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ただやりたいと思うことを、素直にできなくなったのはいつ頃だろう #2 探し物はすぐそこに

仕事、恋愛、家族、夢。いつも何かが足りない、そう思っていた。人生の迷子になってしまった「わたし」は、思い通りの人生を見つけるため、バリ島へと旅に出る……。ベストセラー『「引き寄せ」の教科書』の著者として知られる、奥平亜美衣さんの小説『探し物はすぐそこに』。スピリチュアル好きの人も、そうでない人も、人生に悩んだらぜひ手に取りたい本書より、物語のはじまりをお届けします。

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その間にいくつか恋愛もして、甘い思いも、痛い思いも、それなりに経験したけど、結婚に至ることはなかった。一度うまくいかなくなったり、どうしても嫌だったり許せないようなことが起こると、そこから修復しようとか、それでも関係を続けようとかいう気力が湧いたことがない。

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つい二ヶ月ほど前にも、三年ほど付き合った二歳年上の彼と別れたばかりだった。彼の名前は徹といった。三年も付き合うと、最初の頃の熱量がお互いになくなってしまうのは仕方ないとしても、もう普通に優しくすることもできなくなっていた。

そして、それは最初からなのか、月日が経ったからそう思うのかはわからなかったが、どうしてもこの人と生きていきたい、この人でないといけないという思いが湧いてこなかったのだ。それでもなんとなく、好きか嫌いかと言われれば好きだったし、別れる理由もなかったから付き合っていた。

そんな折、「他に好きな人ができた」と言われてあっさり関係は終わった。その時は当たり前にあるものを失った喪失感や、すでに三十歳を超えた女性だったら誰もが抱くだろう、これからわたしは結婚できるのだろうかというような不安に襲われて悶々とした日々を過ごしたけれど、その波が過ぎ去って残ったのは、この別れは心のどこかでわたしが望んでいたことかもしれない、という思いだった。

それは決して強がりではなく、ただこの一件で自分の心をもっと見つめる機会になったという穏やかなものであった。

結婚しないならば、男女の間の愛って何のためにあるのかも、よくわからない。気持ちが盛り上がるのは、いつだってそれほど長くはない時間だけだ。そして、それが終わったら、あれはなんだったのだろうという気持ちになって、それは気の迷いでありほんとうのことではなかったとさえ思うようになる。

わたしにはちょっと情が欠けているのかもしれないし、もしかすると、これまで恋愛らしきものをしてきただけで、この歳になってもほんとうに人を好きになったことなどないのかもしれない。

どうやったらみんなこの人と結婚するって決められる瞬間や理由があるのか、不思議でしょうがない。

縁があったらそうなるのかしら? そして、縁ってなんだろう? たぶんわたしはまだ、結婚までするような縁のある人に出会っていないだけだと思うようにしている。

父親も母親も、わたしに結婚してほしいと思ってはいるだろうけど、それなりの会社で頑張っていればそれほどうるさく言ってくることはなかったし、友達には仕事が面白くて好きなの、と言っておけば、それ以上深入りしたりお節介を焼いてくることは東京ではあまりなかった。みんな結局、自分のことに一番興味があるし、自分のことで精いっぱいなのだ。

そうやってなんとかわたしは、人生をちゃんと生きているフリをしているのだった。

十年前ここへ一緒に来た仲間とは、同じ大学を卒業し、これから社会に出ようと同じスタートラインに立っていたはずなのに、わたしには思い入れもなく淡々とこなすだけの仕事しかなくて、彼女たちにはすべてがあるように思える。

わたしはいつも何かが足りない、と感じていた。自分の人生についてでさえも、わからないことだらけだった。間違えて行き先の違う電車に乗ってしまって、わたしの人生のレールはどこか別のところに延びているように思えた。

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ただやりたいと思うことを
素直にできなくなったのはいつ頃だろう

空港には、予約したホテルのスタッフが、「谷口由布子様」と漢字で書かれたボードを持って迎えに来てくれていた。いかにも南国の人、といった浅黒い肌だったが、顔立ちは外国人という感じはあまりしなくて、色の黒い日本人だと言われてもわからないような印象だった。スラッと背が高くて綺麗な白い歯をした好青年だった。

白いサテン地に薄い茶色で縁取りされたスカートみたいな腰巻きと、学生服のようなスタンドカラーのベージュの清潔な上着、飛ぶ鳥のような形をした頭の被り物をつけたその姿は、バリの正装を模したホテルの制服なのだろう。

