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掃除と祭り

鳥取でNPO法人bankupを経営するゲンヨウです。今日はGW、鳥取市内でも様々なイベントが行われています。鳥取駅内も吹奏楽が流れ、駅前広場にはキッチンカーが並び、サンロードにはJAZZ、本通りは歩行者天国、川端通りもイベント・・・すごい人です(みんな今までどこにいたんだ(笑))

今日は、鳥取環境大学の新しい授業で、5人の大学生と一緒に街歩きをしていました。普段は人が少ない中心市街地なので、『ここまで人がいるのは珍しいよ』とコメントを入れながら歩きました。

”まちの賑わい”というのが活性化の文脈ではよく聞く話なのですが、通りに人がたくさんいて、ワイワイしている。こんな風景がにぎわいというのかなと思いながら、お祭りみたいだなとも思ったり。毎週これだと疲れちゃう。たまにあるからワクワクする、メリハリが大事なのかもしれない。

今日はそんな、メリハリの部分について書いてみます。

1.祭りは地域のプレイヤーを見える化する

祭り的な時間はプレイヤーが見える化されます。僕も今日、歩いてみてよかったなと思うことは、人に会えたこと。「こんにちは!」「げんようさん!」とかやり取りする中で、学生たちに○○の人です、△△の人ですと説明ができたのが良かった。

”地方=何もない”とか言われますが、実態はいろんな人がいて、規模は違えども、面白いことをやられています。なかなか可視化されてない、特に大学生とか高校生など若い世代に届けるのは難しい(大学生の多くは県外から来て4年で卒業しちゃうので、余計に)。

川端通りのイベントなどは、いろんな人が集まっていて時間的な積み重ねも、コミュニティの広がりもあるなぁと感じるモノでした。面的にやれているのもすごい。

大学生も感想で話していましたが、”イベント=主催者と個人店のつながり”というイメージが、”個人店同士のつながり→イベント参加”みたいなものもあって、仲間が生まれたり、仲間で参加しているのが面白いなあとのこと。確かに川端通りは、焼きそば屋・たこ焼き屋みたいな個人店というよりは、カレー屋さんとカフェが並んで出店みたいな感じだったので、コミュニティをまちに持ってきた感じでした。

このDIYな感じが、続いている秘訣なのかもしれません。参加できる余白みたいな、お客さんとお店を分けていない感じ。

2.祭り的な時間と、普段の時間

祭り的な時間は、地域のプレイヤーを見かけたり、にぎわいを作るには大事な機能です。何より、みんなで作って楽しいという部分もある。他人にもやっていることがわかりやすいし、共感も得やすい。

一方で普段の積み重ねの延長に、祭り的な時間があることは忘れてはいけません。365日のうち、イベントで盛り上がるのは年に数回、延べ10日にもならないでしょう。それ以外の部分をどういう場所として存在するのかがポイントにもなるのではないかと思います。

日々の営業だったり、不真面目商店であれば子供たちとの時間だったり、お年寄りとの朝コーヒーだったり、何気ない普段の事業や関係性があることで、祭り的な時間が際立ったりする。暮らしの中に営みが溶け込む感じ。

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喫茶店のマスターとの会話なのかもしれないし、スーパーでの井戸端会議なのかもしれないし、文房具屋さんとのやり取りなど、意識せずに始まる何気ない時間。止まって考えないと気づけない時間。

中心市街地は店の種類が多いので、それぞれの店という選択肢がまだ残っています。車じゃなく歩いて、または自転車でお店を選ぶことができる。選択肢が存在していることが価値なんだろうなと、街中に事務所を移したことで気づくことがあります。

僕の住んでいるエリアは、駅がかろうじて残っていますが、商店は駅前に1つしかなくスーパーはかなり昔に撤退。コンビニがあるおかげで買い物の選択肢は残っていて、ご近所の出会いの場にはなっています。選択肢はほぼない状況。そこから見ても街中は良いなと思うわけです。

普段の時間は、普段の事業があってこそなので、しっかりそこにお金が落ちる仕組みも意識しないとなと思うのです。小売りの方はwebショップだったりBtoBをされてたり、飲食の人も単価の高い事業もしたりと工夫されています。

不真面目商店は、棚オーナーの家賃を土台に家賃を払う仕組みになっていて、人件費は出さないけど、そこに集まる人で場が継続するコモンズみたいな運営です。資本主義的な流れとはちょっと違う機能があるというのも面白いじゃないかと。

3.土台をつくる掃除的な時間

日常にも含まれますが、掃除みたいなメンテナンスだったり整える時間も大事です。掃除的な時間。これは見逃されがちではありますが、ここがある事で祭りや日々の事業がスムーズにできているのではないかと。

地域の駅の近くのトイレ掃除を、PTA仲間で受託してから4年が経ちました。毎週集まって30分ほど掃除をする。ただそれだけなのですが、インフラの維持について考える時間になっています。

道路・水道・電気・空き家の片付け・・・空き家の調査や地域で何かやりたい人のピックアップ、重要人物との関係性づくり、信頼の蓄積など、地味だし短期的には価値は生まないけど、そんな掃除みたいな土台を整える時間、これもまちづくりの中で意識すべきものなのかもしれません。

どうしても派手なものに目が奪われがちだし、イベントが仕事になりやすい世の中ですが、その手前の積み重ねや蓄積をいかにしていくかがまちづくりのポイントじゃないかと思うのです。

4.関係性を消費しないまちづくりへ

掃除の時間を書く中で、”関係性を消費しないまちづくり”というキーワードが浮かんできました。普段の時間と、メンテナンスの時間で積み重ねたものを、楽しく前向きに祭りで昇華する。そんな流れを作っていきたい。どうしても派手なものには、変な力学が働くことがあるなと思っていて、結果的に普段の関係性やメンテナンスで積み重ねたものを消費してしますことが多い。仕掛ける側が、そこに気づいていないことも多く、消費された側がジワジワとフェイドアウトしてしまう街づくりも見てきています。

昇華して次への原動力へ「また、やろうね」と解散できる着地をどう意識できるか、ここがポイントになりそうです。

なんとなく、授業を受けている学生に向けて書いてみましたが、もう少しちゃんと言語化しないとなぁ。今日はここまで。

今月で、有料マガジンを終了します。これまでに関わってくれた方に感謝します。次、やるとしたらコミュニティの機能かなと思っています。下記は最後に一言って感じです。

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