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底辺vol.1~職業差別する人とは?

    

不思議でしかたがない。

清掃、警備、工場、介護、コンビニ、販売、建設現場、運送などの仕事を【底辺】と呼んで見くだす人々がいること、が。

ネット上だけではなく、リアルな日常会話でも


  「あいつら底辺だから…」


  「おれらの仕事は底辺だし」


という言葉をじかに耳にする。


【底辺】と呼ぶ最大の理由を一言で言えば、


 誰でもできる難易度の低い仕事


だから。だから年収も低い→【底辺】ということであるようだ。

難易度も年収も高くない仕事の存在それ自体は単なる《事実》に過ぎない。問題は、


   なぜ蔑視するのか?


なのだ。蔑視した時点で

      

     《差別》


になってしまう。


まあ、【底辺】と感じようが、発言しようが、そんなことは、個人の自由。

ただ、不思議に思うだけ…

なぜならば…自動車、洗濯機、冷蔵庫、電子レンジ、テレビ、パソコン、スマホ、住居の建築材料、市販薬、飲み物、食べ物…生活必需品のほとんどは【工場】で作られ加工されている。

そして、【工場】で作られた商品は【運送業】の方々によって小売店に運ばれるし、メルカリやアマゾンなどで欲しいものが買えるのも【運送業】の方々のおかげ。

また、小売店などに運ばれた商品は【販売員】の方々によって販売される。

なので、言わずもがな、【工場】、【運送業】、【販売業】、これらの業務に従事する方々がいなければ、


 私たちの生活は成り立たない


それに、【建設作業員】の方々が、ケガや死と隣り合わせのかなり危険な状況のなかで、汗と油と泥にまみれてキツイ仕事に従事してくださっていなければ、

  

  私たちは住む住居さえない!


こうした、【工場】【運送業】【小売業】【建設業】の方々をさらに陰で支えてくださっているのが【警備業】【清掃業】の方々である。

さらに、【超高齢社会】の現代に【介護士】の方々がいなかったならば、毎日365日つきっきりで下の世話も含め全部自分でやらなければならない!それがどんなに大変なことか!

そう考えれば、こうした仕事に従事してくださっている方々に対しふつうに、

  

   感謝しか、ないのでは?


「年収が低い」というのであれば、それを【見くだす材料】にするのではなく、心ある人ならば、


あの方々のお陰で私たちの生活があるのだから、もっと年収を上げるべきではないかーッ!


と【賃上げ闘争】の声をあげてもよいくらいの話なのである。

こうした日本の労働者の大部分を占める貧しい庶民を見くだし「俺はアイツらより上だし~」と恥ずかしげもなく自分に酔っぱらう人生で本当によいのか?


それとも、


日夜、人知れず、必死になって庶民の味方になり、庶民に尽くす生涯を歩むか?


はたして、


どちらが人間として本当に心豊かな、尊い人生か?


それなのに、こともあろうに、見くだし、侮蔑する人々がいるというのだから、本当に不思議でならない。

100歩ゆずって、

「あんな底辺の奴らの世話になるなんて、プライドが許さない!」


と広言し、森の中で自ら小屋を建て、自ら木の実を採り、自ら魚を釣り、あるいは、着る服も生地の段階から全部自分で作って、【自給自足】の暮らしに徹している、というならまだわかろうというものである。

ところが、

  

 恩恵だけはちゃっかり受け取る


くせに、盗っ人たけだけしくも《侮蔑》をもって報いるというのであれば、いくらなんでも、


   節操が、なさ過ぎる。


人を見くだしたり、差別したりする人というのは不思議である。

たとえば、いまだに女性をあからさまに見下す男性がいる。それもかなりのドヤ顔で。

私は問いたい、


 あなたは誰から生まれたのか?


さらに、


あなたの遺伝子と血の半分は母親のものではないのか?


地球上のすべての父親たち、すべての男たちは母親という【女性】から生まれ、その血と遺伝子の半分を受け継いでいる。


つまり、《女性を見下す》ことは、《母親を見下す》ことであり【自分自身を見下す】ことに他ならない。


だから、【女性蔑視】(=【自己蔑視】)をドヤ顔でできる人の《思考回路》が不思議でならない。

さらにいえば、【女性蔑視】と冒頭の【職業蔑視】には、ある共通点を感じる。

【女性蔑視】は自らの【母親】を蔑視することになり、【職業蔑視】は【自らの生活を支えてくれる人々】を蔑視することになる。つまり、見下している相手というのは驚くべきことに、なんと、


 【恩恵を受けた相手】なのだ!


いや、ちょっと待てっ!さっきから聞いてりゃあ、恩恵、恩恵とうるさいが、

「母親が子どもを生むのは自分が男を好きになって勝手に妊娠しただけの話で、子どもが頼んだわけじゃない!」

「それに、自分で産んだ以上、育てるのは親なんだから当然だろう!」

「底辺の奴らに恩恵を受けたって?バカ言うんじゃねえっ!金もらってんだろーがっ!こちとら底辺の奴らを食わせてやってるんでぇっ!」

との声もあろう。

確かに、母と子、業者と消費者、の関係は、一方的というよりは、互いに恩恵にあずかっているという見かたもできる。

でも、だから..だからこそ、


互いに感謝し合うことこそが大切なのでは?


それに、実際には、母親がいなければ、今、ここに、自分はいないわけだから、よっぽどなことがないかぎりは、


報恩感謝の気持ちを持つのは人として自然なことだ。


業者の方々にしても、いくら代価を払っているとはいえ、もし、そこで働いてくれる人がいなくなったら、現実問題、私たちは困るわけだから、


まともな人間なら感謝の気持ちを持つであろう。


こうしてみると、恩恵に対し侮蔑でこたえることは、恩をアダで返すということだ。

女性蔑視については、今回のテーマ外なので少し横道にそれてしまったが、いずれにせよ、【職業蔑視】をしてしまう人というのは、

【恩知らず】

【節操がない】

【自己蔑視】

という三つの人格的な性質傾向を持っているとの結論が残念ながら導き出されざるを得ないのである。


vol.2へつづく…



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