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わたしの願いは、ちゃんと叶っていたのだった #4 探し物はすぐそこに

仕事、恋愛、家族、夢。いつも何かが足りない、そう思っていた。人生の迷子になってしまった「わたし」は、思い通りの人生を見つけるため、バリ島へと旅に出る……。ベストセラー『「引き寄せ」の教科書』の著者として知られる、奥平亜美衣さんの小説『探し物はすぐそこに』。スピリチュアル好きの人も、そうでない人も、人生に悩んだらぜひ手に取りたい本書より、物語のはじまりをお届けします。

*  *  *

僕は、僕以外のものには
なれないから

「嫌なことって何があったんですか?」

もう、この人に何かを隠そうという気もなくなってきた。というよりは、もうわたしは聞いてもらいたくなっていたのかもしれない。

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「会社に就職してからずっと頑張って働いてきたけど、その部署ではもうわたしは要らないって言われちゃって、違う部署へ行くことになったのよ」

それは、ありふれたどこにでもある話かもしれないけれど、そして、もちろんもっと大変な思いをしている人はたくさんいて、こんなことはほんとうに些細な出来事かもしれなかったけれど、わたしにとっては一大事件だった。しかもそれは、徹にフラれたのと時期を同じくして起こったのだった。あの時のわたしはボロボロと言っていい状態だった。

それなりの会社で花形の部署である営業部で働いている、それだけが、わたしの人生の拠り所だったのだから。情熱はそれほどなかったとはいえ、やるべき仕事はこなしてきたし、会社の役には立てていると思っていたのだけど、左遷に近い形で総務部へと異動を告げられたのだ。


「四月から総務部へ異動してもらおうと思っているんだが、どうかな?」

直属の上司である中林課長は淡々とそう言った。

それは、相談の形をとっていても、もう決定事項だ。そこにわたしの意思が入る余地はない。そうやって異動していく同僚たちをこれまで何人も見たが、自分の身に降りかかるとは、あの一件が起こるまでは全く予想していなかった。

いや、どこかでこうなる予感はもっとずっと前からしていたのかもしれない。それは、そうなったら困るけれど、同時にどこかで喜ぶ自分がいるというような、期待とも言えるようなちょっと複雑なものだった。

わたしは営業部にいながらも、数字を上げるということにどうしても興味が持てなかった。心身を削って日々動き回って、会社の利益を上げて上げて上げ続けて、その数字やお金は結局どこに行くのだろう? みんなどうして何の疑問も持たずに、会社の利益のために働けるのだろう? どうして利益をたくさん出す人が会社ではできる人とされているのだろう? そんな疑問ばかりだった。

考えてもどうしてもわからなかったが、それは、同じ会社で働く人には聞いてはいけないことのような気がしていた。たぶん、話したとしても、売り上げを上げることに興味が持てないということの意味がわかってもらえなかっただろう。だって、会社にいる以上、会社の利益を上げるために働くのは当たり前のことなのだから。

同じようにこれまで営業部隊として働いてきた男性たちは、日々、自分と上司と会社と取引先の間で翻弄されながらも、疑いなくまっすぐに前を向いて頑張っているようだった。そこには、守るべき家族のためだったり、出世のためだったり、そういう自分の中での確固たる頑張る理由があるのだろう。

わたしにはそんな理由もなく、疑いばかりの状態で働いていたからだろう。ある日、お客様の使用量を一ケタ間違えるという、とんでもない発注ミスをして、それは会社中に響き渡るほどの大問題となった。結局、わたしと上司で各方面を走り回って調整して、なんとか大きな損害を出すことなく事態は収まったのだけれど、今回の異動は、それが原因以外には考えられない。

「谷口さんは営業部には要らないわ」

と、先輩である高岡さんから面と向かって言われたこともあった。高岡さんはわたしにとって最初から苦手な人で、好かれようとは思っていなかったものの、さすがにそこまではっきりと言われた時のショックと動揺は隠せなかった。

そんなわたしにも、数日とはいえ異動休暇が与えられることになったのだから、制度だけ見れば、ほんとうに恵まれた会社だと思う。


「僕たちも同じように、仕事で嫌なことがある時もあります。でもほとんどのバリ人は、海外に気晴らしに行くなんてできないですよ。航空券は、僕たちの給料の何ヶ月分もするし、外国は何でも高いですから。日本人はほんとうに恵まれていますね。

僕からみると、日本は安全で清潔で、みんなが豊かで自由で天国のようなところに思えるけど、もう何度も、日本での生活が大変だから息抜きにバリに来たという人に出会いましたよ。そしてみんな言うんだ。『バリ島は天国だ』と」

わたしもそんな典型的な日本人のひとりなんだと思う。

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アグンは日本のことをよく知っていて、日本人がどんな仕事をすればどのくらいのお給料をもらえるかということも知っているのだろう。同じような人が同じような仕事をしても、もらえるお金の量が違うということを、生まれ落ちた場所が違うから仕方がないと受け入れられるものなのだろうか?

