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「白い巨塔」を飛び出して…医療制度の深部を鋭く描いた人気シリーズ! #4 孤高のメス

当麻鉄彦は、大学病院を飛び出したアウトサイダーの医師。国内外で腕を磨き、一流の外科医となった彼は、民間病院で患者たちの命を救っていく。折しも、瀕死の状態となった「エホバの証人」の少女が担ぎ込まれる。信条により両親は輸血を拒否。はたして手術は成功するのか……。現役医師でもある大鐘稔彦さんの人気シリーズ『孤高のメス』。その記念すべき第一巻の冒頭を、特別にご紹介します。

*  *  *

「実態を知らん……?」

羽島は語尾を跳ね上げた。

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「はい。たとえば、直腸癌が子宮や膀胱にまで浸潤していることがあります。骨盤内臓全摘をやれば除けるのですが、これをやってのけるには、消化器外科の技術だけでは及びません。回腸導管による代用膀胱まで造るわけですから、婦人科や、さては泌尿器外科のテクニックも要します。全科を兼ね備えた総合病院ならいざ知らず、一万弱あると言われる日本の病院の七割を占める民間病院で、それだけのマンパワーを備えているところは限られているのではないかと思うのです。

すると、こうした症例は大多数の病院で切除不能とされ、人工肛門だけつけておしまいということになりかねません。あるいは、はじめから手をつけず、がんセンターか、ウチのような所へ紹介、ということになります」

「それで、いいんじゃないか」

「……しかし、それではいつまでたっても地域の医療レベルのアップは望めません。一方で、地方の民間病院にとっては、経営的な問題も深刻です。現行の保険制度は、高度医療に高い点数を配する仕組みになっています。つまり、大手術をより多く手がける病院が淘汰されて残り、少し厄介な患者は他に送ってしまって、小手術のみ細々と手がけている病院は、単価が上がらず、経営的にも困難な状況下に置かれつつあります」

「何だ、君は学問一筋の男かと思っていたが、いつの間に経営学にまで関心が及んだのかね?」

羽島のうすら笑いを浮かべた口もとにも、かすかな皮肉がこめられていた。

「地方の民間病院に出張していた間、院長からも、職員からも、そうした、危機感と言いますか、慨嘆と言いますか、そんなものをよく聞かされました」

先代の山中重四郎が見越した通り、日本の医療は“机上の学問”を主体としたドイツ医学から“臨床の実践”を重視するアメリカ式のそれに変貌しつつあった。その表れが「認定医」「専門医」「指導医」といった、臨床経験とその実績の評価に基づいた資格制である。

山中の時代には、大学病院といえどもありとあらゆる患者が飛び込んできたから、修練士六年間を大学で過ごしたとて、「外科認定医」の資格を取ることはさほど困難ではなかったろう。しかし、山中の意図に反し、「消化器病センター」に虫垂炎、脱腸、痔等、地方の一般病院ではありふれた症例が飛び込むことは滅多になくなっていたから、こうしたマイナーな手術例も研修項目として必須と課す「外科認定医」の資格を得るために、修練士達は最低一年、地方の第一線病院に出張せざるを得なかった。

「で、要するに君は、そういう地方の病院でオールラウンドに患者を引き受ける医者になりたい、だから武者修行に出る、という訳かね?」

「はい」

当麻は毅然として言い放った。

「そうか……」

羽島は気勢をそがれたように顎をしごいた。

「精々、一年で駄目か?」

当麻は一瞬耳を疑ったように羽島を見直した。

「いや、一年ならな、出張扱いに出来なくもないと思ってな」

「ハァ……」

「二年は、いくらなんでもちょっと長過ぎる。そういう前例を認めると、医局の規律が乱れる恐れがあるからな。何とか一年以内におさえられないか?」

当麻の顔にありありと困惑の色が浮かんだ。羽島は畳みかけた。

「思い立ったが吉日という奴か知らんが、どうも君は少しばかり血気に逸り過ぎている。しかし、もう乗りかけた船をとめる訳にはいかんようだから、取り敢えずは船出するがいいだろう。そして、最初の寄港地、ま、つまり、癌研だが、そこにしばらく通いながら、来し方行く末にじっくり思いを馳せることだな。そこからまた次の港に向かうか、引き返すか、そのへんは流動的にしといたらどうかね? もう絶対引き返さない、否、引き返せない、などと気負わずにな」

「はい」

いくらか険しかった先刻までの表情が一変して、羽島の面ざしが柔和になった。

「先生のご温情、身にしみてありがたく承りました」

「ウム。君の生き方は、時代の流れに逆行しているようにも思えるが、しかし、考えようによっては、君のような人間もいないと、日本の医療は底上げされんかも知れんな」

羽島は最後の逡巡を断ち切ったかのように相好を崩し、やおらその大きな手を差し出した。

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卒業した修練士たちのその後の消息は、大学に残った連中やスタッフの間で折に触れ話題にのぼった。

