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どう考えても拷問…人間の業と出版業界の闇を暴く痛快ミステリ! #1 作家刑事毒島

新人賞の選考に関わる編集者の刺殺死体が発見された。三人の作家志望者が容疑者に浮上するも、捜査は難航。そんな中、助っ人として現れた人気ミステリ作家兼、刑事技能指導員の毒島真理が、冴え渡る推理と鋭い舌鋒で犯人を追い詰める……。人間の業と出版業界の闇を暴く痛快ミステリ、『作家刑事毒島』。『さよならドビュッシー』を始め、人気作多数の中山七里さんが贈る本作より、第一話「ワナビの心理試験」の一部をご覧ください。

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「どう考えても拷問だよな、これ」

文芸の新人賞に応募してくる人間の九割は、小説など碌に読んでこなかった連中に違いない。本日最初の原稿に目を通すなり、百目鬼二郎はいつもと同じ愚痴をこぼした。

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いやしくも小説家になろう、自分の書いた小説をプロに評価してもらおうというのだからそれなりの読書経験の持主が投稿してくるだろうというのは、事情を知らない者の浅はかな思い込みだ。

ストーリーに破綻はないか、人物造形に無理はないか――というレベルではない。てにをはの間違いや語彙の選択にも目を瞑ろう。誤字脱字もこの際無視しよう。

だが原稿一枚を読むだけで頭が痛くなってくるのは致命的だ。一文がまともでも、連なりがぎくしゃくしており、あらゆる箇所で引っ掛かる。書き手が意図的にそうしているようにも思えず、ただ言語感覚が狂っているとしか考えようがない。他の下読みに聞いてみても、皆同様の感想を持っているので、これは百目鬼の偏見ではないだろう。

いや、中には文章以前の問題を抱えている原稿さえ散見される。

原稿数百枚に亘って延々と記号のみを書き連ねたもの。

円形の原稿用紙を自作し、唐傘連判状のごとく放射状に書いたもの。

本文の前、自身のプロフィールに原稿二十枚を費やしたもの。

この作品がいかに文学史における大事件であり、自分の才能がどれだけ既存作家を超越しているかを縷々述べたもの。

アニメ化された際の参考にと設定資料やらフィギュアやらを同封したもの。

ここまでくると言語感覚どころか、常識から疑わざるを得ない。

それにしても、文章の不得手な人間が何故新人文学賞に応募しようなどと思うのか。喩えて言うなら、運動のできない者が競技大会に出場しようとするようなものではないか。キャッチャーミットまでボールの届かない投手がプロのマウンドに立とうとするようなものではないか。

公募の文学賞が、作家を目指す者にとってほとんど唯一の登竜門となって久しい。ひと昔前はマンガと同じように持ち込みという制度もあったが、今はどこの出版社も忌避している。そのためか現在は中央の著名な賞で二十数個、地方文学賞も合わせれば三百近くのタイトルが乱立している。

百目鬼が〈小説すめらぎ新人賞〉の下読みを担当するようになったのは、勤めていた出版社を退社してフリーになった直後からだった。他社であっても編集者は横の繋がりがあり、昭英社の知り合いが仕事を回してくれたのだ。

以前の勤め先ではもっぱら作家の担当をしていたので、公募に関わる機会がなかった。だから新しい才能を発掘する仕事に就いたのは、ささやかながら優越感をもたらした。自分の審美眼が文学界を変革するかも知れないという可能性に、軽い眩暈さえ覚えた。

しかし、それは全くの幻想に過ぎないことがすぐに分かった。自分のくじ運が悪いのかそれとも全体のレベルが低過ぎるのか、百目鬼宛てに送られてくる応募原稿はどれもこれも小説以前のものばかりだったのだ。

応募作一つ一つに選考者の評価シートを添えるのが〈小説すめらぎ新人賞〉の特長になっている。そして、その特長ゆえに応募総数が毎回更新されているが、下読み担当にしてみれば堪ったものではない。評価シートを作成して、はじめて一本あたりの手数料を編集局に請求できるからだ。応募原稿の規定は四百字詰め原稿用紙三百五十枚から八百枚。下読みの手数料は枚数に関係なく、一本で五千円。つまり一枚読んだだけで頭の痛くなる原稿を最悪八百枚も読まされて五千円ぽっちしか受け取れないのだ。評価シートを書かなければならないので、もちろん途中でギブアップすることは許されない。

プロ作家の文章に慣れ親しんでいた百目鬼にとって、それはまさしく拷問だった。世の中にはカネを積まれても要らないものがある。応募原稿はそのうちの一つだった。

とにかく、段ボールひと箱分の原稿を処理しなければカネを払ってもらえない。おまけに締め切りという優先順位があるので、他の仕事に着手できない。百目鬼は呪詛の言葉を吐きながら応募原稿を繰り始める。

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ペンネーム天城まひろ(三十二)、無職。何だ、またニートかよ。『俺がどうしてもこうしてもあの娘を嫁にほしい理由』。何だ、これ。俺ツエエ系の異世界バトルでハーレムで、おまけに承認欲求丸出しじゃないか。三点リーダにエクスクラメーションマークにクエスチョンマークだらけ、フォントの変換までしやがって、マンガ描いてるつもりか。ひっでえ文章だな。比喩表現一つもないのに、どうしてこんなに読みにくいんだろう。ネーミングすごいな。主人公が春樹なのはいいとしてもヒロインがカナデで、あとはイレーヌにアンジェリカっていったいどこの国を設定してるんだよ。こいつ、義務教育受けてきたのかな。ニートだよなあ、下手したら受けてないのかも知れんなあ。頭どころか目までくらくらしてきたぞ。