「たしかに、日本人はバリの人よりお金を稼ぐのが簡単かもしれないわ。でも日本ではみんな、お金のためにやりたくないことを我慢してやっていたり、自分以外の人のことを気にしすぎて疲れちゃっているのよ。でもバリに旅行に来れば、美しい景色に癒されるし、周りは知らない人ばかりだからその我慢から解放されるの」

「バリも狭い村社会だから、四六時中、人の噂話ばかりしているよ。みんな、他人がどうするべきかという意見は強く持っているし、その話題で何時間でもしゃべり続けられるのに、自分はどうするべきかを真剣に考えることはしないし、知らないみたいなんだ」

「ほんとうにその通りね。日本も全く同じだし、わたしも自分がどうしたいのか、どうするべきなのか、よくわからないわ」

「お金のためにやりたくないことをやるのは、バリでも同じですよ。でも、どうしてみんな、やりたくないことをやるんだろう? 魂がやりたいと言っていることをする以外に、人生で大事なことなんてないのに」

魂がやりたいこと、というその言葉にハッとする。その言葉にどうしようもない憧れを感じている自分と、そんなことで生きていけたら苦労しないわ、と搔き消そうとする自分と、両方がわたしの中にいる。

「学校へ行っている時からずっと、自分がほんとうにやりたいことをやってきた人なんてごく少数なんじゃないかしら。社会人になってからは、収入を得なければいけないから、なおさらそうよ」

やりたいことをやって生きることができたらいいというのが本音なのに、それを搔き消そうとする自分が勝って、そんな風に言ってしまった。

「結局、日本でもバリでもそんなに変わらないんだと思いますよ。だとしたら、こうやって自由に旅行できる日本人が、やっぱり少し羨ましいな。でもたぶん、僕は自分で選んでバリに生まれてきたんだ。だから日本人になりたいとは思わないよ。だって、僕は、僕以外のものにはなれないからね。でもいつか、日本に行ってみたいとは思ってるんです。僕が日本語ができるようになったのも、何か意味のあることだと思うから」

僕は、僕以外のものにはなれない、という言葉がわたしの胸の中に入ってきて、染み渡った。

そして、アグンは重ねるように言う。

「自分以外のものになるなんて不可能だよ。僕はどこまでいっても今世ではバリ人なんだ。生まれた場所を変えることも、親を変えることも、持って生まれた姿や資質を変えることもできない。変えることのできるものは変えたらいいと思う。でも、どんなに頑張っても変えられないものがあるよ。それを変えようとすることほど、無駄なことなんてないと思うんだ」

アグンは、何かわたしの知らない大切なことを知っている、そしてそれは、ほんとうのことである、そんな直感がその時わたしの中で湧き上がった。

わたしの願いは、
ちゃんと叶っていたのだった

少しの沈黙のあと、アグンはさらに続ける。

「異動になったのは、由布子さんが、もうそれまでの仕事が嫌になっていたからではないですか?」

そんな風には考えたことがなかったが、そう言われてみればたしかにそうかもしれない。

仕事にも、会社にも、上司にも、もううんざりしていた。漫画やドラマでは、職場で熱血上司に出会って心が繋がって人生が変わる、なんてこともよくあるけれど、わたしにはたまたま入ることのできた会社にいた頭の固い上司、とか、それほど気の合わない同僚、みたいな出会いがほとんどだった。

仕事だから仕方なく関わっているというような人間関係が大半で、プライベートでも付き合いたいと思える人はほとんどいなかったのだ。

でも、営業部にいれば、わたしはちゃんと仕事をしている人に見えるし、自分でも世間なみにちゃんと生きていると思えたのだ。

そうやって、それほど悪くない人生よね、というところで自分を騙し騙し生きてきたのだ。

でもその最後の砦さえも、わたしは失おうとしていた。

「ちゃんと願いが叶ったんですね。願いも叶ったし、仕事を失ったわけでもないし、バリ島にも来られて最高じゃないですか。物事は、自分次第でどういう風にも受け取ることができますからね。そう考えたほうが、気分が良くなるでしょう?」

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