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「秋葉原通り魔事件」は格差社会やグローバル化のせいではない #5 日本の難点

テレビやラジオでもおなじみの社会学者で、東京都立大学教授の宮台真司さん。著書『日本の難点』は、最先端の人文知を総動員した「宮台版・日本の論点」と言うべき一冊。教育、メディア、政治、経済、日米関係、そして幸福とは……。宮台さんの考え方を知るうえで、「最初の一冊」としてもふさわしい本書より、一部を抜粋します。

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格差よりも非包摂(排除)が悪い

二〇〇八年六月の秋葉原殺傷事件に対する三〇歳代「ロスジェネ論壇」に属するとされる人々からのコメントには、驚きました。この事件を格差批判やグローバル化批判に結合するのは間違いです。というか、学問的常識の初歩中の初歩を知らないという意味で、申し訳ないけれども噴飯物です。

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先にも少しだけ触れましたが、「グローバル化や格差社会が若者弱者を直撃した。だからグローバル化や格差社会が悪い」「弱者を傷つける格差社会とそれをもたらすグローバル化とそれをもたらす企業群(を放任する者たち)が悪い」という議論は、社会学や政治学の最前線では話になりません。

驚いた僕は新聞各紙などでコメントを出さざるを得ませんでした。「格差社会が悪いというより、格差程度で行き詰まる社会的包摂性のなさが悪い」「格差よりも非包摂(排除)が悪い」という内容です。僕が出したコメントを以下に引用します。社会科学の最先端からはこれ以外に言いようがありません。

《『現実でも一人。ネットでも一人』『みんな俺を避けている』などの[ネットへの]書き込みから見ると、加藤容疑者は社会に居場所が見つけられない不満を強く感じている。背景には第一に若者文化の変質があろう

かつては人づきあいが苦手な若者たちの『もう一つの居場所』が若者文化の中にあり、秋葉原もその象徴だった。今はオタク文化もネット文化もまったり戯れる場所。被害者の一部がそうだったように秋葉原も今は友達と連れ立っていく所だ。友達がいない者には秋葉原でさえ居場所にならない

他方『県内トップの進学校に入って、あとはずっとビリ 高校出てから8年、負けっぱなしの人生』『親が周りに自分の息子を自慢したいから、完璧に仕上げたわけだ』などの書き込みには、第二の背景も見出せる。社会的序列について「勘違い」を与える成育環境だ

今は新卒一括採用ゲームでの勝利が人材価値を保証しない。叩き上げで獲得した専門性こそが人材価値をもたらす時代だ。なのに教育界や親がいまだに『いい学校・いい会社・いい人生』である。教育界はこの「勘違い」で飯を食う利害当事者だし、親はかつての常識から抜けられない。

厳しい家庭で優等生として孤独に過ごした加藤容疑者は、進学上の「敗北」を過大に受けとって「挫折」した。成績よりも友達がいないことを心配しない大人のダメさに問題を感じる。ネットの影響やPCゲームの影響を持ち出すのは笑止である。》

「誰かなんとか言ってやれよ問題」

補足します。僕はこの事件の背景は「格差社会が悪い問題」ではなく「誰かなんとか言ってやれよ問題」なのだと言い続けてきました。例を一つ挙げます。彼は自分の顔が良くないから女にモテないという趣旨の書き込みを繰り返していました。で、彼の写真を数枚見ました。全くフツーでした。

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僕は自分が昔ナンパ師をしていた縁で、ナンパカメラマン(というかハメ撮りカメラマン)のドキュメンタリー制作に関わりました。九〇年代前半当時、業界で有名なハメ撮りカメラマンはほぼ全員顔見知りでした。その僕が断言しますが、彼らの中にいわゆるイケメンは一人もいませんでした

理由は簡単。女性はナンパの現場ではむしろ二枚目を警戒します。鬼畜なんじゃないかと(笑)。ナンパ師に多いのはイケメンタイプじゃなく、人畜無害なタイプです。エリック・サティの「家具の音楽」という有名な管弦楽曲がありますが、優秀なナンパ師には「家具のような男」が多いのです。

話を元に戻すと、若い男子の多くが(文科系サークルも含め)体育会系的文化――社会学でいうホモソーシャリティ――に浸されていた時代には、加藤容疑者的な勘違いはあり得ませんでした。

僕は中学高校を通じて空手道部にいて、ナンパやセックスについて先輩や同級生からたくさんのことを教わりました(むろん一部は勘違いも教わりました)。そうした僕の世代から見ると、「自分はイケメンじゃないからモテない」なんて自意識を二五歳にもなって抱き続けられる環境が信じられません。

僕が「誰かなんとか言ってやれよ問題」だというのはそのことです。一五年ほど前に雇用環境が大きく変わっているのに、いまだに親や教員が言うがままに「いい学校・いい会社・いい人生」を信じているというのもあり得ません。加藤容疑者のそうした勘違いは、彼が社会に包摂されていなかった事実を示します。

僕が驚くのは、こうしたコメントを僕がマスメディア上に流すまで、この事件は専ら「格差社会が悪い問題」として語られ続けていたという事実です。今日の学問水準的にあり得ない議論だという以上に、真の問題に気付いて伝える者が少ないこと自体、我々の社会の包摂性の低さを示して余りあります

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日本の難点 宮台真司

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