街歩き #015 | 神奈川県鎌倉市の旅
神奈川県鎌倉市
こんにちは。本日ご紹介する街は2022年11月12日に訪問した「神奈川県鎌倉市」です。
鎌倉駅からバスに乗って十二所へ。鎌倉時代には大江広元・梶原景時・上総広常など有力御家人が館を構えたエリアです。金沢街道は六浦湊からの物資が運ばれる物流ルートでもありました。
鎌倉4代将軍藤原頼経開基の明王院・鎌倉でありながら京都を感じることができる一条恵観山荘・足利家の菩提寺でもある鎌倉五山第五位の浄妙寺・鎌倉最古寺院の杉本寺・源頼朝創建の大寺院だった永福寺跡・"鎌倉殿の13人"主人公の北条義時法華堂跡・鎌倉国宝館と鎌倉歴史文化交流館で通年開催されていた北条氏展など…。
今回は十二所から鶴岡八幡宮方面に向けて「神奈川県鎌倉市」を歩きます。
明王院(真言宗泉涌寺派)
鎌倉駅から十二所方面にバスで10分。金沢街道から少し入った場所にあるお寺が明王院です。
1235年鎌倉4代将軍の藤原頼経開基。鎌倉将軍の発願で建立された鎌倉市内に現存する唯一の寺院です。幕府鬼門除けの祈願寺で五大明王が祀られています。
御本尊の不動明王坐像は国重文。石碑には運慶作と書かれていますが、肥後別当定慶の作とする説が有力です。
明王院は5年半ぶりの参拝。茅葺屋根の本堂が温かみを感じるお寺ですが、いつの間にか境内撮影禁止になっていますね。鎌倉は撮影禁止の寺社が増えてきて大変残念です。境外からのみ写真撮影しました。
4代将軍頼経は、”鎌倉殿”では終盤に三寅として少しだけ登場しましたね。印象に残っているのは、山寺宏一さん演じる慈円が義時・政子と対面し、三寅の出自を説明する場面。頼朝とつながる複雑な出自を早口で述べる場面はさすが山寺さん。圧巻でした。
大江広元邸址碑
明王院から歩いてすぐ。金沢街道の脇を流れる滑川沿いの普通の民家の脇に大江広元邸址碑があります。普通の住宅の前に碑が立っているだけですので、”鎌倉殿の13人”がなければ立ち寄ることのなかった場所です。
十二所は大江広元の他にも梶原景時や上総広常などの御家人が屋敷を構えていました。大江広元は "鎌倉殿" の中でも有能な文官として描かれてましたね。”鎌倉殿の13人”で大江広元を演じたのは栗原英雄さんでした。
一条恵観山荘
大江広元邸址から歩いて10分。金沢街道沿いにあるのが一条恵観山荘です。
国重文。1646年頃後陽成天皇の第九皇子である一条恵観が京都・西賀茂に別荘茶屋として建立。1959年鎌倉に移築。鎌倉にありながら美しい京風庭園が観賞できます。
入口には御幸門。天皇をお迎えするための御門を再現しています。
茅葺屋根の外観で田舎家風のつくりである一条恵観山荘。かつては京都西賀茂の里山に建つ一条家別邸の離れでした。
滑川も上手く景色に溶け込んでいますね。鎌倉岩の上をなめるように流れているので滑川になったのだとか。
茶席「時雨」には円窓があります。パンフレットにも円窓が使われていますね。
庭園の入り口にある蹲踞。蟹のオブジェの周りに色とりどりの紅葉が浮かべられていてオシャレです。
武家文化の鎌倉にあって京風の雅な空間が広がる一条恵観山荘。紅葉の季節にお薦めの場所です。
浄妙寺(臨済宗建長寺派)
一条恵観山荘から歩いて5分。鎌倉五山第五位である浄妙寺があります。
国史跡。1188年足利義兼開基・退耕行勇開山。足利義兼は源頼朝の忠臣。退耕行勇は頼朝政子夫妻・実朝らが帰依した高僧です。1257年頃足利貞氏中興開基。貞氏は足利尊氏の父親です。裏山のやぐらには尊氏の弟・足利直義の墓があります。
よく手入れされた美しい境内はさすが鎌倉五山。今でも広いお寺ですが、かつては七堂伽藍を有する今以上に大きなお寺だったそうです。
本堂に向かって左手にある喜泉堂。1991年に復興された茶席で枯山水を眺めながら抹茶をいただくことができます。
喜泉庵脇からガーデンテラスを眺めながら山道を登ったところにあるやぐらの中に足利直義の墓があります。大河ドラマ"太平記"で直義を演じたのは高嶋政伸さんでした。
境内墓地には足利尊氏の父・足利貞氏の墓があります。大河ドラマ"太平記"で貞氏を演じたのは緒形拳さんでした。
御朱印は入山時に御朱印帳をお預けし、拝観後に山門を出る際に頂くスタイルです。柔らかな字体で味わいのある御朱印ですね。
< 足利直義 >
1307年生。足利貞氏の三男で尊氏の弟。鎌倉幕府滅亡後、建武の新政における鎌倉将軍府の実質的な最高指導者でした。50年直義と高師直の対立から内紛に発展。師直一族を謀殺し、尊氏と争う観応の擾乱に。52年尊氏との戦いに敗れ、鎌倉浄妙寺境内の延福寺に幽閉直後に急死。毒殺の説もあります。
杉本寺(天台宗)
浄妙寺から徒歩10分。金沢街道沿いにあるお寺が杉本寺です。
734年光明皇后の発願により藤原房前と行基が創建。坂東33観音・鎌倉33観音の1番札所で鎌倉最古の寺院です。御本尊は734年行基菩薩御作、851年慈覚大師円仁御作、986年恵心僧都源信御作の三体の十一面観音様です。源頼朝寄進の運慶作十一面観音像と国重文の円仁作・源信作十一面観音像は本堂内で拝観することができます。
