見出し画像

犯人は作家志望者?…人間の業と出版業界の闇を暴く痛快ミステリ! #2 作家刑事毒島

新人賞の選考に関わる編集者の刺殺死体が発見された。三人の作家志望者が容疑者に浮上するも、捜査は難航。そんな中、助っ人として現れた人気ミステリ作家兼、刑事技能指導員の毒島真理が、冴え渡る推理と鋭い舌鋒で犯人を追い詰める……。人間の業と出版業界の闇を暴く痛快ミステリ、『作家刑事毒島』。『さよならドビュッシー』を始め、人気作多数の中山七里さんが贈る本作より、第一話「ワナビの心理試験」の一部をご覧ください。

*  *  *

「指紋は?」

「鑑識は採取できなかった。握りの部分だけでも拭き取ったんだろう」

画像1

「握るための柄もない、というのは奇妙ですね。それにえらく軽い」

「自作の可能性は否定できない。素材は多分アルミニウム合金だろう。軽量で加工しやすいからな」

「アルミニウムなんて脆い印象しかないんですけどね」

「捜一の犬養にしては不見識だな。下手すれば青銅よりも硬度は上だ。加工の仕方次第ではこんな風に理想的な凶器に仕上がる。資料として保存したいと言ったのはそういう理由だ」

「理想的、ですか」

「軽量でかつ丈夫、その上加工も容易。着衣に乱れはなかったから、争った形跡もない。背後からいきなり刺し貫かれ、相手の顔を見る間もなく絶命、といったところかな」

「女性でも可能な犯行ですか」

「この凶器であれば、否定する材料は何もない」

「死亡推定時刻、検視官の見立ては?」

「六日の午後十一時から零時までの間。発見が早かったから、あまり誤差はあるまい」

「鑑識は何かいい話をしてませんでしたか」

御厨は不機嫌そうな目を犬養に向ける。

「現場周辺の土を採取していたが、下足痕を含め、容疑者のものと推測できるものはまだ見つかっていない」

テントを抜け出ると、少しだけ人心地がついた。小言の一つでも洩らすかと思ったが、犬養は明日香の方を見もせずに概略を話し始める。

「死体を発見したのは、毎日この道を通っていたサラリーマンだ。表通りから二つ奥の脇道、店舗のネオンも届かず普段から人通りは少ないらしい」

「素性は割れているんですか」

「札入れに本人の免許証があった。百目鬼二郎三十八歳。元出版社勤務で、今はフリーライターみたいな仕事をしているようだ」

「みたいな仕事って具体的に何なんですか」

「さあな。名刺には出版プロデューサーとあるが、要は出版に関するなんでも屋じゃないのか」

犬養は杉並署の捜査員たちに近づいていく。そのうちの何人かとは顔馴染みらしい。

「訊き込み、どうですか」

「思わしくないですね。元々、周辺はオフィスビルで固まっていて午後十時を過ぎると一斉に人気がなくなるんです。明朝にも地取りを続けますが、場所と時間を考えると過大な期待は持てません」

「防犯カメラはどうですか」

所轄の捜査員はこれにも首を振る。

「コンビニも金融機関も離れた場所にありますからね。直近のカメラは現場から五十メートルです。ここは死角になっているんですよ」

目撃者なし。防犯カメラにも現場は撮られていない。犯人のものと思しき遺留品もなし。つまりはないない尽くしという訳か。

犬養は唇をへの字に曲げていた。

事件発生から二日後になると状況に動きがあった。百目鬼二郎に殺害の動機を持つ者が三人浮上したのだ。

「百目鬼は昭英社主催の新人賞で下読みをやってたんだが、その昭英社経由で百目鬼宛てに三人の応募者から脅迫めいた抗議文が届いていた」

班長の麻生が説明したが、早速明日香には不明な単語がある。

「すみません。下読みって何ですか」

「俺も聞きかじった程度だが、小説の新人賞というのは選考が何段階かに分かれている。下読みってのは最初の段階で、二次に上げるかどうかを判断する読み手のことだとよ。大体、この段階で応募者の九割が落とされるらしい。三人は当然落とされた九割の中に入っている」

「百目鬼はフリーランスだったんですよね。出版社が下読みにフリーランスを雇うんですか」

「その出版社の社員だけでは捌ききれないから、外部の人間に依頼するらしいな」

「脅迫めいた抗議文って何ですか」

「下読みの人間は作品の感想を記したシートを作成する。そのシートが応募者の許に届けられるんだが、その内容が彼らを怒らせた。百目鬼に会わせろ、全人格を否定するようなことを書きやがって、講評というより誹謗中傷だ、謝罪しろ、さもなければ後悔する羽目になるぞ……と、まあそういう反応だ」

「一番下の選考で落とされたくらいで抗議しているんですか、その三人は」

素朴な疑問をぶつけると、何故か麻生は苦虫を嚙み潰したような顔をする。奇妙なことに、同席していた犬養も似たような顔をしている。

画像2

「抗議文がまず出版社に届いたということは、三人とも百目鬼の住所や連絡先を知らなかった訳ですよね。なのに、どうして百目鬼を現場で捕まえることができたんですか。昭英社だって千代田区にあるんですよね」