何、「第一章 完」だと。た、たったの五枚で一章終わりかよ。プロローグかな。えっ、第二章も十五枚で終わってるじゃないか。ああっ、三章も四章もだ。馬鹿か、こいつは。これ、どう考えてもラノベかそれ以下だよな。完全なカテゴリーエラーだよな。いや〈小すめ新人賞〉って対象がエンタメ全般、ジャンル不問だから、こういうのもカテゴリーエラーじゃないんだよなあ。でも〈小説すめらぎ〉って一般文芸誌だぞ。一般文芸の公募にラノベ出すのは別の意味でエラーなんだけど。やっぱりジャンル不問にすると、絶対にSFとかファンタジーが紛れ込んでくるんだよなあ。ノンジャンルはきついよなあ。ミソクソのクソの部分が更に拡がるからなあ。こりゃあ評価シート、相当辛口にしないと懲りないだろうな。

次、ペンネーム近江英郎。本名同じ(六十六)。定年オヤジだな。『夕陽への熱き猛る咆哮』って、何だこの昭和感ばりばりのしかも長ったらしいタイトルは。

げっ、主人公、作者と同じ名前じゃないか。六十六だってのに何ちゅうナルシシストだよ。企業ものかあ、何か知らないけど会社の沿革が延々と続くなあ。続くなあ。続くなあ。あと何枚続くんだよ。工業製品のシェアなんてどうでもいいよ、そんなの。それにしてもまた地味な業界選んだな。どうせ舞台設定するなら、航空業界とか証券業界とかもっと派手な業界選べばいいのに。いったい主人公、どこで何してるんだよ。

あ、やっと会話文が始まったか。駄目だ、主人公がやたらにカッコつけてるのにサブキャラが紋切り型過ぎて薄っぺらいにも程がある。主人公だけが目立つ書き割りみたいな話になっている。うん、派閥抗争? 何で窓際部署に追いやられたヤツが派閥抗争に巻き込まれるんだよ。どうして窓際の冴えないオッサンに入社したての女性社員が言い寄ってくるんだよ。これじゃあ、さっきの俺ツエエと構造が一緒だ。このオッサン、いい齢こいてラノベ脳かよ。齢も齢だから、もう一刀両断にしてやった方が親切ってものだよな。

ええっと、次は『あしたのあたしはきっときょうのあたしではない』。うわ、もうタイトルだけで読む気が失せるな。書いたヤツはどんなだよ。ペンネーム藍川しおり(二十六)――あっ、藍川しおりって俺が講師をしている小説講座の受講生じゃないか。あいつ選りにも選って〈小すめ新人賞〉に投稿してきたのかよ。困ったな、彼女を予選通過させたら俺が手心加えたように見られかねないな。

こういう場合は落とした方が後腐れないな――待てよ、評価シートは俺の名前が入るから、講座で顔を合わせたら面倒な話になる。まあ、予選通過させても面倒な話になるのは同じなんだが――畜生、どっちのデメリットが大きいんだ。下読みの仕事は鬱陶しいけど、これがなくなると結構痛いんだよな。うーん、こうしていても始まらんからとにかく読んでみるか。ああー、これ、例によって自分探しの話だ。勘弁してくれよ、もう。

杉並区阿佐ヶ谷南の工事現場脇で、刺殺死体が発見されたのは四月七日午前零時五十分のことだった。

出動命令を受けた高千穂明日香が現場に駆けつけると、既に杉並署と麻生班の面々が顔を揃えていた。

「お疲れ様です」

先輩の犬養を見つけたので駆け寄る。捜査一課に配属されてまだ半年。トレーナー役の犬養はいけ好かない男だったが、検挙率は男性容疑者に限れば警視庁でも一、二を争う成績なので教えられる側の明日香も従うしかない。

犬養はくいくいと人差し指で明日香を招く。行く先はブルーシートで拵えられたテントの中だ。

「もう検視が終わった頃だろう」

テントの中に入ると、御厨検視官が死体の傍らに屈んでいた。死体は丸裸にされ、血の気を失った肌に胸の傷痕がひどく生々しい。

「急所を一撃。背中から入った凶器が胸を貫通している。死因は失血死だな。司法解剖に回すが、まず間違いあるまい」

「ずいぶん力のある犯人なんですね」

思わず口にした。倒れているのは三十代男性。見るからにがっしりとした身体つきで、格闘となれば組み伏せるのも簡単ではないだろう。胸板も厚い。凶器で背中から一気に貫いたのであれば、相当な腕力の持主と思えた。

「凶器もやや特殊だった。見るか」

御厨が取り出したのはポリ袋に収められた刃物だった。全長はおよそ二十センチ程度。巨大なアイスピックといった形状で、先端が鋭く尖っている。

「有尖無刃器の見本みたいな凶器だな。事件が解決した暁には、資料として保存しておきたいくらいだ」

血塗れの凶器を目の当たりにして、一瞬足が竦んだ。御厨からポリ袋を受け取ったのは犬養だった。

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『作家刑事毒島』  中山七里

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