行うことで維持されていた「自然」環境(動植物に関わるので自然という言葉を入れたいがそれは人間が管理しての動植物であって自然そのものではないので括弧に括る)が荒廃する傾向になかなか歯止めがかからない状況で,重要なテーマではあった。でも,途上国の経済開発と同様に,どこか上から目線的な違和感を私は持っていた。
脱線が長くなったが,ともかくそうした公的なものの垢にまみれたこの「持続可能」という概念を私たち一人ひとりの手に取り戻そうという意図もこの作品からは感じた。それがまさに表題の続く部分である「魂の利用」である。登場人物の女性たちはさまざまな場面で魂をすり減らしている。その多くは公的な場面,主に職場でである。辛うじて私的な場面で魂を取り戻す活動をするのだが,それすらも場合によっては公的な人間関係によって妨げられることがある。人間は生き続けるためには魂の状態を維持しなければならない。その維持し続けることが「持続可能」であり,特に女性は本作品に出てくる「おじさん」たちによって作られ,運営されているこの社会において,その力に抗いながら自らの魂を持続可能な状態に保たなければならない。それが一人で難しい場合には女性同士で連帯し(シスターフッド)立ち向かう,そんな,まさに現代社会のありようが描かれている作品である。この「おじさん」についてもページをめくるごとに丁寧に説明されていることに気づく。おじさんは男性とは限らない,年長者とはかぎらない。女性にもおじさん的な要素はあるし,若者にもある。ほんのちょっとだけおじさん的要素を持っていながらもなかなかそれに気づけない状態もある。ともかく,ここでいう「おじさん」とは現行の男性中心的に作られた社会を維持させようという力を支えるような意識の持ちようだといえる。属性だけ言えば私は列記としたおじさんだが,自分がおじさんでありたくないと願っている。しかし,圧倒的におじさん的な要素を持つ状況がそこにはあり,それに気づいたり抗ったりすることは大変だ。本書を読みながらその自分のおじさん的要素を探し,是正していく,そういう作品だと思う。
女性が読めば勇気づけられ,男性が読めば反省を強いられる。どんな世代が読んでも気づきがある作品だ。

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