彼らの関心を最も惹いたのは、早々に開業した仲間達のことで、中でも、三、四人の卒業生が、土地の提供者として地元の地主を共同経営者に引き入れて百床規模の病院を建てたらしい、との情報は、多少のやっかみが混じった好奇心を大いにあおった。

地元の医師会ともめているらしいとか、早くも仲間割れを生じ、さっさと個人開業に走った奴もいるらしいとか、さては、オペをミスって医療訴訟になりかけているらしい、等々、あらぬ噂がもっともらしく取り沙汰された。

当麻鉄彦の話題は、それよりははるかに控え目に、時折、誰の口からともなく持ち出された。

「癌研には間違いなく行ってるようだ」

「あそこには“見学者名簿”てのがあってさ、全国アチコチからの見学者が名前を書き入れているらしいんだが、当麻の名前が断トツ目立ったそうだぜ」

だが、半年もすると、こうした風聞も、ほんのたまにボソッと誰かの口にのぼる程度になった。それはたまたまどこかの学会であいつを見かけたとか、癌研の見学者ノートに最近は当麻の名は見当たらないとか、東京にはもういないらしいぜ、といったまことしやかなものだった。

その実当麻は、まだ東京にいた。

国立がんセンターの手術室を頻繁に往来する彼の姿は、やがてセンター内で好奇の目で見られるようになった。

手術室での当麻は、単にざっと手術を見ているだけでなく、大きな大学ノートを携えてしきりにスケッチやメモに専念していた。

夏が過ぎ、秋も終わり、東京では雪を見ないままその年も明けた。

数百枚の年賀状が束になって羽島の許に舞い込んだ。それをめくり始めて間もなく、羽島の目は一枚の葉書に吸いつけられた。

差し出し人の住所は「熊本県阿蘇郡小国町北里」になっている。

(人並みに、正月は郷里で過ごしちょるか?)

羽島は思わず微笑を漏らし、それから万年筆の添え書きに見入った。

「癌研に半年、その後、国立がんセンターで主に肝臓と胸部外科のオペを見学しています」

(何だ、まだ東京におるんだ!)

羽島は返事を認めるために筆をとった。

「賀状、懐かしく拝見。武者修行の成果を期しつつ春を待つ。約束通り、一年は待つ」

正月が明けると、羽島はもう当麻の賀状のことも、認めた返事のことも忘れた。思い出したのは、新たに卒業が迫っている修練士六回生に、実技試験で膵頭十二指腸切除のオペレーターをさせた時だった。

六回生修練士にPDをやらせることは滅多にない。通常は胃の全摘術を滞りなくこなせば合格である。PDをあてがうのはよほど優秀な修練士に限られ、これまでは当麻鉄彦にさせたくらいだ。

腹膜を電メスで開き、腹腔があらわになった時、オペレーターは「アッ!」と息を呑んだ。相当量の新鮮な血液が胃や腸を覆っていたからである。

「アレっ! 経皮経肝胆道ドレナージの時の出血でしょうか?」

執刀医が慌てて吸引管を手に取るのを、

「馬鹿もんっ! 古い血じゃないっ! 今出たばっかしの血だっ!」

と羽島はすかさず怒鳴った。

「大網に切り込んだんだ。PTCDをやってるんだから、ネッツと腹膜に癒着があることくらい当然予測できただろ!」

「あ、はい……」

修練士はすっかり萎縮し、指先がかすかにふるえ始めた。

「駄目だ! 出直しだっ!」

羽島は荒々しく吸引管を取り上げて泥状の血液を吸い上げ、ネッツを引き上げた。その一部がふくれ上がって大きな血豆のようになっている。

「見ろっ! ここだっ!」

羽島が指を突き立てた。

「はい、済みません」

若い医者はうなだれてますます身を縮めた。早くも額に汗がにじみ出ている。

「執刀はお預けだ。代われ」

修練士はしゅんとしてマスクの下で唇をかみながら持ち場を離れた。羽島が入れ代わった。

(そうだ! 当麻鉄彦、一年前あいつにPDをやらせたが、ものの見事にやってのけたっけ!)

去って行った愛弟子の手の動き、鋏や直角剥離子の扱いの巧みさに思わず見とれた日のことを思い出した。

(前立ちをやらせても、あいつは“あうん”の呼吸でついて来たが、まったく、こいつと来た日にゃ!)

「顔を上げて首筋を立てろっ! 俺に頭突きを食らわせる気かっ!」

前屈みになり勝ちな相手の頭が自分の顎を突き上げんばかりに近付く。羽島が一番不快とする姿勢だった。

(その点、当麻は、背筋も首筋もシャンと伸びていた。まったく、見てて気持ちがよかったよ)

ネッツの処理にかかりながら羽島はひとしきりブツクサと胸の中で独白を繰り返した。

◇  ◇  ◇

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孤高のメス 外科医当麻鉄彦 第1巻

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