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「若き億万長者」と呼ばれて…藤田晋、若き日の激動の物語 #5 渋谷ではたらく社長の告白

高校生のときに抱いた起業の夢。しかし、社長になった彼を待っていたのは、厳しい現実だった。ITバブルの崩壊、買収の危機、社内外からの激しい突き上げ。こうした危機をどう乗り越え、どう成功へと至ったのか……。サイバーエージェント社長、藤田晋さんの代表作で、野心あふれる若者たちのバイブルとして読みつがれてきた『渋谷ではたらく社長の告白』。いま改めて読みたい本作のためし読みを、特別にお届けします。

*  *  *

上場前夜に考えていたこと

幾多の苦難を乗り越え、上場の日が近づいていました。

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私はそのころ、原宿のワンルームマンションをそのまま放っておき、ホテル暮らしに切り替えていました。

テレビで私の自宅も映り、上場すれば若き億万長者と言われていたこともあり、

「いま社長に何かあったら大変ですので……」

社員もそう勧めたのです。私はホテルニューオータニやキャピトル東急ホテルなどを転々と移り住んでいたのです。

上場も間近に迫ったある日、私は証券会社の引受担当者と話していました。

「株価はいくらにしましょうか」

「同業のインターネット会社があれだけ高いんだから、それに見合ったものにして欲しいです」

「今のネット企業の株価は説明できないところまで来てますからねぇ……」

いくらで上場しようが、将来的に目指す会社像はまだまだ大きい。やりたい事業は山のようにある。

軍資金を十分に調達もできないで、株価だけ上がれば大変不利になると考えていました。

結局、会社の株価は1500万円に決まりました。

時価総額で850億円。調達金額は225億円に上ります。

2000年3月24日。当社の設立が1998年3月18日なので、ちょうど丸2年が経っていました。

上場当日。26歳の社長である私は新規上場の晴れ舞台に立とうとしていました。

その日を撮ろうと私には3台ものテレビカメラが朝から密着取材でついて回っていました。表参道のオフィスを出た瞬間、カメラに回りを囲まれ、街行く人が私を覗き込んでいました。

「誰だろう? 芸能人?」

残念ながら私で申し訳ないです。

そんな注目を浴びながら、私はテレビカメラを引き連れて、タクシーに乗り込みました。

「どんなお気持ちですか?」

会う人会う人が興味深げに私に聞いてきます。

「別に……どうってことはないです」

正直に答えて、そうでした。浮き足立った周囲とは裏腹に、私は冷静でした。

会社を始めてわずか2年。創業何十年の悲願の上場とは訳が違います。

これからが大変なんだ……そう自分を戒めていたのです。

「若き億万長者」と呼ばれて

朝9時、証券会社の普通の会議室で、上場のニュースを聞きました。

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初値で1520万円がつき、実に225億円の資金調達にも成功しました。

私個人の保有している株式も値上がりし、26歳にして300億円を超える資産を抱えることになりました。

〈26歳の史上最年少の上場企業社長の誕生〉

〈若き億万長者の誕生〉

報道ではそんな文字が飛び交いました。26歳。クレイフィッシュに先を越されましたが、独立系企業としては史上最年少と言えます。

私はまさに人生の晴れ舞台に立っていたのです。

当時の新規上場は、いつも公募価格の何倍にも初値が跳ね上がるのが常でした。

しかし、1500万円で上場した株価は1520万円で初値がつき、それから大きく跳ね上がることはありませんでした。

〈あれ? なんか変だな……?〉

膨らみに膨らんだインターネットバブルは変調をきたし始めていました。

上場企業の社長となった26歳の私は、その当時、株式市場について何もわかっていませんでした。そもそも自分で株の売買をしたこともなかったのです。

〈まぁ、またそのうち上がるだろう〉

当時はそう思っていました。

しかし、ネットバブルの崩壊が既に始まっていたのです――。

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渋谷ではたらく社長の告白 藤田晋

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