共通管理するものが減ることで情報共有も減る

日曜日は集落の経営ノートです。鳥取市で90世帯くらいの集落の会計を今年は務めています。このマガジンでは、鳥取の農村集落の将来を婿として来た僕が感じたことを書いたり、チャレンジしたことを書いたりしています。

僕は本業で農村地域へのボランティア派遣を行っています。ボランティア内容は地域の共同作業をベースに依頼を受けているので、鳥獣害対策(イノシシやシカの防護柵の設置)だったり、田んぼの維持管理(水路清掃、草刈り)になります。

兼業農家としても田んぼをやる人が減ってきているのと、水路が整備されていることなどもあって、共同管理するものが減ってきています。農業が生活基盤だったときは、共同管理=生命線の共有となっていたので、各家庭から作業に参加してきていました。僕の集落では水路や鳥獣害対策で共同作業になることはありません。

必然的に、集まる機会が減る事で地域内の情報共有の場が減りました。今日、集落の中を歩いて市報を配っていたのですが、妻の話では、使い川(洗濯したりするための水路)もあったようですが、今は、それを使うこともありません。洗濯場には人が溜まって情報交換もしていたみたいです。

田舎の情報交換=世間がせまいとか、うわさが多いとかいろいろネガティブなイメージもあるのですが、千葉の台風被害などを見ると近隣での情報共有や関係性づくりはした方が良いと思うのです。これまでとは少し違った工夫はいると思うのですが、コミュニケーションは必要な気がするのです。

そこに住んでいることでの共通点って何なのかなと。思いながら。そして、ツールも何か工夫がしたいと思うのです。まだまだ、高齢の方と共有しようと思うと最強は紙ですが。

・日々のコミュニケーションをとる
・なんとなくお互いの状況がわかっている
・有事の際の動き方をイメージできる

これだと結果的にべき論からスタートになってしまうので、なかなか楽しく巻き込んで続けるのは難しそうですね。

・繋がっていることに若干のメリットがある
・その過程が楽しい、ワクワクする
・たまに有事のことを振り返る

こういうアプローチの方がよさそうです。人が行き来する場が必要なのかもしれないですね。うーん。なんだろ。考えてみます。

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