鳥葬をあきらめる…じわじわ笑える旅エッセイ! #4 わたしの旅に何をする。
ヒマラヤ、ミャンマー、インド、ブルネイ。ある日、サラリーマンがたいした将来の見通しもなく会社を辞め、東南アジアの迷宮へと旅立った……。旅を中心に、ジェットコースター、巨大仏、ベトナムの盆栽、迷路のような旅館、石まで、一風変わったテーマで人気を誇るエッセイストの宮田珠己さん。今回は初期の傑作として知られる、『わたしの旅に何をする。』をご紹介します。
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火葬よりも鳥葬がいい
かねがね死んだら鳥葬にしてほしいと考えていた。
火葬でもインドのような火葬ならいいが、日本のは焼却炉の中に入れて焼かれるので怖い。もし中で目覚めたらどうするのか心配である。土葬も同じで、もし生き返ったらと思うとやたら怖い。
もっと怖いのは宇宙葬だ。SF映画で見たのだが、ミイラのようにぐるぐる巻きにされて宇宙へ発射されるのである。空想の話ではあるものの、ひとりぼっちで宇宙を漂うのは勘弁してほしい。その節はなるべく隕石になって帰ってくる所存である。
そういうわけで鳥葬を希望だ。もし鳥が私の目玉をくわえて空を飛んでくれたりしたら、景色も楽しめるかもしれないではないか。などと思っていると、チベットで鳥葬を見る機会があった。
鳥葬は寺の近くで行われる。外国人は見ることが禁止されているらしいが、私が見た寺では全然そんな感じはなく、若い僧が見物に来たわれわれ観光客数人に、これがチョルテン、これが何々とわからないチベット語で説明してくれたりした。
とはいえ、葬儀であるからここは控えめな態度で見学する。考えてみるとこの本ではネパールの火葬、バリ島の火葬と葬式のことばかり書いているが、別に葬式を求めて旅をしているわけではない。たまたまそういう場面に流れつくのである。
鳥葬場は丘の上にあり、朝もやの中を登っていくと、テニスコート三面ぐらいの範囲がフェンスで囲われていた。フェンスの中央に石を敷き詰めた場所があって、それが鳥葬台らしい。
そばには小さな道具小屋と、少し高くなった敷地にチョルテンが建っていた。その背後には雪を被った山が見えて、何かしらこういう広々と気持ちのよい場所で鳥に食べられるのは、幸せに思える。焼却炉の中とは随分な違いだ。
思えば私の焼却炉嫌いは、かつて仮面ライダーV3がイカファイヤーに焼却炉で燃やされそうになって以来、もう二十年以上続いている。まことにもって憎きイカファイヤーである。
鳥葬に付される予定の死者は五人で、どれも白い布にくるまれ、男に背負われて運ばれて来た。そしてその頃から既に、鳥葬場の周囲にはハゲワシがさりげなく群がっていたが、これがまたやたらでかかった。
ハゲワシったって所詮は鳥であって、でかいといってもせいぜいニワトリの倍ぐらいだろうと思ったら大間違いである。そんじょそこらの犬よりでかい。屈んだ人間の大人ぐらいある。しかも近づいてよく見れば全身筋肉の塊といった感じで、歩くときも肩で風切り、おらおら、どかんかいどかんかいと歩くのだ。
そんなのが二、三百羽もいるだろうか。秘めたる殺気とともに、遺体の登場を遠巻きに見守っていた。一対一でも負けそうなのに、二、三百羽である。うっかり死体と間違われないよう、なるべく活きのいい顔で鳥葬には臨みたい。
さていよいよ白い布が剥がれ、死体があらわになった。解体担当の男が三人、ハゲワシが食べやすいように、剣のような長い包丁で肉をそぎ落としていく。解体担当以外にも十人以上の男たちがいて、何をしているかというと、長い棒やひもをぶんぶん振り回し、十分に解体される前にハゲワシが殺到しないよう見張っている。
解体作業は見ていて恐ろしいかというと、そうでもない。死体はやはり死体で生気がないから、モノに見える。女性の死体が一体あって、一瞬ハゲワシ担当の男たちが仕事を忘れてよく見える位置に移動していた。
