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この中に犯人がいる!…人間の業と出版業界の闇を暴く痛快ミステリ! #5 作家刑事毒島

新人賞の選考に関わる編集者の刺殺死体が発見された。三人の作家志望者が容疑者に浮上するも、捜査は難航。そんな中、助っ人として現れた人気ミステリ作家兼、刑事技能指導員の毒島真理が、冴え渡る推理と鋭い舌鋒で犯人を追い詰める……。人間の業と出版業界の闇を暴く痛快ミステリ、『作家刑事毒島』。『さよならドビュッシー』を始め、人気作多数の中山七里さんが贈る本作より、第一話「ワナビの心理試験」の一部をご覧ください。

*  *  *

「自分の投稿作品を酷評されたからといって、それが殺人の動機になり得ると思いますか。どうもわたしには極端な話のように思えて」

「世間一般では有り得ない話なのでしょうけど、事情というか作家志望者たちの実状を知っている者にすれば大ありですよ」

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「うんうんうん、そうだよね、大ありだよね」

「先生、話を聞いている暇があったら」

「あと一枚、あと一枚」

「頼みますよ、本当に。とにかく応募原稿を弾かれたんじゃなくて、自分の人格を全否定されたから、と考えれば納得していただけると思います。初めてパソコンを買ったので、好奇心から小説みたいなものを書いてみた。退職してすることがなくなったので、暇潰しに書いてみた……そういう物見遊山気分で応募してくる人もいますけど、文章を読む限りほとんどの原稿からは執念深さというか、ルサンチマンじみたものをひしひしと感じますから」

辛坊は鬱陶しくてならないという風に唇を曲げて訴える。

「高千穂さん、刑事さんだったら頭のネジの緩んだ人たちがとんでもない犯罪に走るのを経験されているでしょう? 頭のネジがどうにかなっているという点では、作家志望者も一緒なのですよ。三人の中に犯人がいるとしても、出版関係者でそれを不思議に思う者は誰一人いないでしょうね。ワナビという連中は多かれ少なかれ犯罪者としての資質を確実に持っています」

とんでもない偏見のように聞こえるが、それを訴える辛坊の目は真剣そのものだ。よほど彼らには酷い目に遭ったのだろう。

「百目鬼さんがそれ以外の人から恨まれている可能性はありませんか」

「奥さんと離婚してもう五年、お子さんも、ついでにこれという財産もなし。編集者としての才能は十人並み。口は悪いけど、付き合ってみれば意外に常識人。人が嫌がるような仕事も渋々ながら引き受けてくれる。業界内で彼を殺したいほど憎む人なんて思いつきませんね」

「できたよー、辛坊さん。今、そっちに送信するからねー」

毒島の声を合図に、辛坊はカバンの中からタブレット端末を取り出す。今までこの世の終わりのようだった表情から一変、試験管を手にした化学者のように冷徹な顔で送信されてきた毒島の原稿に目を走らせる。

そして大きく頷くと、タブレット端末をカバンに仕舞いながら立ち上がった。

「お疲れ様でしたあっ」

辛坊はそう言い残し、挨拶もそこそこに部屋を飛び出していった。

「いやいやいや、ごめんなさいごめんなさい待たせてしまって」

毒島がこちらに向き直る。改めて見ればどこか飄々としており、童顔も相俟って笑った顔はこの上なく温和だ。少なくとも警戒心を抱かせるような風貌ではなく、何故この男を犬養や麻生が苦手そうにしていたのか明日香は理解に苦しむ。

「さっきは辛坊さんが色々言っていたけれど、あの人も多少被害妄想じみているからね。でも、その三人のうち誰が犯人であってもおかしくないというのは、僕も同意見」

「はあ」

「三人のアリバイはどうだったの」

「三人ともその時間は自室に籠もって執筆に勤しんでいたということです。只野九州男と牧原汐里は一人暮らし。近江英郎は妻と二人暮らしですが、犯行の行われた時刻に妻は寝ていてアリバイを証明できません」

「ふんふんふん、つまり三人とも百目鬼さんを殺す動機があり、アリバイはなし。それで現場からはまだ犯人を特定できるような遺留品も発見されずという訳だね」

「ええ。場所が場所ですから不明毛髪は山ほど採取できたんですけど、その中に三人のものはなかったんです。下足痕も同様」

「つまり犯人は音もなく百目鬼さんに近づき、抵抗する暇も与えず凶器で一撃、相手の身体を刺し貫く。足跡を注意深く消してから風のように立ち去っていく。とても慣れた犯行のように見えるよね。それでなくても人並み外れて沈着冷静」

「捜査本部も同じ見解です」

「三人が投稿した原稿と百目鬼さんの作成した評価シートはまだ残っているかしらん」

「持ってきています」

明日香は抱えていたバッグから三束の原稿とファイルを取り出す。

「昭英社さんからいただいてきました。お預かりするだけでいいと思ったんですけど、もう要らないものだからって押しつけられて」

「だろうねえ、下読みで落とされる原稿なんてシュレッダーや溶解にしても手間暇かかるだけのゴミだから。高千穂さん、ゴミ箱代わりにされたんだよ」

おや、と思った。人懐こい笑みのままだが、出てくる言葉は意外に毒を孕んでいる。

「麻生くんたちは容疑者をこの三人に絞っている訳だ」

「ええ、他に動機らしい動機を持っている者がいないので」

「ちょっと拝見」

毒島は明日香から原稿を受け取り、ぱらぱらとページを繰り始める。本当に読んでいるのかと疑いたくなるような速さだった。

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「うふふ、うふふ、うふふ」

ページを繰りながら、何やら意地の悪そうな笑みに変わる。評価シートに目を移してからは、それが更に顕著になった。

「ふふ、ふふ、うふふふふふふ」

込み上げるものを堪え切れないように、毒島は満面に笑みを浮かべる。思わず明日香は半歩退いた。

ひょっとしたら自分の第一印象は間違っていたかも知れない。

「百目鬼さんも優しいねえ」

「はい?」

「この原稿読んでこういう評価シート書くんだからね。奥歯にものが挟まっているどころじゃない。猿轡の上からもの申しているようなものだね。あ、でも、だから恨まれたのかな。読解力のない人間が読んだら希望を持たせるような書き方でないこともない。こういうのは一刀両断にしてやらないと逆に可哀想なんだけどねー」

