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毒島真理、いよいよ登場…人間の業と出版業界の闇を暴く痛快ミステリ! #4 作家刑事毒島

新人賞の選考に関わる編集者の刺殺死体が発見された。三人の作家志望者が容疑者に浮上するも、捜査は難航。そんな中、助っ人として現れた人気ミステリ作家兼、刑事技能指導員の毒島真理が、冴え渡る推理と鋭い舌鋒で犯人を追い詰める……。人間の業と出版業界の闇を暴く痛快ミステリ、『作家刑事毒島』。『さよならドビュッシー』を始め、人気作多数の中山七里さんが贈る本作より、第一話「ワナビの心理試験」の一部をご覧ください。

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毒島の仕事場は神田神保町の中にあった。大型書店と古書店が立ち並ぶ間を埋めるように、昔ながらの飲食店が点在している。その中にあってひときわ古びた外観の天ぷら屋の二階がそうだと、明日香は聞かされていた。

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この天ぷら屋の店先には大型パネルが立て掛けてあり、それによると以前は江戸川乱歩や井伏鱒二が行きつけにしていた店らしい。なるほど、それならどこか昭和の香りが漂っているのも納得できる。

店舗横にある階段を上がっていく。天ぷら油の沁みついた壁、光量の乏しい電灯。昭和臭さは店構えのみならず狭い階段からも立ち上ってくる。

ドアをノックすると、「どうぞー」とやけに陽気な声が返ってきた。犬養や麻生までが恐れ嫌う人物の声とは、とても思えない。

その事務所には窓がなかった。いや本当はあるのだろうが、三方の壁が書棚に占領されているために用を成していない。そして書棚に隠されて壁の古さも分からない。

中には二人の男がいた。

「お邪魔します。警視庁刑事部捜査一課の高千穂と申します」

書き物机でパソコンに向かっていた男がこちらを向いた。麻生より五つ上だからもう五十を過ぎているはずだが、童顔と黒髪のせいでまだ四十代前半に見える。

「やあやあやあやあ、君ですね、電話くれたのは。どうもどうも毒島です」

毒島は軽く頭を下げるが、立ち上がりはしない。

「ごめんなさいね、今、ちょうどデッドラインでさ。もうすぐ原稿アップさせるから、その辺に座って待っていてよ」

毒島の示したソファには先客が座って、神経質そうにタブレット端末を弄っていた。

「幻冬舎の辛坊誠一といいます。毒島先生の担当をしております……ああっ、また編集長から督促メールが。まだですか、先生」

「あとたったの三枚だから。一時間で上げれば間に合うでしょ。ここから小川町の印刷所まで走って四分だよ」

「わたしを走らせるんですか」

「元々さあ、神保町に出版社が集中してるのは隣の小川町に印刷所があるからじゃない。先輩たちの労苦を偲べば、それくらいしたってバチは当たらないでしょ」

見れば毒島は喋りながらキーを叩いている。

「高千穂さんは先日の百目鬼さん殺しの件で来たんだよね。何が訊きたいの?」

「百目鬼さんがやっていた下読みの仕事だとか、ワナビという人たちのこととか……少し特殊な業界だと聞いていますので、小説家になった毒島さんから詳しい事情を教えていただきたくて」

「じゃあさ、じゃあさ、このままで話していいかな。手が離せないものだから」

「先生! こんな切羽詰まった時に、妙な話に首を突っ込まないでください」

「だって、僕は一方じゃ警察官の端くれなんだし。ちゃんと原稿は書いてるじゃない」

「でも、毒島さん。捜査情報を第三者の前で話すのはちょっと」

「こちらから一方的に話す分には構わないでしょ。君も秘匿情報さえ話さなきゃいいんだし。それに、そこにいる辛坊さんは僕なんかよりずっと業界の泥に塗れているから。そういう話だったら誰よりも詳しく、誰よりも苦々しく語ってくれると思うよ。ねえ辛坊さん」

話を振られた辛坊は哀しげな顔で毒島の背中を睨む。

「確かに作家志望の方たちとは色々ありますからねえ。仰る通り、プロ野球選手とかサッカー選手とかを目指している人たちとは違うし、他の芸術畑の美術や音楽とも毛色が違うし。第一、執念が怨念に変質するのはこの業界くらいのものです」

「怨念、ですか」

鸚鵡返しに尋ねると、辛坊はますます哀しい顔をした。

「高千穂さんと仰いましたか。あなた、全国に作家志望者が何人いるかご存じですか」

「さあ……」

「国が正確な統計を取った訳ではありませんが、各新人賞に送られてくる原稿の数から類推すると五万人から十万人。投稿はしないけれど志望している者を含めれば、その倍以上は存在するでしょうね。ところが新人賞は中央の大きなもので二十タイトル前後。倍率だけを考えれば司法試験より難しい。選ばれる人間が少なければ、弾かれた人間の怨嗟の総量はとんでもないものになります」

数を聞いて面食らった。明日香も本を読むのをもっぱら愉しむ側であり、書き手になろうなどとは一度も考えたことがない。だから、そんなに書き手を志望している者がいるとは想像もしていなかった。

