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ナポレオン・ハント 芥川龍之介編

こんにちは
架空書店「鹿書房」店主、伍月鹿です

最近は「ゆるキャン△」シリーズを観ていたので、キャンプ道具が気になり始めています
キャンプをしよう、と思い立つほどアウトドアな人間ではないのですが、キャンプ道具って機能的で面白いですよね
いつか焚火の前でコーヒーを飲む、みたいなことはしてみたいなあ

今日は新企画です!
名付けて「ナポレオン・ハント

何気なく読書をしていると、思いもよらぬところでナポレオンに出会うことがあります
ナポレオンは、日本でいえば織田信長のように様々なモチーフにもその名が使われている偉人の一人。その影響は現代にも各地に残り、唯一無二の存在として語り継がれ続けております
皆が名前は聞いたことがあるナポレオンですが、彼を一言で表すのは非常に難しい。知れば知るほどその存在は複雑で、様々な面を持っていることに気が付くことができます
そんなナポレオンの名前を引用して語られる事柄も、きっと、意味合いが多岐にもわたるのではないか
そんな説を立証すべく、せっかくなので出会った文章を記録してみようというのがこの企画の主旨となります

ナポレオン・ハント

主旨

文芸作品の中に登場するナポレオンを記録します

目的

・楽しい
・ナポレオンのパブリックイメージを紐解けるかもしれません

ハント対象

・ナポレオンを題材にしてない文芸作品に記載されたナポレオン一世の名前やイメージ
ナポレオンが題材、または主人公である作品は無数にあるので、ハントには除外。ナポレオン戦争を論じた歴史書、戦術書なども同様に除外
時代背景的に頻出する作品については検討中
本人が登場しないのであれば該当とするかもしれません

・ナポレオンに関連して名前を残した同世代の人物(exミュラ、ネルソンなど)も含む
これは店主の趣味
店主が気づいた人に限られる可能性があります

・ナポレオン一世との比較でない限り、ナポレオン三世等の子孫は含まれない
・ナポレオン本人との比較でない限り、ナポレオンパイ、ナポレオンコートなどの物の固有名詞は対象外
ナポレオン自身やイメージが由来とはいえ、こちらをハントしていたらきりがないため除外(ちなみにかの有名なシャーロック・ホームズにも「ナポレオン金貨」が登場します)

・仕事術等の自己啓発本はいまのところ除外
こちらにも名前がよく出てくるのできりがありませんが、珍しい切り口のものだと追加する可能性あり

早速今回のハント作品をご紹介します

芥川龍之介「歯車」

僕は突然何ものかの僕に敵意を持つてゐるのを感じ、電車線路の向うにある或カツフエへ避難することにした。
 それは「避難」に違ひなかつた。僕はこのカツフエの薔薇色の壁に何か平和に近いものを感じ、一番奥のテエブルの前にやつと楽々と腰をおろした。そこには幸ひ僕の外に二三人の客のあるだけだつた。僕は一杯のココアを啜り、ふだんのやうに巻煙草をふかし出した。巻煙草の煙は薔薇色の壁へかすかに青い煙を立ちのぼらせて行つた。この優しい色の調和もやはり僕には愉快だつた。けれども僕は暫らくの後、僕の左の壁にかけたナポレオンの肖像画を見つけ、そろそろ又不安を感じ出した。ナポレオンはまだ学生だつた時、彼の地理のノオト・ブツクの最後に「セエント・ヘレナ、小さい島」と記してゐた。それは或は僕等の言ふやうに偶然だつたかも知れなかつた。しかしナポレオン自身にさへ恐怖を呼び起したのは確かだつた。……
 僕はナポレオンを見つめたまま、僕自身の作品を考へ出した。するとまづ記憶に浮かんだのは「侏儒の言葉」の中のアフオリズムだつた。(殊に「人生は地獄よりも地獄的である」と云ふ言葉だつた。)それから「地獄変」の主人公、――良秀と云ふ画師の運命だつた。それから……僕は巻煙草をふかしながら、かう云ふ記憶から逃れる為にこのカツフエの中を眺めまはした。僕のここへ避難したのは五分もたたない前のことだつた。しかしこのカツフエは短時間の間にすつかり容子を改めてゐた。

