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#5 平成ネット史 永遠のベータ版

日本初のインターネット「JUNET」

一方日本では、昭和59年(1984年)に、東大・慶應大・東京工業大を結んだ「JUNET」という学術ネットワークが誕生します。これがのちに世界のネットワークとつながり、日本のインターネットの原点になりました。

堀江
この頃のインターネットって、アプリケーションは「TCP」「FTP」「メール」「ドキュメント」くらいしかありませんでした。FTPはファイル転送のことですね。パッと聞いて、わかんない人も多いかな。
 JUNETは、僕もちょっとだけ使っていました。東大だったので、東工大とつないでEメールをしていましたね。

あと「UUCP(ユニックス・トゥ・ユニックス・コピー)」というのですが、ようはいまみたいに常時つながれないのです。つながる時間が限られている。大学と研究機関の専用回線があるところはいいのですが、ないところは出すメールをためておいて、1日に何回かつないで送っていました。これが「UUCP」というプロトコルです。

「WWW(ワールド・ワイド・ウェブ)」の発明

「JUNET」が誕生した当初、その主な使い道は、メールやファイルのやり取りでした。その状況を変えたのが、平成3年(1991年)に、ティム・バーナーズ=リーが発明した「WWW(ワールド・ワイド・ウェブ)」です。WWWとは〝世界中に広がる蜘蛛の巣〟、つまり、世界中をつなぐウェブサイトの仕組みのことです。これによって、世界に向けてウェブサイトを公開したり、閲覧したりできるようになりました。

堀江
WWWがまともに使えるようになった初めてのアプリケーションが「ネットスケープ」でした。当時、MacとUNIXでしか使えなくて、僕はMacで使っていたのですが、それが出てきたときにすごい衝撃を受けました。

それを見て、きっとマイクロソフトは「やべえ」と思って、突貫で「ウィンドウズ95」を作ったんだと思いますよ。

パケット通信の誕生

堀江
インターネットを語る上で、もうひとつ重要なのが「パケット通信」が開発されたことです。

それまでは「データ通信」といって、テキストデータや画像データなどを送るときに、情報の送り手と受け手がひとつの回線でつながっていたんです。
それが「パケット通信」という方式になりました。

これまでは、回線をつないだらA点からB点にしか送れなかった。それが途中に「ノード」という点をいっぱい作って、そこからバケツリレー方式で送れるようになったのです。

パケット通信では、まず情報をこま切れにします。決められた長さに切るんです。それを「パケット(小包)」として一つひとつに宛名や発信先、到達先を全部ラベリングする。ようは「荷札」をつけるわけですね。

小包に荷札をつけて、誰かの画像があったとしたら、それをバーッと100万個ほどの荷物に分けて、それをこま切れにして送るんです。どういうルーティングでもいいようにして送るのです。

「ルーティング」というのは経路ですね。どういう経路で送っても届くようになっている。途中の道が、たとえば細かったりとか、舗装されていなかったりしても、遅れるんだけど絶対に届く。ある道が行き止まりだったら迂回して届くようになっている。

昔は、いまみたいに光ファイバーとかブロードバンドがないから、めちゃくちゃ回線が細いところもあったんだけど、とにかく情報は確実に届くわけです。宛先にまで確実に届くし、もし万が一届かなかったら、「届きませんでした」ということもちゃんと送り主に知らされる。この仕組みがARPANETで開発されて、これがインターネットのもとになっているんです。

だから「パケット通信」というのはすごく大切なんです。

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平成ネット史 NHK『平成ネット史(仮)』取材班

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