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歌手になれると信じていたから心が折れたことはない…野宮真貴×燃え殻 #3 大人になる方法

ピチカート・ファイヴのボーカリストとして、「渋谷系」ムーブメントを巻き起こした野宮真貴さん。現在は文筆家としても活躍しており、『赤い口紅があればいい』『おしゃれはほどほどでいい』などの著作があります。『大人になる方法』は、そんな彼女が下積み時代を赤裸々に語った対談集。お相手は、小説家・エッセイストの燃え殻さんと、クレイジーケンバンドの横山剣さんです。その中から、燃え殻さんとの対話を抜粋してお届けします。

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小学生の頃から歌手になると決めていた

燃え殻 野宮さんが歌手を目指したのは、かなり小さい頃だったんですよね?

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野宮 小学生の頃から歌手になるって決めていました。

燃え殻 すごいなー。

野宮 歌が好きというのが第一の理由ですけど、人見知りで、学校で一言もしゃべらないような子供だったんです。だから、歌手になって大好きな歌で自己表現できたら、他人としゃべらなくて済むと思ったのね。おしゃれも好きだったから、素敵な衣裳を着てスポットライトを浴びて好きな歌が歌える歌手になるしかないと思って。

燃え殻 引っ込み思案でも、人前で歌えるんですか?

野宮 不思議ですよね。中高生のときにロックやニューウェーブに出会って、同級生の女の子たちがアイドルを追いかけているなかで、「自分だけが知っている、絶対的に好きなものが私にはある」というものができたら、他人のことが気にならなくなりました。

当時はロック好きの女の子なんて、クラスにひとりくらいしかいなくて、その子とライヴへ行ったり、バンドを組んで放課後練習したり。そこから引っ込み思案がなくなりましたね。

燃え殻 音楽が自信と居場所をくれたんですね。それ、わかります。僕もそういう「クラスに1人」みたいな存在に憧れました。

1987年にJ-WAVEが開局したんです。授業中に、頬杖をつくふりをして、イヤホンのコードを袖口から出して、洋楽や渋谷系を聴いていると、「人とは違うものを摂取している俺は今、青春してる!」という感覚がありました。ロックは何が好きだったんですか?

野宮 KISSです。知ってます?

燃え殻 はい。それも意外だなー。

これなら自分もできるんじゃないか

野宮 最初は、T-REXやデヴィッド・ボウイのグラムロックに夢中になって、その延長線上にKISSがあって。女子が聴いてもわかりやすいストレートなロックだったし、キャラクターの立ったルックスも面白くてファンになって。「自分もできるかも」と思って、バンドを始めて。

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私は興味を持ったものは、すぐに「これなら自分もできるんじゃないか」って思ってしまうので(笑)。そのための勉強や練習をする意識がごっそり欠落しているんですけど、なんとか形にしてしまう。

燃え殻 それ、野宮さんの長所です(笑)。

野宮 40年前の武道館の初来日ライブは、高校生だからお小遣いも限られているなか、頑張って2日間行きましたね。ファン同士で仲良くなって、情報交換をするんですけど、グルーピーの子から「本番前日に武道館でリハーサルがあるらしい」という情報を手に入れて、友人と2人で会場に忍び込んだりして。

燃え殻 えー!?

野宮 当時KISSは素顔が非公開だったので、「リハーサルに忍び込んで、なんとしても素顔を見てみたい」と思ったんです。

燃え殻 想像力と行動力がすごい!!

野宮 バイトの人に紛れて、アリーナ席のパイプ椅子の設置を手伝う振りをしながら、バックステージを探索したり。でも、明らかに高校生だから、怪しいと目をつけられ、最終的にはつまみ出されました(笑)。

燃え殻 いい話ですねー。

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