芥川龍之介「歯車」


1927年に執筆されたといわれている芥川龍之介の遺稿の一つ
芥川を自殺に追い詰めた様々な幻視、関連妄想が描かれているとされています

ナポレオンが登場するのは「夜」の章、丸善で立ち読みをした本を皮切りに様々な言葉を思い出し、連想ゲームのようにいろいろな出来事を思考する様子が描かれるシーン
「僕」が持つ硯を送った人物が破産したことをうけ「僕は高い空を見上げ、無数の星の光の中にどのくらゐこの地球の小さいかと云ふことを、――従つてどのくらゐ僕自身の小さいかと云ふことを考へようとした。」ことからカフェで「避難」することにします

ココアを飲んでほっと一息ついたのにも関わらず、ナポレオンの姿を見て不安な気持ちを思い出します
カフェで飾られていた肖像画がどんなものだったのか気になりますね

セント・ヘレナ」は言わずもがな、ナポレオンが流刑された先の島です
栄光を得て、フランス中を支配したのにも関わらず、流刑となったナポレオンの墜落と上記の破産してしまった実業家などの関連から、栄枯盛衰なんて言葉を思い浮かべることができます

侏儒の言葉」は1923年から1927年にかけて書かれた随筆
アフォリズムとは「短い表現で人生・社会・文化等に関する見解を表したもの」とのことで、作中の文章を思い返したという理解でよさそうです

「人生は地獄よりも地獄的である」と云ふ言葉』は「地獄」の章のことでしょう

 人生は地獄よりも地獄的である。地獄の与える苦しみは一定の法則を破ったことはない。たとえば餓鬼道の苦しみは目前の飯を食おうとすれば飯の上に火の燃えるたぐいである。しかし人生の与える苦しみは不幸にもそれほど単純ではない。目前の飯を食おうとすれば、火の燃えることもあると同時に、又存外楽楽と食い得ることもあるのである。

芥川龍之介「侏儒の言葉」

システム化された地獄よりも人生は複雑であるという言葉は
現代でも共感できる表現です

ナポレオンから「地獄」を連想したということは、彼にとってセント・ヘレナがそうであったという認識があるのでしょうか

ところで、芥川は多くのフランス文学に触れていたようです
随筆にまさに「仏蘭西文学と僕」というものがあり、中学5年生の時に「サフォ」の英訳を読んだという一節があります

小説を多くの人間が読み、書く現代において「作家」という職業に持つイメージは様々で、さらには精神を患って自殺をした芥川龍之介に抱くイメージも当時とは異なるものがあると言わざるを得ませんが、
東京帝国大学で外国語を専攻していた彼は間違いなく秀才のひとり

そんな芥川が触れたとされる作品のひとつ、セナンクールの「オーベルマン」もナポレオン戦争時代に書かれた作品です
自殺熱をあおった作品、という評価が出てきて、嫌な納得をしてしまいました
世界恐慌目前の芥川が苦しみ生きた時代の中、ナポレオンという存在が与えるイメージは決してポジティブなものではなかったのかもしれません


「侏儒の言葉」にはほかにもいくつかの章でナポレオンが登場します

Blanqui の夢

この地球上のナポレオンはマレンゴオの戦に大勝を博した。が、茫々たる大虚に浮んだ他の地球上のナポレオンは同じマレンゴオの戦に大敗を蒙っているかも知れない。……

芥川龍之介「侏儒の言葉」

マレンゴの戦い」はナポレオンが皇帝となる地位を確立させた重大な転機のひとつですね
大敗したナポレオンはオーストリアの優位に立てず、ヨーロッパの支配には至らなかったのかもしれません

余談ですが、ここで「他の地球」というタイムパラドックスが言及されていることに関しては日本文学の専門家の方のご意見も気になるところです

或自殺者

 彼は或瑣末なことの為に自殺しようと決心した。が、その位のことの為に自殺するのは彼の自尊心には痛手だった。彼はピストルを手にしたまま、傲然とこう独り語を言った。――「ナポレオンでも蚤に食われた時は痒いと思ったのに違いないのだ。」

