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物語は悲劇を多く含む

それは観客の興味を引くフックだったり話を進めるきっかけだったり創作による技術として様々だけれど、敏感な人は思う。「本当に死ぬ必要あったのか?」と、モヤる。

すごく頭の悪い例えだけど、ダークソウル3の主人公は生前その身にダークリングと呼ばれる緋色の輪を身体に浮かび上がらせる。それは忌むべきもので村八分にあい天涯孤独の身として生涯を終える。すると死後、その呪いの命により地獄のような世界を彷徨うようになるのだ。キツイよね。フロム脳のみんなはワクワクするけど、頭おかしいよね、俺はワクワクする。

自分の物語、他人の物語

物語には大きく分けて2種類ある。20世紀までの主流、他人の物語。小説や映画は登場人物の擬似体験だ。それが文化として大きな存在だったけど、いまは自分の物語を発信する時代に変わった。元々「自分」が中心なのは当たり前のことで、AKB48の全盛期が思春期だった20代にはごく自然な自覚だ。簡単にいうと、映画一本見るよりもインスタ上げてその内容をLINEで友達とメールする感じ(たぶん)。 ※LINEでメールするって表現は違和感があるんだけど言い回しが思いつかないからそのままにした。「LINEする」でええんかのう?今の20代前半は「写メ」もピンとくるのに時間がかかるらしい。WHAT!

で、自分中心の感覚が主流になると、こんなことが起きるんじゃないのかなという予想がある。先日の「つかれている人」についての深堀りだ。体感没入タイプって他人の物語内で自分の物語を生きている人なんだろうなと予想。夢女子って言葉もあるらしい。

登場人物が救えないのがツライ→無力感

今まではここで終わっていたけれど、ここにインタラクティブ性が加わったら安定&解決か。そう、ゲームの話。デトロイト・ビカム・ヒューマンみたいに全ての決断を自分で行ったり…あー、うーん、あのゲーム精神的に本当に疲れるから気軽には無理か。

ではダークソウルみたいに感情移入が薄めのオープンワールドは?

マインクラフトみたいに全部ブロックだったら?

ウォッチドッグス2みたいにずっとハッピーなやつは?

色々考えたけれど「虚構」であればあるほどその世界を築く為には、環境の善し悪しが必要で、物語に悲劇を排除することは難しいんだなと帰って来た。「自分が痛くもない悲劇」に触れる事は、良くも悪くもその人を揺さぶる。つまり他人の物語(虚構)は、インタラクティブ関係なくしんどい時がある。

ではもう自分の物語のクロスオーバーしかないんじゃないのか。自分が生きている中でたまにショールームやyoutube内の人と交わってすぐ別れる。ビジネスで言うとプロジェクト単位でメンバーが結成される雇用形態みたいな感じかな。全人類「参加型」になるんでしょうか。

他人の物語大好き人間としては、少しずつこの文化的パラダイムシフトに慣らしていかないと10年後しんどいんだなとこの文章を書いてて感じた。他人の物語と自分の物語の差は、意識しておいた方が人生楽しい。

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PSVRでゲームをやってます。
昨夜はアイアンマンとして墜落する飛行機から美人秘書を助け出しました。

あの時、おそろしくアイアムアイアンマンだった。

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