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#13 スキークラウンホルダーインタビュー 岩岳学生大会で悪夢の本線落ち。「ジャッジは目が悪いのか!?」と現実を受け入れられなかった。【中村充孝さん】

【今回のクラウンホルダーは…】

大学2年生の時に出場した岩岳学生大会(基礎の部)で本戦落ち。決戦に進めなかったことが、精神的にショックだった。「1級も持ってないヤツが俺より上だなんてありえない。ジャッジは目が悪いのか、寝てたんじゃないか」と結果を受け入れることができなかった。「今から思うと『上手い滑りとは何か?』と自分の滑りと向き合ってなかったし「俺は上手い!」という思い上がりもあったんですよね。岩岳大会の決勝では、得意のコブがあったんですが、僕はコブを滑ることなく終わってしまった。コブで転倒する選手に「なんで転ぶような奴が俺より上位なんだ!!」と怒りとやるせなさを感じていました。「まぁ一言で言うと子供でしたよね」。そう語るクラウンホルダー・中村さんのスキー観に迫ります。


 【クラウンホルダーにこんなこと聞きました!】

①クラウンプライズの合格証を見せてください!


②いまの年齢を教えてください。

→30歳
 

③お住まいはどちらですか?

→長野県
 

④初めてスキーしたのはいつですか?

→2歳ごろ
 

⑤スキーを本格的に始めたのはいつですか?

→小学4年生(10歳)。地元のスポーツ少年団に入りました。長野県長野市に実家があって、そこから1時間くらいでスキー場までいけるような環境でした。今はもう無くなった飯縄高原スキー場やごりん高原スキー場をベースに活動していました。クラブは長野市内の小4〜中2くらいの子供で構成されてて、それぞれ各自でスキー場までいったり、乗合でいったりそんな感じでした。
 

Q:長野県のクラブってやはりスキーのレベル高いんですか?

→そうですね。でも白馬村のクラブとかとはやはり別格だと思います。僕が所属していたクラブは言っても土日だけの活動なので、白馬中、山之内中あたりはもう本当に本格的というか化け物、あそこらへんはレベルが違いますよね。あのあたりは練習量も質もとてもじゃないけど敵わないです。
 

Q:スキークラブの活動はどんな風に行われていたんですか?

→戸隠や野沢温泉など、北信エリアで開催されるジャイアントスラローム(GS)の大会を目標にやってました。シーズンを通して大会の成績を競いあうみたいな感じで、FISみたいなイメージで。中2まで基礎ではなくアルペンでポールばっかりでした。当時はバッヂテストに年齢制限があって、中学にならないと2級を受けられなかったんです。団員は、中学に上がって2級に合格するのが通過儀礼、そんな感じでしたね。
 


⑥-1 SAJ2級とったのはいつですか?/どこで取りましたか?

→中学1年。飯綱高原か戸隠
"
-2 何回目のチャレンジですか?
→1回目
 

Q:スキー以外に他にスポーツはどんなことをされていましたか?

中学の時はバスケ部に所属していました。スポーツは全般的に好きだったんですが、友達がバスケやるって言うので「じゃあ、僕も」という感じのノリですね。ただ弱小の部活だったということもあって、スキーのクラブ活動の方が圧倒的にメインでしたね。
 

Q:高校でもスキーを続けられていたんですか?

→続けていましたが、この頃は少しスキー熱が冷めていましたね。というのも、僕が進学した高校はもともとスキー部があったのですが、僕が入学したころには廃部になっていたんですね。そこで、復活させようとしたんですが、顧問の先生がやる気がなくて、「もういいや」と思ってそれは諦めました。なので元々所属していたスポーツ少年団のOBとして10日くらい行って、たまに草大会に出るみたいなそんな感じで細々と。あとは土日はスキー以外にも友達とカラオケいったりとかそういう普通の高校生っぽい遊びを覚えたというのもありますね。
 

⑦-1 SAJ1級とったのはいつですか?/どこで取りましたか?

→高校1年。飯綱高原
 

-2 何回目のチャレンジですか?

→2回目か3回目
 

Q:大学に進まれてからのスキーへの関わり方はいかがでしたか?

