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迷いがないというのは、幸せにとても似ている #3 探し物はすぐそこに

仕事、恋愛、家族、夢。いつも何かが足りない、そう思っていた。人生の迷子になってしまった「わたし」は、思い通りの人生を見つけるため、バリ島へと旅に出る……。ベストセラー『「引き寄せ」の教科書』の著者として知られる、奥平亜美衣さんの小説『探し物はすぐそこに』。スピリチュアル好きの人も、そうでない人も、人生に悩んだらぜひ手に取りたい本書より、物語のはじまりをお届けします。

*  *  *

迷いがないというのは、幸せにとても似ている。
そして、迷いはとても不幸に似ている。

アグンの日本語は、以前バリに来た時にビーチで声をかけてきた怪しいカタコトの日本語を話す男の子たちのそれとは全く質が違った。もちろん、そのビーチの男の子たちだって、何年も英語を学習しても、外国人とまともな会話ができない日本人がほとんどだということを考えれば、学校で全く習わなくても現場実習のような形だけでコミュニケーションが取れてそれが仕事にまでなってしまうということはすごいことだ。

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でもそれは、それに彼らの生活がかかっているからこその成果であって、彼らの深いところがそうさせているのではないような気がした。そして彼らの日本語は、彼らに収入をもたらしてくれるレベルまで達したところで止まっているのではないかと思う。

人には、最初から授かっている能力もあれば、どんなに頑張ってもできないことがあるんだと思う。最初から授かっている能力を努力して伸ばせば、アグンのように日本に行ったことがなくても日本語が話せてしまう奇跡みたいなことが起こるのだろうか?

アグンは、その能力をちゃんと磨いて発揮しているからか、内側から輝きを放つような独特のエネルギーを発していると思った。そして、日本語を話している彼はとても自然体で無理が一切ないようだった。


「誰にでも、その人が持っている能力ってあるんですよ。だから、それをちゃんと使えばいいだけなんだと思います」

わたしの考えていることが透けて見えたかのように、アグンが言った。

そう言われればそうなのかもしれない。でもたぶん、親のためとか世間体とかお金のためとかいろんな理由があって、そもそもの自分の持っているものとは違うことを毎日やっているという人がほとんどだろう。あるいはわたしみたいに、自分の持っているものが何かも知らないままに歳だけを重ねているか。

それでもみんな一生懸命生きているんだけど、どうしたら幸せになれるのか、わたしも含めてみんながわからなくなってしまっている。

それを不幸というのかもしれない。


バリ島に到着してから、お迎えの車が来るまでのほんの短い時間に、「人生について」「幸せについて」みたいな、大きなことがどんどん頭に浮かんできた。

日本で毎日忙しく働いて、都会の喧騒の中に身を置いていると、こんなことをじっくり考えようという気さえ起きなかったということに気づく。

もしかすると、それを考え始めたらいけない、と思っていたのかもしれない。考え始めたら、いわゆる世間で、「こう生きるべき」と暗黙のうちに敷かれているルールにわたしはかろうじて乗っているのに、そこから外れてしまうんじゃないかという怖さがあって、それを考えないようにしていたんだと思う。

ほんとうは、一番に考えるべきことなのに。


「ここでは、バリ人はバリ人にしか生まれ変わらないとみんな信じているから、友達や家族にはこんなこと言えないけどね」

ちょっと言葉を崩してにこっと笑ったのは、わたしがなんとなくではあるけれど、彼の言っていることがわかったことが伝わったからだろう。

彼は、バリ島に生まれたけれど、自分自身の居場所がここだけには収まらないような窮屈さを感じているのかもしれなかった。あと少ししたら、この人はバリ島から出るんだろうな、と理由もなくふと思った。

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車がやってきたので、それに乗り込む。

彼は、それが仕事でもあるからだろうけど、車に乗ってからも話を続ける。

「どうしてひとりでバリに来たんですか?」

日本だったら、初対面ではなかなか聞けそうもないことを、何でもないように聞いてくる。

答えに詰まっていると察してくれたのか、

「ごめんなさい、このホテルにひとりで泊まる若い女性は少ないから」

と、少し申し訳なさそうに言った。

日本では、自分が若いと思える機会というのもあまりなかったけど(とはいえ、もう若くないと卑屈になっていたわけではなかったけれど)、欧米人などに比べると日本人は若く見えるのだろう。

