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フェルマーの最終定理

文系人間が【フェルマーの最終定理】を証明する前に必要なステップを簡単にまとめました。
ここに書いてある最強の手法を実践すればあなたも証明ができます。
まずはピタゴラスの定理を見てください。

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これを言葉に変換すると、
「直角三角形において、斜辺の二乗は他の二辺の二乗の和に等しい」
となりますが、一つ問題が起きました。二乗の部分を三乗以上にすると解は無いようです。
350年前、アマチュア数学者フェルマーはこれを解いたが、証明するには手に持ってた本の余白は少ないからその過程をどこにも残さなかった。
後続の数学者さん、後はよろしく!

あぁん?

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というのが【フェルマーの最終定理】で350年間、数学界のバケモノ達が挑戦してきたけれど証明できなかった。
だがやっと1990年代に入って数学者アンドリュー・ワイルズが証明完了。

この軌跡を追った本書は、大傑作!

読んでて数学の面白さに興奮した俺は高校入試レベルの数学問題をやってみることに。
一問も正解できませんでした!
そんなパズル思考の弱い人間でも大いに楽しめる超おすすめ本です。
文系人間だからこそ、知らない世界の広がりを存分に味わえます。

①数学者というバケモノの生態
②数学における「証明」の厳格さ
③フェルマーの最終定理に翻弄された歴史
④(俺は発展して)宗教ってなんだろう

この4つを考えることができました。

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数学界にとって「証明」とは論理的に破綻がなく一度成立すると覆ることのない絶対的なもの。科学の「だいたいこうなるから、おそらくこう」なんて比じゃない厳しさ。
俺は読みすすめるうちに現在で宗教と呼べるほど正しく揺るぎないものは数学しかないんじゃないかと思うようになった。
しかしある数学者が言い始めた。「2+2は本当に4なのか」
彼らがよくよく考えると誰が見ても明らかなもの(公理)は、実は証明できないと至った。つまり確実じゃない。
数学にとって証明とは、基盤の上に論理をどんどん積み重ねて行くもの。その基盤を信じられなくなったら終わりじゃないか。
「まぁでも話が進まないからそこは置いておこう!」と今の所はしているみたいで、俺の中で数学ですら宗教の揺るぎない基盤にならないと悟る。宗教ってなんだろう。

簡単に結論を言うと、
フェルマーの最終定理を証明するには、谷山=志村予想のある部分を証明すればいいらしい。

予想とは、だいたいそうなるけど厳密に証明されたことのない証明待ちのもの。
てなわけで楕円方程式とモジュラー形式を統一する証明をしようぜ!

あぁん?

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中学生の数学問題でもつまづく俺はちろん専門的な部分はさっぱりだった。
けれどこの本は読みやすくそんな俺でも対してつまづくことのない配慮が行き届いていた。
最終的には、ある分野と分野を「統一」することが焦点になったとさ。電気と磁力みたいな。

最近、量子コンピュータと禅の共通点みたいなブログを読んでテンション上がった自分としては「統一」にワクワクします。

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今回も読書のきっかけは以下の動画!
中田敦彦のYoutube大学
https://www.youtube.com/watch?v=38U0Mhp3MbQ&t=9s


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