そして毒島は興味津々といった顔を明日香に向けた。

「ねえねえねえ、技能指導員としてこの三人に会ってみたくなったんだけど」

技能指導員の立場を持ち出されたら明日香に拒絶する術はない。

一抹の不安を覚えたが、明日香はこの申し出を承諾するより他なかった。

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毒島は手早く着替えを済ませると、容疑者に会うよりも先に現場を見たいと言う。颯爽とデニムのシャツを着こなした姿は結構さまになっている。

明日香は一瞥しただけなのに、毒島は目敏く視線に気づいた。

「僕の服装、気になるの?」

「いえ、刑事にしてはオシャレだなと」

「神保町界隈ってさ、出版社も集中してたりして業界の人がどこで見てるか分からないから、服にも気を遣うんだよね。というか、この格好は例の三人に会うための服装でもあるんだけど」

「容疑者のための服装?」

「彼らに尋問する時にはさ、僕が刑事だってこと伏せておいてよね。作家毒島真理として話した方が都合いいし、第一向こうも知ってそうだし。ああ、それから尋問という形は採らないから、本部や所轄の取調室じゃなくて、それぞれの容疑者宅最寄りの喫茶店がいいなあ。うんうんうんうん、絶対その方がいい」

「あの、それはどういう意味なんでしょうか」

「いくら可視化が進んでいるといっても、やっぱり普通の人間は取調室の中じゃ緊張するし、こちらが煽ったって簡単には吐きゃしないよ。えっとさ、たとえば犬ちゃんなんて」

「犬ちゃんて……ひょっとして犬養さんのことですか」

「そそそそそ、その犬ちゃん。彼なんて容疑者から本音を引き出すために、わざと挑発するようなこと吹っかけるでしょ」

「ええ。よく使う手法だって聞きました」

「それを教えたの僕なんだけどさ、犬ちゃんたら尋問のコツ摑むの上手いんだけど、もひとつ徹底してないんだよね。自分に有利な場所だから、どうしても取調室を使いたがるんだよね。主導権握るって意味じゃあ有効だけど、ただし時と場合によりけり」

「今回は違うっていうんですか」

「作家志望者ってのはねえ、小説と関係のない人間には割と鷹揚なんだけど、関係者の言葉にはそりゃあ過敏に反応するんだよね。しかも自分の馴染みの場所だったり知り合いの目があったりすると、余計にエキサイトするしね。ふふ、うふふふ」

毒島は温和な面立ちに似合わない含み笑いを洩らす。

明日香は毒島とともに阿佐ヶ谷南の殺害現場を再訪した。

朝の通勤時間をとうに過ぎ、規制線も外されているので、殺人現場特有の禍々しい空気はいくぶん払拭されているが、それでも足を踏み入れる時には緊張感が伴う。

ところが毒島はと見ると、今にもステップを踏みそうな足取りで百目鬼の死体が転がっていた場所を歩き回っている。

「あの。死体が倒れていたのはちょうどその辺りで」

「ふうん。工事現場のすぐ隣かあ」

そしてきょろきょろと辺りを見回す。

「説明通りだねえ。周りはオフィスだらけだから、夜間は無人状態になっちゃうんだ。まだ目撃者は出てないよね」

「ええ」

「で、防犯カメラは遥か彼方っと。あるんだよねえ。都内にもこういうブラック・スポットが。女性でも深夜の一人歩きができるなんて、もう昔の話だよね」

「まさか行きずりの犯行という意見ですか」

「行きずりの犯行? とおんでもない。最寄りの駅から歩いてきても防犯カメラや人目から死角になるのはここらだけでしょ。背中から凶器でひと突き、しかも争った形跡はなし。明らかにこの場所を下見して待ち伏せしていたんだよ」

「胸まで貫通させていますからね。最初から明確な殺意があったんでしょうね」

「それはどうかなあ」

毒島は歌うように言う。どこか楽しげな態度に明日香はひどく面食らう。

「用意周到な下見、胸まで貫通する一撃。でもねえ、それで最初から殺意があったというのは早計だなあ。それって凡庸な傷害事件ばかり見てきた弊害なんだってば。犯人逮捕して供述取るまで殺意があったかどうかなんて分かりっこないんだからさ」

意外に話の内容はもっともなので、また面食らう。なるほど刑事技能指導員の肩書きは伊達ではないということか。

「物陰に潜むとしたらここかなあ」

毒島は死体のあった場所から離れ、脇道に移動する。そしてビルの陰からこちらを眺める。

「ほらほらほらほら。ここからだと歩いてきた被害者を後ろから狙える」

「そこで百目鬼さんを待ち伏せしていたんですか」

「相手の体力とか腕力が未知数だったら、闇討ちが一番効果的だもの。少なくとも僕ならそうするねえ」

冗談めかした口調だが、どことなく不気味なのは何故だろう。

「さて、現場検証はこれでいいや。じゃあ早速一人目の容疑者に会わせてくれる?」

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『作家刑事毒島』 中山七里

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