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借りられるだけ借りるがいい…青年実業家の復讐と野心を描くミステリー巨編 #5 天国への階段

家業の牧場をだまし取られ、非業の死をとげた父。将来を誓い合った最愛の女性・亜希子にも裏切られ、孤独と絶望だけを抱え上京した柏木圭一は、26年の歳月を経て、政財界注目の実業家に成り上がった。罪を犯して手に入れた金から財を成した柏木が描く、復讐のシナリオとは……。ハードボイルド小説の巨匠、白川道さんの代表作として知られる『天国への階段』。ミステリ好きなら一度は読みたい本作より、一部を抜粋してご紹介します。

*  *  *

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電話を終えたとき、ドアがノックされた。児玉が顔を出す。

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デスクから離れ、柏木は部屋の中央の応接ソファに腰を下ろした。児玉にも目で促す。

「想像以上に酷いようですね」むかいのソファに座るなり、児玉がいった。「近ごろでは、利払いのための借金にも追いまくられているようです」

うなずき、柏木はネクタイの結び目をゆるめながら身を乗り出した。

「それで、片岡の返事は?」

「了解とのことです。社長に、くれぐれもよろしく、といってました」

濃紺のスーツをきちんと着こなし、身じろぎもしない姿勢で児玉が答える。

「わかった。あとのことは俺がやる」

二週間前に新橋の街金融屋、「片岡ファイナンス」に江成達也が借金の申し込みをした。それを教えてくれたのは横矢だった。

江成興産が借金に喘いでいるというのは、貸しビル業界ではすでに知れ渡った話だった。ご多分に洩れず、バブルのときに手を広げすぎたのが完全に裏目に出た結果である。持ちビルのいくつかを整理し、なんとか態勢の立て直しを図ってはいるようだが、街金融にまで借金の依頼をするからには相当に追い詰められているのだろう。

「片岡ファイナンス」は、業界でも中堅どころの金融屋として名が通っている。堅実な経営で、後ろに危ない筋のヒモもついてはいない。そんな点を考慮した上での江成の借金の申し込みだろう。

すぐに柏木は片岡に電話を入れ、その真偽のほどを確かめた。

片岡勉とは、むかし地上げをやっていたころに知り合い、以来一緒に何度か仕事もしたことがあり、柏木は信用のできる男との評価を下していた。

少し考えさせてほしい――。そう江成には返答した、と片岡はいった。しかし彼の肚は決まっていた。融資を断るのだ。江成達也は、江成興産の実質的オーナーであると同時に、衆議院議員という金看板をも併せ持つ大物である。門前払いにできるものでもないだろう、と片岡は笑いながら事の仔細を柏木に教えてくれた。

江成が片岡に申し込んだ借金の額は五億。片岡に話を聞いた翌日、柏木はその話を受けてくれるよう、彼に依頼した。融資の資金は、迂回して「カシワギ・コーポレーション」が出す。ただし、条件として、江成の妻の実家である、北海道の寺島牧場を担保に入れる……。

視線を宙に浮かし考え込んでいる柏木を見つめながら、児玉がつづける。

「しかし片岡社長の話では、浦河の牧場にはそんな値打ちはとてもないとのことでした。それにすでに地元の金融機関からは抵当権が設定されているようですし……」

「よけいなことはいわなくていい」

ピシャリと児玉の口を封じて柏木は話題を変えた。

「ところで、このあいだの東麻布の物件はどうだったんだ?」

二週間ほど前に他の業者から持ち込まれたマンションの売り物件について問いただす。

これ以上新たなビルを所有するつもりはなかった。すでに五つ所有するビルから上がるテナント収入と、時々持ち込まれる不動産物件の売買をこなすだけで会社は十分に潤っている。児玉には、主としてマンションの物件に目をむけるよう命じていた。

「難しいとおもいます」

児玉がちょっと首を振り、これまでに調べた内容を柏木に報告した。児玉の数字の記憶力には柏木も一目置いている。彼の頭のなかには、書類を見るまでもないほどにたくさんの重要な数字が刻み込まれている。

「じゃ、打ち切ってくれ」

難しい、と児玉が判断したのならあえて口をはさむ必要はない。

それから三十分ほど、他の物件についても協議を重ねた。どれも虫食いで、手を入れるとなると時間も手間も相当にかかりそうな代物だった。

「しばらく静観だな。いい話もそのうち転がり込んでくるだろう。なにしろ今の景気じゃ、他がどういおうと、こっちが主導権を握ってる」

「そうですね」

児玉が口もとに笑みを浮かべた。

江成のところばかりではなく、どの業者も青息吐息だ。まだ十年と経っていない、ついこのあいだの景気が嘘のようだ。

金を借りたのが失敗だった……。酔っ払うと必ずそう吐き出すように口にした父の圭吾のことばが柏木の耳にはこびりついている。バブルの最盛期でも、他の業者のように、うかれて借金に借金を重ねるというような愚をおかさなかったのは、その父のことばを片時も忘れたことがなかったからに他ならない。したがって事業資金は、借りてもすぐに返済した。だからこそ、バブルが崩壊しても、「カシワギ・コーポレーション」は生き残れたのだ。

