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「悲しむ力」と「レジリアンス」が人間をもっと強くする #1 悲しむ力

不登校生・中退生のための私塾、「リバースアカデミー師友塾」を主宰する大越俊夫さん。著書『悲しむ力 深く悲しまない人間は幸せになれない』は、現代人に欠けている「悲しむ力」と「レジリアンス(逆境力)」の重要性について論じた一冊です。子育てはもちろん、仕事や人間関係に悩む大人たちにも役立つであろう本書から、読みどころを抜粋します。

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人には「悲しむ力」が欠かせない


人間というのは、つくづく「悲しみ多き存在」だなあ、と思います。

人間誰しも、できることなら「悲しみ」などと無縁でありたいと思いますよね。しかし、ほとんどの場合、それは叶わぬ願い。それどころか、生きるのが辛くなるような「悲しみ」を、人生の道連れにしなくてはならないこともあります
 
私はもともと英米文学を勉強し、大学で教える道を歩んでいました。しかし、四十年前、思うところがあり、不登校生を対象にした、師友塾という私塾をつくって、以来のべ七千人にも上る悩める若者やその親御さんたちの、しばしば命に関わるような「悲しみ」につきあってきました。
 
そして世間から見たら、落ちこぼれの弱々しい人間にしか見えなかった若者たちが、ある瞬間、この「悲しみ」から力強く立ち直り、普通の人より素晴らしい能力や人間力を発揮するようになる姿を、数限りなく見てきました。
 
そうした事例は、いままで何冊かの著書でもご紹介してきました。しかし、彼らが別人のように変わるその瞬間、そのきっかけというのはいったい何でしょう。立ち直れる人と、そうでない人の違いは何でしょう。この問いに対する私なりの答えが、ここに来て急に見えてきたような気がするのです。
 
それは、彼らが人一倍強く抱えてきた悲しみや苦しみを、避けたり無視しようとしたりすることをやめ、ありのままの悲しみや苦しみを、とことん悲しみ、苦しむことを自ら引き受ける力、約めれば「悲しむ力」または「苦しむ力」があるかないか、であると気づいたのです。
 
「悲しむのに力なんか必要ないのでは?」「悲しいときは、もうどうしようもなく悲しくなってしまうだけじゃないんですか?」などとも言われそうです。しかし、ことはそう簡単ではありません。本文でも詳しく述べますが、しばらく前から現代人の間に、悲しいときに十分悲しめない「悲嘆の欠如」という現象が目立つようになってきたのです。
 
そうした心の現象をたくさん見てきて、人にはやはり悲しいときには十分悲しむだけの「悲しむ力」が不可欠であり、それがないとその悲しい状況からの脱出が、うまくいかない。このことに気づいたのです。

注目され始めた「レジリアンス」


さらにこの気づきを、確信に近いものに高めてくれたのが、最近の精神医学界で注目されている「レジリアンス」(Resilience)という考え方です。

「レジリアンス」とは、もともとは理工系の用語で、「跳ね返す力」「復元力」「回復力」「耐久力」などと訳されてきました。これが、医学・生物学の分野にも取り入れられ、「逆境に耐えて強くなる力」といった意味で使われるようになりました
 
たしかに自然界でも、麦踏みで踏みつけられた麦の苗は丈夫に育つなど、この「レジリアンス」的な現象はよく見られます。人間の生き方についても、私は逆境にある子どもたちや親御さんに、「貧乏にまさる教師なし」などとくり返し言ってきました。
 
また、「我に七難八苦を与え賜え」や「艱難汝を玉にす」など、歴史上の人物の言葉やことわざにも、この考え方はよく出てきます。
 
これらには、いずれも「逆境」が人間を強くする「レジリアンス」の考え方があり、それは「逆境力」と言っていいものだと思います。
 
もっとも新しい話題では、二〇一四年のノーベル物理学賞を受賞した青色発光ダイオードの発明・開発者たちは、実験装置の故障や、長期間の装置不足といった「逆境」の中で、かえって自前の新しい発想を得て、成功にたどり着いています。
 
まとめて言えば、私がこのところ気づいていた「悲しむ力」「苦しむ力」の必要性は、この「レジリアンス」の考え方とまさにぴったりと通じあうものです。
 
「悲しむ力」を「レジリアンス」によって補強することで、多くの悲しい状況、苦しい状況にある人々に、再生の勇気を与えられるのではないかと思うのです。

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悲しむ力 深く悲しまない人間は幸せになれない

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