死体が登場したときから、ハゲワシたちは徐々に鳥葬台近くににじり寄って、今では見張りの男たちの前でマラソンのスタートみたいに集まっている。彼らの間には号砲前の緊張感が漂っていた。鳥なんだから上空から攻めればいいだろうと思うが、あんまりそういうフライングはなく、たまに一、二羽が鳥葬台に飛び込んで見張りの男たちに追い回されているぐらいだ。
もっとのびのびと食われたい
しかし冷静に考えてみると、敵は少なくとも二百羽いるのだから、この場にいる二十人あまりの人間を集団で襲えば、五体の死体だけでなくもっとまんべんなく人間が食えるはずである。
そのうち賢い一羽がそれに気づくのではないか。というようなことを想像していると、動揺が伝わって本当に襲われないとも限らないので、あまり考えないで、念のため食べ物ではないという顔をして見物した。こういうときはシリカゲルのように、食べられません、食べるな危険、という強い信念が大切だ。
死体は丁寧に隅々まで解体される。どうせハゲワシが食いちぎるのだから適当でいいのではないかと思うが、腕や脚や頭皮まで剥いでいく。さっと包丁を入れると、ぺらぺらの肉片が剥げて赤身が見え、びっくりする。大変な仕事である。
やがておおかた解体されてくると、ハゲワシたちも我慢の限界が来て、棒やひもの間をかいくぐって鳥葬台に突入するやつが出てくる。二、三羽なら追い返されるが、だんだんその数も増えてきて、やがて一気に溢れるように防衛線を突破して大群のハゲワシが肉に殺到した。そのときは男たちもさっと切り替えて、巻き込まれないように逃げてしまった。
ハゲワシの食事はすさまじかった。
二、三百羽のハゲワシに対して死体は五つしかないので、当然取り合いになる。
もうどの部分かもわからない肉片を数羽のハゲワシがくちばしで奪い合って引きちぎる。骨についた肉もくわえて引っ張るから、地面の石に骨が当たってカラコロ音がする。鳥葬台の上は乗り切れない数のハゲワシが、ぎゃあぎゃあ言いながらごった返し、ハゲワシの上にハゲワシ、またそのハゲワシの上にハゲワシが乗って、早口ことばみたいになっているのだった。
ときどき肉片を確保したハゲワシが、その場を離れて食おうとするところへ、また別のハゲワシが奪いにかかる。そんなのがすぐ近くに飛んできて血まみれの肉を引っ張り合っているのである。怖いぞ。むこうでやれ、むこうで。
それがどのぐらい続いたろうか。ほんの五分か十分の出来事だったと思う。肉のほとんどは食い尽くされ、頃合いを見てまた男たちが鳥葬台からハゲワシを追い払うと、そこには理科室で見たような、ほぼ完璧に近い骸骨がねじくれて横たわっていた。そうか、もう骨になってしまったか。あまりのハゲワシの食欲にぐったり疲れてる感じだ。
解体人は、今度はそうした骨を集めて、白い粉をまぶしながら砕き始めた。骨も小さくして全部食べさせるようだ。砕いた後、石のハンマーでさらに潰して軟らかくしていた。白い粉はチベットの主食ツァンパらしい。
私はこのへんまで見たところで、鳥葬場を後にした。まだまだ儀式は続くのだろうが、もう十分だと思った。何というか、思っていたのと少し違ったのである。死体は解体された後、放置され、それを時々鳥がやってきてついばまれつつ、自然の中で風化していくのだと思っていた。
ところが実際は風化どころではなく、もみくちゃである。まるで満員電車であり、バーゲンセールである。目玉をくわえて飛ぶハゲワシもいなかった。あまり楽しい感じじゃない。いずれ死体になる側としては、もっとのびのびと食われたい。いずれ死体になる側としては、もっとのびのびと食われたい。
ハゲワシたちは、少し離れたところで相変わらず鳥葬台の方へ睨みをきかせていたから、おそらくこの後も、また殺到して骨の小片を食うのだろうと思われた。
鳥葬場を去るときは、周囲をコルラ(巡礼)してから帰れ、とあらかじめ聞かされていたので、オムマニペメフンと唱えながら上のチョルテンを回って帰った。
私は死んだら、やっぱりインドやバリ島のように外で火葬してもらいたい。鳥葬はやめである。そのかわり、もし火葬になった暁には、なるべくふんばってCO2はあまり出さないで燃える所存である。
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