アグンがいくらバリで最高級クラスのホテルの従業員だとはいっても、おそらく、このホテルの一泊分くらいが彼の月収と同じくらいなのだろうと思う。そして、恋人や家族と楽しくて美しい時間を過ごすならともかく、ひとりで滞在するのにこのホテルを選び、これだけの料金を支払う人がどんな仕事をして、どんな生活をしているのかというのは、彼の興味と想像を搔き立てるのだろう。

わたしはただ、日本で普通に働いて、平均よりほんのちょっといいだけの給料をもらっていて、結婚もしていないし子供もいないから使いきれなくて貯まったお金を使っているだけのどちらかというと平凡な会社員なので、ミステリアスな部分も、興味を引くようなストーリーもなくて逆に申し訳なく感じる。

「日本で、仕事でとても嫌なことがあって、気晴らしをしようと思い立ってバリに来たのよ。友達はみんな仕事を急に休めなかったから、ひとりで来るしかなくて」

「結婚していないんですか?」

「していないわ」

これも、日本だったらとてもデリケートな部類の質問だけど、彼が他意なく、ただ聞きたいだけ、知りたいだけ、という思いで質問しているのがわかるからか、こちらも変に曲がった受け止め方をせず、事実をストレートに答えることができる。

「バリ人は、みんな早く結婚したがるよ。バリ人にとっては、毎日のお祈りや、毎週のようにあるお祭りをきちんと続けていくことが何よりも大事なんだ。お供え物や飾り物を作ったりする準備だけで、ものすごく忙しいし大変なんだよ。時には大勢の人にご飯を振る舞ったりすることもあるしね。それを続けていくには、家族が必要だから、みんな早く結婚して、こどもを欲しがるんだ」

生まれ落ちるところによって、人の考え方も生き方も全く違うものになる。生まれて五、六年もしたら学校へ入れられるのはここも日本も同じかもしれないけれど、どの時点で、人が乗る人生のレールは決まってくるのだろう? 何のために生きるのか、何を大事にして生きるのかがその人の中ででき上がっていくのは、いつ、どういう経路なのだろう?

「そうしないと、神様が怒ってよくないことが起こるとみんな思っているんだよ。僕は、そこまでしなくても、神様はいつだってずっと僕たちを見ていてくれるし、いろんなメッセージをくれていると思うけれど。みんな、神様が怖いんだ。神様が人を怖がらせるはずはないのに。怖がらせるようなものだったら、それは神様じゃないだろう? でも、村では絶対こんなこと言えないよ。だから、僕は自分の村にいるよりも、ここで働いているほうが好きなんだ。こんな話ができるのは、外国人にだけだよ。バリの人に言ったら怒られちゃうから」

アグンは、バリの人たちが神様やお祭りのために生きるのをあまり気に入っていないようだったが、わたしは、人生に明確な目的を持つことのできているバリの人々を羨ましく思った。そのためにたくさんやることがあって忙しいならなおさらだ。

迷いがないというのは、幸せとは違うかもしれないけど、幸せにとても似ている状態だと思う。そして、迷いはとても不幸に似ている。


わたしはもしかしたら、「そこそこいい会社に入ってそこそこいい暮らしをして無難に生きるため」に生きてきたのかなあ。それが目的だとしたら、ちょっと気分が落ちるけれど、でも、わたしはこう生きたい、こう生きよう、なんて大志とも言えるようなものを抱いたこともないことに気づいた。

そしてもし、わたしが「そこそこいい会社に入ってそこそこいい暮らしをして無難に生きる」ことを無意識にでも人生の目標にしていたのなら、その願いは無事に叶い、無難な暮らしは手に入っているような気がするけれど、わたしは幸せではないし、この歳になっても迷ってばかりいる。

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