「おそらくブログからの情報だろう。百目鬼はブログを開設していて、よく行きつけの呑み屋から自宅までの写真をアップしていた。店の名前と位置が分かっていれば、ブログの写真から自宅までのコースが分かる。ご丁寧なことに百目鬼は呑み屋へ行く曜日も時間帯も決めていたから、待ち伏せするには好都合の情報が全て本人自身から発信されていたことになる」

馬鹿みたい、と明日香は胸の裡で呟く。

出版社に勤務していたのなら、個人情報の秘匿に関しては一般人より注意喚起の必要があったはずだ。それなのにブログやSNSでは小学生並みの迂闊さで情報を晒してしまう。公私の別はともかくとして、危機管理能力のなさが本人の首を絞めたと言われても仕方がない。

麻生は説明を続ける。

「因みにその三人には共通して事件当夜のアリバイがない。とにかく参考人として呼んでおいた。お前たちが担当だ。話、聞いてこい」

明日香に異存はなかったが、しかし尚も犬養は気乗りしない様子だった。

そろそろやってみろと命じられたので、明日香は聴取役として参考人の前に座ることにした。犬養は記録係を他の捜査員に任せて、明日香の後ろに立っている。最初の相手は只野九州男、三十二歳で無職の男だった。

無精髭を剃りもせず、何日かは洗っていないらしく頭髪には脂がぎっとりと浮いていた。口臭は糞便の臭いがした。

「只野さんは百目鬼さんに抗議文を送ったそうですね」

「当たり前だよ。でもまあ、抗議文というよりは講評に対する講評ってとこかな」

「講評に対する講評?」

「あいつがシートに書いた講評がいかに非論理的で、的外れで、無知で、下品なのかを丁寧に書いてやったのさ」

「人格を否定するようなことを書きやがって、殺してやる、とも書いてあったようですけど」

「そりゃあそうさ。俺の作品の価値が分からないヤツなんて、生きててもしょうがないからね。別に俺が手を下さなくても、他の誰かに殺されるか何かの事故でおっ死ぬかのどちらかさ」

只野は傲然と胸を反らす。

「刑事さんは俺の作品を読んだのかな?」

「いいえ」

「何だ、まだなのかよ。ペンネームの天城まひろで書いているから分からなかったかな。読んでくれたら、俺の言ってることはもっともだって理解できると思うよ。『俺がどうしてもこうしてもあの娘を嫁にほしい理由』っていう大傑作なんだ。きっとまだあいつの部屋にあっただろうから、証拠品として押収されてるはず」

大傑作なら、どうして一次の段階で落とされたのかと疑問が湧いたが、口にはしなかった。

「自分で言うのも何なんだけどさ。今まで六年近くワナビやってきたけど、これは本当に会心の出来でさ。出版されたら日本の文学を根こそぎ変えちまうような破壊力を内包してるんだ」

「只野さん、すみません。ワナビというのは何のことですか」

すると只野は露骨に顔を顰めてみせた。

「何だ、そんなことも知らねえのかよ。ワナビってのは英語の〈wannabe〉、そうなりたい。つまりプロ作家を目指す人間のことだよ。ワナビにもヒエラルキーがあって、俺みたいなベテランはハイワナビって分類になる。分かる?」

未だプロになれないベテランというのも意味不明だが、ワナビについて語る只野がひどく苛ついているようなので、深く尋ねることはしなかった。

「それからさー、俺のことはちゃんと天城まひろって呼んでくれないかな」

「でも本名が……」

「だっからあ! クソッタレの親がつけた名前なんて何も意味がないんだって。天城まひろは文学史上に残る偉大な名前なんだ。戸籍上の名前なんかより、ずっとずっと重要なんだよ」

次の尋問相手は近江英郎六十六歳。昼間の公園のベンチに座っているサラリーマンのような、くたびれた男だった。ただしその外見とは裏腹に、口から吐き出される言葉は滑稽なほど威圧的だった。

「何だ、あんたみたいな若い娘がわしの担当か。もっと責任のある役職者はいないのか」

「参考人としてお話を伺うだけですので……」

「それにしても釣り合いというものがあるだろう。わしもずいぶんと舐められたものだな」

「近江さんは百目鬼さん宛てに抗議文を送られたそうですね」

「違うな。抗議文ではなく、無思慮無分別の若造にものの道理を説いてやったのだ」

「ものの道理、ですか」

「左様。あの百目鬼とかいうチンピラは、わしが送ってやった畢生の大作『夕陽への熱き猛る咆哮』に対して、失礼極まりない感想を返してよこした。おそらくわしの筆力や作品の構想に嫉妬したのだろう。まあ、大体フリーライターなどという輩は作家を志望したものの、己の才能のなさに挫折したヤツらなのだから、わしのような才能に嫉妬するのも分からんではないが、いくら腹いせにしてもあの悪口雑言罵詈讒謗の数々は到底許せるものではない。それで、貴様のようなヤツには天誅が下るのだと自然の摂理を説いてやったのだ」

自分の声に刺激されたらしく、近江の口調は次第に熱を帯びてくる。

◇  ◇  ◇

連載一覧はこちら↓
『作家刑事毒島』中山七里

画像3

紙書籍はこちらから
電子書籍はこちらから

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!