芥川龍之介「侏儒の言葉」

横光利一に「ナポレオンと田蟲」という話があります
腹をはい回る田虫の所為で気が狂ったナポレオンが転落に向かう話で、彼が肖像画などで腹に手を入れていたのは常に腹をかいていたから、という説などを描いたものではないかと
田虫というのはいまでいう体部白癬、つまり水虫のことのようです
ナポレオンがつねに腹に手を入れていたのは胃がんで痛む腹をおさえていたから、という説が最近では通説のようですが、当時は腹をかいていた説の方が有名だったのかもしれません
(あのポーズがなにも痛みの所為だったというわけでもない説など諸説ありますが、ナポレオンは画家の前でもじっとしていられなかった話は有名)

さて、「歯車」に戻って次に連想した「地獄変
見たものしか書けない画家が娘を犠牲して地獄変の屏風絵を描き上げ、自殺を遂げる話ですね

作中には「如何に一芸一能に秀でやうとも、人として五常を弁へねば、地獄に堕ちる外はない」という言葉が引用されます
「歯車」が遺稿であり、自滅した芥川の精神と重ねられることへの答えそのもののような内容にぞわりとすると同時に、それを小説という形で残した作家としての姿にやはり偉大なものを感じます

「芸術の完成のためにはいかなる犠牲も厭わない」芸術至上主義という表現がフランスで用いられ始めた標語であるという関連にも、運命めいたものを覚えるのはさすがに飛躍しすぎなのでしょうか

ともかくもナポレオンの肖像画から「地獄」を連想し、芸術に悩む記憶を呼び起こされた「僕」はカフェから逃げるように出て、ホテルに戻ります
銀貨を投げたつもりで銅貨だった、という小さな失敗はあるあるですが、こういう些細な間違いってすごく恥ずかしいですよね……
偉大すぎて思考を推測するのもおこがましい作家も、自分と同じ人間であるということがわかる親近感のわくシーンです

こうして一節を読み解こうとするだけでも、
芥川もナポレオンの理解が深かったことや、当時の日本にもその名前が当たり前に伝わっていたことがわかりました
まだまだわたしが知らない部分も多くありそうです。日本文学については完全に独学で好きなだけなので、もしこの手のことにお詳しい方がいたら知識をお貸しくださいませ

ちなみに芥川が読んだドーテ「サフォ」も、今回のハント対象です

羽飾りをつけたミュラ、ユジェーヌ公、シャルル一世など、厳めしい史上の人物の扮装もいくつかあったが、これはごく若い書家達が扮したもので、新舊兩時代の芸術家の相違をよく示していた。

ドーテ「サフォ」

主人公が「サフォ」と出会う仮装舞踏会の中で、ナポレオン時代に活躍した将軍に扮したものがいるという描写
作者ドーテがパリに出向き、サフォを執筆した1800年中盤ごろにはミュラがすでに歴史上の人物となっているというのがわかりますね

「ユジェーヌ公」ときくとわたしは真っ先にウジェーヌ・ド・ボアルネ(ナポレオンの妻、ジョゼフィーヌの息子)を思い浮かべますが、公という表現ということはオイゲン・フォン・ザヴォイエン、プリンツ・オイゲン公のことなのかしら?
シャルル一世はブルボン公のことでしょう

王様の恰好、ということはわかりますが、当時のコスプレ技術すごい、とか余計なことを考えてしまうのはわたしだけでしょうか

ミュラの風貌が派手だったことは創作でも後の世に広められた印象でもない事実のようです
中でも好きなのはロシア遠征でも華美に決めていたため、コサック兵ですら先頭で果敢に突っ込んでくるミュラに畏敬の念を抱いたエピソード
両角先生の「1812年の雪 モスクワからの敗走」にて引用されている軍に随行していた女性が残した文章がとても好き

「ナポリ王ミュラー元帥は馬の手綱をとり、片手は私の馬車の扉にかけていた。元帥は私を見ながら親切な言葉をかけてくれた。この騒ぎの中で、しかも零下二十度という寒さなのに、この人のいで立ちは全く奇妙なものに思えた。襟をはだけ、ビロードのマントは肩にひっかけている。白い羽根飾りをつけた黒ビロードの帽子の下から巻毛がのぞいている。その恰好はまるでメロドラマの英雄といったところだ。」

両角良彦「1812年 モスクワからの敗走」

ミュラに扮していた若い書家は、目立ちたがりの伊達男だったのかもしれません


今後も不定期でハント結果を掲載していきたいと思います
素人知識ではありますが、お付き合いいただけたら嬉しいです

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