→高校で一度熱が冷めたわけですが、新潟大学に進学して、基礎スキー部に入りました。それまでやっていたアルペンではなく、基礎にした理由は、新入生勧誘の時に、6人で一斉に滑る団体戦の映像を見て、「これ面白そう。やってみたい!」って思ったからですね。1級を持っていると言ったら凄く歓迎されましたよ(笑)。それと、父が昔、八方尾根でテクニカルを取ったと自慢していたので、テクニカルへの憧れもあって。それで、大学のうちにテクニカル・クラウンをとろうと思ったんです。

Q:入学時点での中村さんのスキーの実力は部内メンバーとの比較という意味ではどうでしたか?

→先輩も含めて上手い部類には入っていたかと思います。
 

Q:新潟大学のスキー部のレベルというのは全国的にはどんな感じなんでしょうか?

→信州大学、北大、小樽商科大学といった基礎スキーの強豪校があって、その次のグループに入る感じかなと思います。特に団体戦が強くて10位以内には常に入ってるかと思います。僕が入った時でいうと、3年生の代が凄く勢いがあって、大学対抗で総合優勝、1番上手い人とかは表彰台に乗っていました。
 

Q:大学時代のスキーの仲間で、大学からスキーを始めてそこから上手くなった人っていますか?

→います。1個上の先輩なんですが、始めたシーズンの新人戦で入賞していました。現在も富山県連に所属して、技術選にチャレンジしています。その方が上手くなったベースには、昔から体操をやってたと言っていたので、そこが関係しているのかと思います。それで体幹が鍛えられてたのかなと。とはいえ、1年でこんなに上手になれるんだ!?という驚きは当然ありました。
ただ考えてみれば、うちの大学のスキー部は冬になると、スキー場の宿やスクールに居候するので、1シーズン70日から100日滑る人もいるんです。それって普通のスキーヤーの少なくとも3〜4シーズン分に相当するわけで、そう考えると「ありえない話」ではないですよね。
 

Q:在学中にクラウンプライズを取得する人っていましたか?

→私が入った時は0でした。下の代にはテク二カルまで取った人が1人、テク持って入ってくる人が1
人いたかなと思います。1学年10~15人いる部でしたが、僕の知ってる世代だとそのくらいしかないですね。卒業してからチャレンジする人も少ないですね。ほとんどいないですね。
 

Q:大学までスキーを続けて、スキーが嫌いになったorやめようと思ったことはありますか?

→大学2年生の時に出場した岩岳学生大会(基礎の部)で本戦落ちして、決戦に進めなかったのは精神的にキツかったです。「1級も持ってないヤツが俺より上だなんてありえない。ジャッジは目が悪いのか、寝てたんじゃないか」って結果を受け入れることができませんでした。今から思うと「上手い滑りとは何か?!と向き合ってなかったかなと思うし「俺は上手い!」という思い上がりもあったんですよね。でもその時はそうは思えなかった。岩岳大会の決勝では得意のコブがあったんですが、僕はコブを滑ることなく終わってしまった。コブで転ぶ選手を見てて「なんで転ぶような奴が俺より上なんだよ!!」とそこでもまた怒りが収まりませんでした。まぁ、一言で言うと子供でしたよね。
 
大学3年になったら留学をしようと考えていて、そのシーズンは全力で臨んでいただけに、ショックでした。いまだにその時の滑りのビデオは見ていません。それでも悔しくて、5月くらいまで滑り込んでいたら、今度は腰を怪我してしまって…。「スキーは難しいな、嫌だな」ってはじめて思いました。留学と怪我を口実に、2シーズンはまともに滑りませんでした。たくさんの人に迷惑をかけてしまいました。
 


Q:就職活動ではスキーのことは考えましたか?

→就職は新潟でしましたが、スキーの優先順位が高かったわけではないんです。ただ就活ではスキーの事は結構話しましたが(笑)。好きな趣味として続けていきたいなとは思っていました。なので、1年目から冬の休みになればスキーに行ってましたね。新聞社に入ったのですが、2年目まではシフト制の部署だったので、シーズンで30日くらいは行ってたかなと思います。直前2年は留学でスキーをしてなかったので、板を新調して、大学院に進学した大学スキー部の同期と一緒に滑りました。
 

⑧-1 テクニカルプライズとったのはいつですか?/どこで取りましたか?

→2022年2月。赤倉観光リゾート
 
-2 何回目のチャレンジですか?
→4回目
 

⑨-1 クラウンプライズとったのはいつですか?/どこで取りましたか?