その姿からは、仕事中だというきびきびとした感じが伝わってきて心地よかった。

それは、わたしが仕事に対して持っている姿勢とあきらかに違うものを彼が持っていることを示していた。おそらくバリ島の平均よりはかなり高いお給料をもらっているのだろう。そのことに対する誇りや、自分に対する価値をちゃんと自分で認識しているようだ。

わたしはその姿に眩しさと、軽い嫉妬を覚える。

「はじめまして、わたしの名前はアグンです。バリは初めてですか?」

わたしよりは少し若いであろうその青年の礼儀正しい態度と綺麗な日本語に、海外に来たという緊張が少しほぐれる。

「バリ島は二回目なんです。空港があまりにも変わっていてびっくりしました」

「そうですよね、地元の人もびっくりしているんですよ。車を呼んできますので、ここで待っていてください」

と言って、アグンは携帯電話を取り出し運転手と連絡をとり始めた。


ホテルは大奮発して、ウブドに新しくできたという高級ホテルを予約した。

この歳になるまで真面目に働いてきて、多少の貯金はある。これも、なんのために貯金しているのか自分でもよくわからないけれど、年々増え続けている。でもこんな時、安宿ですませるのではなくて、自分のためにいいホテルを予約するというくらいには、お金の使い方も覚えたつもりだった。お金がもたらしてくれる豊かさや癒しもたしかにあるのだから。

迎えに来てくれたガイドさんの、爽やかできっちりとした、そして優雅ともいえる立ち居振る舞いも、このホテルを予約し、それなりの料金を支払ったからこそ感じられるものだ。

「日本語がほんとうに上手ですね」

と言うと、

「前世が日本人だったんですよ」

アグンは敬語を崩すことなく、でも、親しみを込めた笑顔でそう言った。

言い方は少し冗談ぽく、こちらが前世のような誰にも証明できない話を信じるかどうかを確認するような口調だったが、彼のほうは間違いなく本気でそう思っていることが伝わってきた。

「前世?」

前世なんて意識したことがなかったので、その聞き慣れない言葉に少し面食らう。でも、この土地で、バリの正装をきちんとした人が「前世が」と言い始めると、もしかしたらそういうのもあるのかもしれないな、と少しだけど思えるから不思議だ。

「最初は日本語ができれば仕事に困らないだろうと思って、勉強を始めたんです。その時、フランス語も一緒に勉強し始めたんですが、フランス語は今でもほんの少ししかできないんですよ。でも、日本語はあっという間にできるようになって、今では漢字もかなりわかるようになりました」

そして、アグンは少し遠い目をした。説明ができないけれど、確信があるという眼差し。

「語学が得意でもないし、日本に行ったこともありません。でも日本語は前から知っていたとしか思えないスピードで話せるようになったんですよ。あの時のことは、今でもよく覚えています」

その感覚は、少しわかる気がした。わたしも小さい頃、そんなに教えてもらわなくても、手芸や編み物ができたりしたっけ。小学生や中学生の頃、買ってもらうものは、手芸の本か材料ばかりだった。

高校生になってから、初めて買ってもらったミシンで当時流行っていたテディベアの布で小さな鞄を作り、それを使っていたら学校でちょっとした評判になって、「わたしも欲しい!」とたくさんの友達にお願いされて、毎日夜更かししてまでたくさん作っていたことを思い出した。

三人姉妹の一番上だったわたしは、めったに両親に高いものをねだったりした覚えがないのだけど、この時は、「ミシンが欲しい」と言うとあっさりと買ってくれてびっくりしたのを今でもはっきりと覚えている。そのうちに鞄などの小物だけにとどまらず、服まで作っていた記憶もある。

あの時のミシンは、大学で一人暮らしする時にも実家から持ってきて使っていたが、いつの間にか、収納棚にしまったまま出す機会が減っていった。社会人になってからは、親戚のこどもへのプレゼントにワンピースを作った以外は、ほとんど手をつけていないように思う。

ただやりたいと思うことを素直に行動にうつせなくなったのはいつ頃からだろう。時間だったり、お金だったり、周囲の人にどう思われるかだったり、いろんな理由をつけては、だんだんとその機会は減っていった。

こどもの頃は一緒だった心と頭と身体が、今は、別々に動いているように思う。

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