読書する私 10/9 『しにたい気持ちが消えるまで』
残業が100時間を余裕で越える環境になって2カ月。
過労死というものがどこか現実味を、ほんのりと帯び始めた今日この頃。
生きる意味とは
幸せとは
人としてあるべき姿とは
そういうことに思いを馳せることが多くなった。
これらの問いかけは、今に始まったことでもなく、20代のどこかから始まってはいる。
その時、その時によって結論は違うような気もするし、結局のところ、言い回しが違うだけで、核になるものは同じような気もしている。
何にせよそうした問答が自身の中で為されているタイミングで、こうした本に出会えていることには縁を感じる。
もう死んでしまいたい、と思うことは正直ある。
正確に言うのであれば、何もかも投げ出したい、自由気ままに生きたい、ということではあるのだけれど、あれやこれやのしがらみや、単純にそこに踏み出すだけの勇気がないなど、様々な理由でままならない。
八方塞がりだな、あー、もう死んだら何もかも置いていけるのかな、という安易な気持ちでの憧れでしかない。
だからこそ、著者が飛び降りる直前の描写が凄まじい。
本当に死を決した人間の思いがそこにあった。
そして筆者の当時のメンタルが、今の私にそこそこ近いことにも戦慄する。
私も同じ事をするのかもしれない。
怖いと思った。
そこで気づく。
私はまだ本当の意味で、死を望んではいないのだ、と。
冒頭でも触れられ、そして、本文でも言及されることだが、放っておいても、死は確実に訪れる。
そして、身体は生きたがっているのだ。
この気づきは非常に大きい。
身体機能の多くを失ってもなお、著者は自死を選択したことを後悔していない。
今を受け入れて生きている。
そこにあるのは、強烈なポジティブ思考、、、などでは全くない。
様々な問いかけと気づきの中で、著者自身が辿り着いた今である。
本書を読み、私はまた別の悩みを抱えている。
それは私自身でどうにかするしかないが、この本で得た多くの気づきが、その悩みを生み出したことは幸せなことだと思う。
悩み、苦しみ、何かに気づく。
悩むことなく、気づくことが出来れば、どれだけ楽だろう、と思う。
それでも私は、私には、
この生き方が合っているのかもしれない。
いつか確実に訪れる死を間際にして、私は何を思うのだろう。
その時が少し楽しみになった。
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