→2023年2月。戸狩温泉
 
-2 何回目のチャレンジですか?
→2回目
 

Q:テクニカル、クラウンを取ったのは最近ですが、これは満を持しての受検だったんですか?

→受検をするきっかけがありました。2018年に新潟市から上越市に異動になってスキー場が近くにある環境になりました。ある時、妙高リージョンスポーツクラブ(MRSC)の取材をしました。その後、ゲレンデで代表の藤井守之さんと会って「一緒に滑ろうよ」と誘われました。
最初はクラブの練習にスポットでお邪魔させてもらったんですが、成り行きでクラブ員になっていました笑。そこからですね。もう一度スキーに熱が入ってきて、練習に打ち込むようになったのは。 

Q:妙高リージョンスポーツクラブに入ってみてどうでしたか?

→入った時は僕が一番下手くそでした。だって代表が国体のチャンピオンで技術選のトップ選手。現役バリバリのアルペンレーサーやデモもいるし、クラウンホルダーなんてごろごろいるんですから。その分たくさん刺激を受けましたよね。「みんなのように上手くなりたい」って。テクニカルに受かった時は、祝福されましたが、「まだ持ってなかったんだ」って冗談まじりで言われましたよ笑。それでまた、モチベーションが上がりました。

⑩スキーの年間滑走日数は何日ですか?

→今は30〜40日くらいで、大学時代は留学時期を除けば50~70日くらいです。留学は北京に行ったんですが、スキーは1、2回程度しか行ってないです。
 

⑪ホームゲレンデはありますか?/どこのスキー場ですか?

→入っているチームが戸隠と赤倉をベースに練習しています。
 

⑫スキーにはどうやって行きますか?車/電車/バス?

→車
 

⑬スキーの定宿はありますか?

→ありません。基本的には長野市内の実家から通っています。
 

⑭スキーは普段は誰と行きますか?

→クラブのメンバーや大学時代の仲間、会社の同僚など。あとは父がついてきたりとかですね。
 

Q:往年のテクニカルホルダーのお父様の滑りは中村さんから見てどう見えるんですか?

→乗ってる位置が良くて、上手いなと思います。ちょっと練習すれば、またすぐに、テクニカルは取れると思いますね。でも今はそれ以上に、ゴルフに夢中だし、腰とか膝をケガするのが怖いみたいなので、もうそんなに練習しないと思います笑。
 

Q:ちなみに交際相手にスキー経験は求めますか?

→全く求めません(笑)。趣味が違ってもどこか共通点があれば付き合えると思いますし、逆に趣味が同じだと意見が衝突しちゃうと思うんですよね。というのも僕は一つのことに集中しちゃうタイプだし、極めたくなっちゃうんですね。留学で中国語をマスターしたこともそうなんですけど、スキーのテククラも同じで、他人を置いてきぼりにしちゃうきらいがある。
 

⑮クラブやサークルには入っていますか?

→妙高リージョンスポーツクラブ(MRSC)に入っています。MRSCクラブ員はテクニカル、クラウンホルダーだけでなく、全日本選手やデモがいて、彼らに刺激を受けますし、一緒に練習しているうちに、自分自身も上手くなった実感があります。そんな中で、テクニカルに合格して、自信もついてきたので、クラウンにもチャレンジしてみよう!と思いました。
 

⑯スキーのレッスンは受けていますか?特定のコーチがいますか?

→クラブ代表の藤井守之さん(元ナショナルデモンストレーター)
 

⑰年間スキーに使うお金は?

→現在は30〜50万円程度だと思います。高校までは親が連れてってくれてたのでよく分からないですね。大学時代は50万円くらいですね。代々受け継がれている稼げるバイトみたいなのがあって、そこで働いてお金を得ていました。で、冬はスキー場に住み込みで教えながらで、道具は知り合いから安く譲ってもらって、それでも足が出る部分は多少親にだしてもらっていましたかね。
 

⑱スキーをするために仕事や家族の理解を得るように工夫していますか?

→家族は私がスキーをすることを支援してくれています。クラウン検定の日は、サポートに来ました。会社は2022年12月末で退職。縁あって、現在は菅平や志賀高原のスキースクールでお世話になっています。
 

⑲クラウン取ってから スキーへの取り組み方/楽しみ方は変わりましたか?

