見出し画像

読書感想

渡部昇一先生の「税高くして国亡ぶ」の本の感想を何回かに分けて書きたいと思います。


まず、タイトルをめくると表紙の裏に、
安い年貢以外はすべて悪い年貢である。
百千の税金論があろうと、この鉄則は動かない。そして年貢を高くした国が
必ず衰亡することは昔のシナで孟子もいってることである。(著者)

とあります。この本を読んでいくと、日本や世界で高い税金の負担により
おきた歴史的にみても不幸と呼べる出来事や国が衰退する様がわかりました。

まえがきでは、日本が世界に誇る生物学者である今西錦司氏の自宅にある
「今西の森」について書いています。

この森とは大木の多い今西氏の庭になりますが、本人がこの庭をながめながら読書をし、独創的な著述をした。近所の子供たちは「今西の森」と呼んでいた。ところが当主である今西氏が亡くなり一周忌の前に森の半分が切られてしまい、その理由が相続税がかかることだったとかかれています。

本人や家族だけでなく近隣住民からも親しまれていた場所であることが、この内容からわかります。

そして、当主が亡くなればその家から強盗団が定期券を持って通っても盗み切れないほどの財産を税務署が奪ってゆく。今西家でも相続税を払うために土地を物納せざるを得なかった。とあり、相続税により家族の財産である森が失われたことが書いてあります。



私も日々個人の庭について感じていることがあります。
田舎に行くと個人の家の庭には大木があったり蔵や小さな神社があったり様々です。
長年その土地に住む人たちがとても大切にしてきたもので、中には何世代もかけて受け継いできたものもあるでしょう。
個人個人の個性がつまった庭も、自然の姿であるし、日本の文化だと思っています。
しかし、山にある森林などの環境に対しては
近年問題意識が多くありますが、個人が所有する庭については軽視されている気がしています。
森林環境を守るためといい、森林環境税が開始となりました。ですが、森林環境税を徴収し、環境を守るよりは、相続税を廃止にし、個人が自分たちで環境や文化を守ることの方が遥かにいいのではないでしょうか?


相続税というのは、国税庁のHPをみる限り明治38年に、日露戦争の戦費調達目的で始まった税とあります。
昭和になり制度の変更があり、現在は内容が変わってはいますが、調べると
相続税の制度変更とともに贈与税が誕生したこともかかれています。
そして相続税は国が徴収し、広く社会のために使う(富の再分配)というような内容で生まれた家庭の経済状況による格差を縮小させ、格差の固定化を防止する機能もあると財務省のHPにはかいてあります。

この内容をみる限り、個人の財産権が薄れているようにおもいます。



この事は、まえがきの最後にかかれている
「豊かさは自由市場から生まれるものであり、お上が民間の富を収奪して配給するのでは、富を増やすことはできないという、自由社会の経済と倫理の根幹を述べようと思う。」
と続き、本の中にさらに詳しくかかれていますが、続きの内容は、
また次回に書きたいと思います。



単純に、自分が自分のために、家族のために頑張ってきたものを、なぜか世のため人のためと言って奪われて、自分達の生活は苦しくなった。大好きなものを手放さなくてはいけなくなった。ということがまかり通っていくことはおかしなことではないのでしょうか?
個人の財産権ということを軽視させ続けていくことは、自分事に置き換えるならば、仕事をする意味があまり見いだせなくなるようなことに繋がる気がしてなりません。

本の内容紹介についてちょっと薄くなってしまいました。記事を読み、興味が湧いた方がいましたら、ぜひ渡部昇一さんの「税高くして国亡ぶ」を読んでいただけると幸いです。

いつもお読みいただきありがとうございます。



この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?