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「同じ憧れ産業だから、潜在的な希望者という点だけならアイドルやスター選手を夢見る者と同じに思えるのでしょうけど、文芸の世界はちょっと事情が違います。アイドルを夢見る人はそれなりに容姿が整っていたり歌の才能があったりする人でしょうし、スター選手を目指す人はやはりそれなりに運動能力の秀でた人でしょう。ところが、作家になりたがっている人の九割以上は才能もなければ根気もありません。ついでに自覚もありません」

「えっ。でもさっきの話だと五万人から十万人の人たちは作品を投稿してくるんですよね」

「ええ、およそ小説とは呼べない代物をね。要は自分に作家としての資質、物語を構築する素養があると勘違いしているだけなんです。野球に喩えれば、プロ野球の入団テストに草野球でいつもライトを守らされている小学生が参加するようなものです」

聞いていて、少し眩暈を覚えた。

「百目鬼さんは弊社ともお付き合いのあった方ですから、事件については報道されている以上のことを小耳に挟んでいますよ。何でも三人の作家志望者が百目鬼さんに脅迫文を送ったとか」

「そんなことまで知れ渡ってるんですか」

「百目鬼さん本人があちこちで吹聴してましたからね。その三人はアレですよ。入団テストで真っ先に弾かれた小学生が、テストに落とされたのは試験官が意地悪をしたからだと逆恨みしたんです」

「でも、たかが公募に落ちたくらいで……」

明日香は言いかけてやめた。事情聴取の際、三人は一次予選で落とされたことを、心底恨み、そして怒っていた。

「原稿用紙四、五百枚を埋めるのは相当な労力を必要とするんです」

「そうかなあ。五百枚なんてそんなに苦労する枚数じゃないと思うけど」

「先生はそこで茶々を入れないでください! 大抵の人間は十枚に達する前に挫折するのが普通だから、五百枚の完成原稿なんて自分の全てを注ぎ込んだ結晶です。それを初っ端から弾かれると、自分の存在を全否定されるように感じるんでしょうねえ。だから激しく気落ちするし、審査した人間を激しく憎むようになる。殊に〈小説すめらぎ新人賞〉は評者の署名入りで評価シートを戻すから、憎悪を向ける相手が特定されてしまう。わたしにも憶えがありますけど、それって結構キツいことなんです」

辛坊は言葉を切ってから、深く溜息をついた。

「辛坊さんも下読みをされたことがあるんですか」

「新人に回される仕事の一つですよ。今はなくなりましたけど、以前はウチも文学賞を主催していたので、しばらく投稿作品を読まされてました……う」

辛坊は急に顔色を悪くした。

「……すみません。あの頃に読まされた原稿の一部を思い出しただけで、吐き気を催しました」

「そんなに酷い内容なんですか」

「慣れない者は体調を崩しますよ。これはある地方文学賞なんですけど、市が主催するので下読みは市の職員がするんです。一般の人たちは編集を通して製本されたものしか読んでいませんからね、小説の形にもなっていない原稿を何百枚も読まされるとものの五分で頭痛を訴えるようになる。

それでも仕事だから、途中で投げ出す訳にもいかない。とうとう内臓疾患を発症する者まで現れたらしいです。ただ公募の場合は投稿者が目の前にいないので顰め面だってできますし、応募原稿を床に叩きつけることだってできます。本当に辛いのは持ち込みなのですよ」

「原稿を直接、出版社に持っていくんですね」

「今はどこの出版社も持ち込みはお断りしているんですが、中にはそれでも直接見てくれと強引に社までやって来る人がいて……うっぷ」

辛坊は口元を手で押さえる。

「……すみません。また思い出してしまって。新人賞を公募しているからそちらに送ってくださいとお願いしても、いや自分の作品は素性の知れない下読みでは真価を理解できない。ちゃんとした編集者に読んでもらわなければいけないのだと押し掛けてくるんです。追い返すこともできず、忙しい時間の合間に目を通すのですが、まず百パーセント碌でもないものばかりです。

ところが本人たちはどんな賛辞を受けるだろうかと、目をきらきらさせて待ち構えている。社交辞令で誤魔化そうものなら、それではすぐ出版してくれないかと言う。欠点を挙げれば、では欠点を修正すれば出版できるのかと言い出す。とても商業ベースにのせられる代物ではないと正直に言えば、お前には才能を見抜く目がないと散々悪態をつく。中には帰りがけに唾を吐いていくヤツまでいる。ウチは玄関ドアを何度も蹴られています……先生、まだですか」

「あと二枚ー」

「自信があるから持ち込んでくるんでしょうからね」

「いいえ、それは違います。本当に自信があるのならちゃんと新人賞に応募しますよ。新人賞では相手にされないのが分かっているから、無理やり強行突破しようとするんです。何というか正々堂々と裏口入学しようとしているんですね。で、そういうのに限って本当にタチが悪い。まあ、ルールに従わずに無理を通そうという人間だからタチが悪いのは当たり前なのでしょうけどね」

次第に明日香も気分が悪くなってきた。

「何か……壮絶な話ですね」

「だからという訳でもありませんが、どこも外部の下読みさんには一本数千円の手数料で審査をお願いしています。一本五千円が相場ですけど、ぶっちゃけ五千円で割の合う仕事じゃありません。その上、評価シートまで作成するとなると完全に滅私奉公みたいなものです。それで逆恨みされて殺されたのなら、百目鬼さんもとんだとばっちりですよ」

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『作家刑事毒島』 中山七里

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