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姥捨山

還暦を過ぎ、時折生きている意味を考えるようになった
平均余命からみるとこの先ニ十数年生きていくことになる
覚悟して生きていくか、流れに任せて生きていくかで、これから先の人生は大きく変わってくる

我々世代が真っ先に思い浮かぶ老後の幸せとは、子供や孫に囲まれて、日々平々凡々と過ごす、最後は家族の皆に見守れながら人生を終えることだった

しかしながら、少子高齢化社会で医療技術が進歩してきている今日では高齢者の独り暮らしが増えている
人生の最後は古びた建物の一室で孤独死、あるいは病院のベット上でいくつもの生命維持装置に繋がれた状態で終えることが現実の世界となっている

死への恐怖?とは、たぶん誰も知らない未知の世界に足を踏み入れる恐怖、すべてのことが何もわからない世界
そこは地獄絵の世界なのか、蜘蛛の糸の蓮の花咲く天国の世界なのか、はたまた手を伸ばしても、声を上げても何も掴まない、何も返答のない無の孤独の世界なのか、それぞれの者が自分の頭の中で思い浮かべる世界でしかない

ときおり思うこと
姥捨山、遥か昔生産性が無くなった老人が捨てられたところ現世に有ってよいと思う
自死が悪と考える現世には、家族に見放されたり、独り身で、この先、生きていくことに意味を見いだせなくなった者が自分の意志で行くところとして在ればと思う

二度と現世に戻ることができない姥捨山    自分の意志でその扉を開けて入っていく
そこで待っているものはまだ見たこともない世界
その時まで覚悟を持って生きたいものだ

この道は何処に続く?

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