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「今年の夏は暑そうだな」

応接ソファから腰を上げて窓辺に寄り、柏木はブラインド越しに外の景色に目をやった。

林立するビル、眼下の大通り、それらの上空から夏を予感させる午後の陽が降り注いでいる。

外苑西通りに面した広尾四丁目。「第五カシワギビル」は、敷地三百坪の上に建てられた十五階建てのビルである。

ビルの顔である一、二階は名の通った外資系の損保会社に、三階から十二階までは名よりも経営の安定している企業に貸し、そして、その上の十三階から最上階までの三フロアを「カシワギ・コーポレーション」が占めている。

五年前、建設の行き詰まっているビルがあるといって横矢がこのビルの話を持ち込んできたときは、どうすべきか迷った。

「カシワギ・コーポレーション」はすでに四つのビルを所有していた。それに、本業以外のふたつの会社、「フューチャーズ」と「ハンド・トゥ・ハンド」も業績を伸ばしている。特に中条が率いる「フューチャーズ」の躍進ぶりには目を見張るものがあった。「田町」には足をむけて寝られない、そう社員たちがことばを交わすほどの勢いだった。

これ以上の冒険は避けるべきだ。じっとしていれば、「カシワギ・コーポレーション」は盤石の土台を築けるではないか。

しかし柏木は決断した。これしきのことで江成に勝ったといえるのか、とのおもいもあった。しかし決断した最大の理由は、これまでに所有していた四つのビルに、「カシワギ・コーポレーション」の顔となるような代表的なビルがなかったからだ。

田町の「第一カシワギビル」を筆頭にして、芝三丁目の「第二カシワギビル」、三田三丁目の「第三カシワギビル」、赤坂四丁目の「第四カシワギビル」――。いずれも表通りに面した、立地条件もよく造りも優れたビルではあるが、そのどれもが既存のビルを買収した物で築年数もかなり経っており会社の顔とするには一長一短がある。

建築の頓挫していたこの広尾のビルを目にしたとき、柏木の迷いは一瞬にして払拭された。外壁工事は九割方終えていたが、柏木の目には、朝の陽の光を受けて燦然と光り輝く外壁が、まるでこれまでの自分の苦労をねぎらっているかのように映ったのである。

その一年後の四年前、「フューチャーズ」とともに田町の「第一カシワギビル」に本社を置いていた「カシワギ・コーポレーション」は、袂を分かってここに移転して来たのだった。

「本橋のことなんですが……」

背後からの児玉の声に振り返った。

「なんだ?」

「また社長の運転手をやりたいといってるんですが」

運転手の杉浦は二週間ほどで、復帰した。しかしどうやら原因は風邪だけではなかったらしく、肝炎の疑いもあるらしい。

その杉浦がこの際、故郷の福島の実家に帰って療養に専念したい、と退職願いを持って来たのは二日前のことだった。今は運転手の募集広告を出す準備をしている。

柏木は本橋一馬の端整な顔をおもい浮かべた。一緒にいたのは二週間ほどだったが、自分の一挙手一投足に注がれてきた彼の視線をおもい出す。

その目には仕事熱心というのとはまたちがう、なんとなく鬱陶しさを感じさせる光が宿っていた。

「彼ではだめでしょうか?」

「いや、そういうことでもないのだが……」

ことばを濁した。たかが運転手のことではないか、気にするのもどうかしている。

「しかし、よほどあいつのことが気に入ったみたいだな」

「やる気はありますし、それに両親がすでに亡くなっているという……」

「なんだ、俺に境遇が似ている、とでもいいたいのか」

児玉に、うっすらとした笑みをむける。

「いえ……」

「わかった。明日からでもそうしてくれ」

電話が鳴った。それがきっかけとでもいうように、児玉は頭を下げ、部屋を出て行った。

受話器を取った。秘書代わりにも使っている総務の佐伯が「片岡ファイナンス」の社長からだと告げた。

外線に繋ぎ直す。

――さっき、児玉常務に了解した旨をお話ししたんですが、まだどうも半信半疑でして。直接社長の口から確認を取りたくて電話をさせてもらいました。

片岡の野太い声が耳を刺激する。

「かまいません。あの内容で江成への融資は実行してください」

――しかし社長は、浦河の寺島牧場なんて一度も見たことはないんでしょう? とても五億なんて値打ちのある代物じゃありませんよ。

「いいんです。もし焦げついたら、立派な馬を育てて元を取るとしましょう」

さりげない笑いを回線に送る。

――ふしぎなひとですなあ、社長は。江成なんて男はどうでもいいでしょうに。それとも、なんですか、なにか、やつに恩義を感じていることでも?

「天下の代議士です。約束通り返済していただけるだろう、とおもっているだけですよ。しかし、ともあれ、この融資金の出所についてはくれぐれも内密にしてください」

書類関係の類は追って弁護士に作らせる、と締めくくって柏木は電話を切った。

借りられるだけ借りるがいい。

切った電話機を見つめた。

あの江成に金を貸す……。しかし優越感は微塵もわいてはこなかった。むしろ虚しいような気持ちにすら襲われる。

椅子に深々と腰を埋め、目を閉じた。

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天国への階段(上) 白川道

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