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目指すは「時価総額10兆円」…藤田晋、若き日の激動の物語 #4 渋谷ではたらく社長の告白

高校生のときに抱いた起業の夢。しかし、社長になった彼を待っていたのは、厳しい現実だった。ITバブルの崩壊、買収の危機、社内外からの激しい突き上げ。こうした危機をどう乗り越え、どう成功へと至ったのか……。サイバーエージェント社長、藤田晋さんの代表作で、野心あふれる若者たちのバイブルとして読みつがれてきた『渋谷ではたらく社長の告白』。いま改めて読みたい本作のためし読みを、特別にお届けします。

*  *  *

早くも見えてきた上場

株価はさらに上がり続けていました。季節は冬に変わろうとしていましたが、渋谷周辺の街はさらに熱気を増していきました。

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会社をつくって1年9ヶ月。

早くも上場が見えてきたのです。

そんなときに受けた『週刊ダイヤモンド』の取材中、私はあることを思いつきました。

「上場を目指す理由はなんですか?」

「やはり知名度ですね。採用に有利ですし」

「なるほど、ではインパクトのある上場をしないとですね」

「そうです。私が最年少だから話題になると思いますけどね」

上場を目指す理由は、1に知名度、2に軍資金でした。まだ会社を始めてわずか1年9ヶ月です。上場は更なる拡大へのステップアップと考えていました。

「投資家は御社のビジネスを理解できますかね?」

「うちに投資した宇野社長は、ビジネスではなく私という人間に投資をしました。マザーズのようなベンチャー市場では社長の人柄を知るほうが大事なのではないでしょうか?」

「じゃ、人柄をPRしたらいいですね」

「……そうだ。本を出そうかな、上場の日にあわせて」

「いいですねぇ! うちでやりますよ、それ。最高に優秀な編集者をつけますから」

思いつきで言った言葉がきっかけで、本を出すことが決まりました。当時のインターネットブームと、史上最年少の上場企業社長の誕生。本が売れる条件は十分そろっていました。

そうしてできた本が『ジャパニーズ・ドリーム』です。当時なりに一生懸命書きました。

私の目標は「21世紀を代表する会社をつくること」です。これは昔も今も変わりません。ただ、マスコミの取材を受けて答える際に、「年商10億円」とか、「史上最年少上場」などといった言葉に比べてインパクトが弱いと思っていました。

〈何か「21世紀を代表する会社をつくること」を社内外にわかりやすく伝えるよい言葉はないかな……〉

そんな風に考えていたときに私が注目した指標は“時価総額”でした。

当時、インターネット企業の株価が高騰を続ける中、ヤフーの時価総額は1兆円になったとか、ソフトバンクの時価総額が○兆円を超えたとか言われて話題になっていました。

そのとき、時価総額で10兆円を超える会社はソニーとNTTドコモとトヨタだけでした。

20世紀を代表するソニーやホンダのような規模で、広く社会に影響を及ぼす会社を目指していた私にとってうってつけの指標でした。

「時価総額10兆円を目指します!」

私はマスコミの取材でそう答えるようにし始めました。

志は高ければ高いほどいい

新聞や雑誌では、その言葉が何度も取り上げられました。

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26歳。高すぎる目標設定。しかし、私は若く、怖いものはありませんでした。

志は高ければ高いほどいい。

12月。目の回るような怒涛の日々。

そんなある日、一本の電話がかかってきました。

「藤田です」

「藤田社長ですか?『日経ベンチャー』の編集部です。当社で毎年主催している“ベンチャーオブザイヤー”という賞があるのですが……」

「はい、知ってます」

「それに御社が選ばれたんですよ」

「ほんとですか? ありがとうございます」

「それもかなり上のほうなんです。表彰式にはぜひいらっしゃってください」

「はい、お伺いさせていただきます」

大手町の日経フォーラムで行われた表彰式。サイバーエージェントは1999年ベンチャーオブザイヤー未公開部門第2位に選ばれていました。第1位は楽天でした。

その控え室で、私は初めて三木谷浩史社長と面会しました。

同じインターネット業界。マスコミのインターネット関連の報道ではたびたび一緒に登場していました。その日も、私にはテレビカメラが密着取材中です。

「はじめまして、三木谷です」

「はじめまして」

「こういうのって、面倒だよね」

三木谷社長は笑って言いました。私が思っていたより、ずっとフランクな人でした。でも何故か私には優秀な経営者を会ってすぐ見抜く力が備わっていたようです。その発する雰囲気から、ただものではないことを悟りました。

「三木谷社長と初めて会って、印象はいかがですか?」

「優秀な経営者って、会うとすぐわかるんですけど、三木谷社長はそうでした」

「それで?」

「でも来年はぼくが1位になりたいですね」

テレビカメラの前で私はそう答えていました。

来年、2000年の12月に自分がどんな状況に置かれているのか。

そのときまったく想像もできていなかったのです。

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渋谷ではたらく社長の告白 藤田晋

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