→取ってから日が浅いので、次の目標を決めかねているところです。ただ周りには国体(アルペン)や技術選のトップ選手がたくさんいます。その中で僕はまだまだ下手くそ。彼らのように上手になりたいという気持ちは変わりません。

 


Q:現在レジャースキーを楽しむことはありますか?
→僕自身がゲートトレーニングから不整地パウダーまで、なんでも楽しむレジャースキーヤーです笑。教わったり、教えたりしながら、いろんな人と滑るのが楽しいです。スキー仲間に恵まれています。
腰を痛めてから、スキーの後は温泉に入るようになり、温泉が好きになりました。普段行かない遠くのスキー場に行く時は、ご飯よりも温泉のリサーチを念入りにしています。
また写真(一眼レフ)が趣味で、クラブ員の練習や大会での写真を撮るのが、僕がスキーをする楽しみの一つです。温泉も好きです。
 
Q:素人の方とスキーに行くことはありますか?
→会社員だった頃は、土日になると先輩にスキー教えてよと言われてたのと、留学の時の先輩が来た時にスキー教えたりしてますね。
 
あとはスキースクールで子供に教えることもあります。教える時に意識していることは、相手によって教える技術は違うんですが、まずは自然の中でスキーをすることの楽しさを伝えようと思っていますね。
みんな「上手くなりたい」と思っているんですが、私はそれに対して「楽に滑れること、楽しんで滑ること、そしてかっこよく滑ろう」というのを意識して話しています。というのも僕が上手くなろうと思うのを意識しすぎていたなという反省があって。やっぱりスキーを楽しんでほしいと思ってるんですね、そうじゃないとレジャーの選択肢につながっていかないと思うので。出来ない人が前まで滑れなかった場所が滑れるようになるのってやっぱり楽しいと思います。

スキーを教えるメリットみたいなものでいうと、やっぱり教えた人が上手くなっていくのは教えてる側にとっても嬉しいのがまずありますね。自分の練習だけでは得られない楽しさですよね。あとは、スキーを教えてるといろんな癖が分かるんですね。それが意外と勉強にもなるんです。

Q:初めて一緒に滑られた方は中村さんの滑りを見て驚かれますか?
→会社の先輩には驚かれましたね。「お前、全然運動できなさそうなのに!」と(笑)あと、教え方上手いとは言われたことがあります。
 
Q:昔のスキー仲間でスキーをやめてしまった人はいますか?
→辞めてる人は多いですね。もちろん先輩や後輩の中には、全日本技術選に挑戦している人もいますが、やはり少数派ですね。
大学のスキーの同期とはコロナ禍以前は毎年5~6人で一泊二日のレジャースキー合宿をしていましたが、今は仕事に注力したり、結婚して子育てしたり、少しスキーと離れてしまっています。またみんなで集まりたいです。
 
Q:今後のスキーライフに向けた抱負などあれば教えて下さい!
→僕の場合はずっと大学までやってて、テククラもとりましたが、周りから人がどんどん減っていってて、やっぱり少し寂しいんですよね。今スキーをやってる人には是非続けてほしいなと思ってます。なので、僕は社会人でもスキーをこんなに続けられるんだぞ、と示していきたいですね。
実は新聞記者時代も、スキーを応援したいなとか、スキーに人が戻ってきてくれるといいなと思って、地域の人のスキーの記事を書き続けていたんです。
もしかしたら50年後スキーが出来なくなってるかもしれない、そうなってしまった時に、クラウンというライセンスを持っているということはある種の責任を背負ってるということかなと思ってて、技術の継承もそうだし、「スキーってこういうものだったんだよ」と語れる存在にならないといけないとか、そんなことを考えたりしていますね。
 
あとは写真を取るのが好きでして、スキーヤーの活動を広く発信できたらというのと、先ほどのスキー継承の一環として、スキーの写真をよく撮っていますね。


【スキークラウンホルダーのアンケート回答まとめ】※年齢は2023年1月時点

【スキークラウンホルダーのキャリアまとめ】

 【スキークラウンホルダーの話を聞いて…】

非常に穏やかにインタビューに応じられていた中村さんでしたが、大学2年時の岩岳学生大会での本線落ちの話に及ぶと悔しさを滲ませながら話されていたのがとても印象的でした。ご自身を「自分はとことん集中してしまうタイプ、極めたくなっちゃう」と分析されていることからも、当時は相当の練習量を積んで大会に臨まれていたんだろうなと感じました。

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