門前は金沢街道。礼を欠き、信心なくして馬で寺の前を通り過ぎる者は落馬するという言い伝えがありました。大覚禅師が祈願し自らの袈裟で行基菩薩御作の十一面観音像のお顔を覆ったところ落馬する者がなくなったものと伝わります。
山門は仁王門。仁王像は運慶作と伝わります。
苔むした石段が印象的ですね。通行禁止になっているので、ぐるりと回って本堂に向かいます。
本堂ではご婦人がお一人で寺務の全てを行っていらっしゃる中、御朱印を求める参拝者の行列ができていました。久々に御朱印待ちの行列を経験。
1337年の杉本城の戦い。南朝方の北畠顕家軍は東北での攻防戦を制し、朝夷奈切通から鎌倉に侵攻。北朝方の足利義詮の補佐役で実質的な軍事責任者であった斯波家長は杉本城で迎え撃ちますが、城兵ともども討死。本堂裏手には、家長とその家臣らを弔う供養塔があります。
永福寺跡
杉本寺から徒歩10分。鎌倉宮の裏手に永福寺跡があります。
国史跡。1192年源頼朝創建。源義経・藤原泰衡など奥州合戦の戦没者慰霊のため平泉の寺院を模して建立。1405年焼失後に廃絶。頼朝・頼家・実朝は幕府のサロンとして境内で華やかな行事を行っていました。
永福寺の伽藍の中心が二階堂。向かって左側に阿弥陀堂・右側に薬師堂を配置する大伽藍でした。二階堂にはご本尊として釈迦如来像が祀られていたものと推定されています。現在の当地地名も鎌倉市二階堂です。
二階堂・阿弥陀堂・薬師堂の3つの伽藍の前には浄土式庭園がありました。
永福寺跡のパンフレット。再現されたCG画像で当時の様子がイメージできますね。頼朝や政子も訪れた大寺院。広大な史跡公園敷地が寺院の大きさを感じさせます。
北条義時法華堂跡・三浦一族のやぐら
永福寺跡から鶴岡八幡宮方面に徒歩10分。北条義時法華堂は源頼朝法華堂に隣接する場所にあります。
国史跡。2005年の発掘調査で遺構発見。吾妻鏡の記載と一致したことから北条義時を祀った北条義時法華堂の跡であると推定されています。敷地の奥には1247年の宝治合戦で源頼朝法華堂にて自害した三浦泰村一族のやぐらがあります。
北条義時の墓と案内されているので五輪塔や墓石があるものと思われがちですが、当地にあったのは北条義時を祀った法華堂で墳墓堂になります。遺構が発掘されたのは2005年の発掘調査によるもので、比較的最近のことです。
北条義時法華堂跡の敷地の奥には1247年の宝治合戦で源頼朝法華堂にて自害した三浦泰村一族のやぐらがあります。泰村は三浦義村の子で烏帽子親であった北条泰時から”泰”の字を賜りました。宝治合戦により三浦氏は滅び、傍流の佐原氏の流れの盛時が三浦宗家を継承します。三浦盛時の母は矢部禅尼。矢部禅尼は北条泰時の前妻で”鎌倉殿”での役名は初でした。
大江広元の墓
1823年毛利斉熙造営。大江広元の四男・毛利季光が長州藩主毛利氏の祖という縁で造営。大江広元墓所の左側には毛利季光墓所。右側には1779年島津重豪造営の薩摩藩島津氏の祖・島津忠久の墓所があります。3つの墓所は北条義時法華堂跡の奥にあります。
大江広元・毛利季光・島津忠久の墓所は古墳時代の横穴墓を転用して、江戸時代に造営された近世墓です。
北条義時法華堂跡の奥にある石段を上ります。結構、急な石段です。
3つ並ぶ墓所もかつて訪れた時は、どれが誰の墓所だかわからない状況でしたが、今はきちんと大江広元墓と書かれていますね。花やお供物も多く置かれていますが、これも”鎌倉殿”効果ですね。
墓所の脇には亀をかたどった石碑があります。
鎌倉国宝館
大江広元の墓から徒歩10分。鎌倉国宝館は鶴岡八幡宮の境内にあります。
1928年開館。鎌倉社寺の文化財等の寄託を受け、保管・展示している博物館。鶴岡八幡宮境内にあります。23年の関東大震災で文化財が被害を受けたことを契機に、貴重な文化財の保護を目的に設立されました。鎌倉の国宝・国重文がずらりと揃った博物館です。
2022年は大河ドラマ”鎌倉殿の13人”に合わせて、通年で”北条氏展"が開催されていました。鎌倉歴史文化交流館との共同開催で大変力の入った企画展でした。
< 北条氏展Vol.4 北条義時の子どもたち 鎌倉時代を築いた一門 >
通年開催の北条氏展もいよいよ最終回。"鎌倉殿"後の世代の展示です。書画が多いこともあり、前回までの展示からは少しトーンダウン。それでも国宝・国重文の文化財展示は大変見ごたえがありました。
北条時頼は3代執権北条泰時の孫。父時氏は27歳で病死。4代執権の兄経時も23歳で病死したため、5代執権に就任します。1247年の宝治合戦において反得宗勢力であった三浦泰村一族を滅ぼします。1253年開基として建長寺を創建。1263年37歳で病死。建長寺の国重文・北条時頼坐像はリアルな表情がいいな。
他にも、時頼の子で8代執権北条時宗の書状など多くの国重文の文化財が展示。数多くの寺社から北条氏関連の文化財を一堂に集めた展覧会は大変貴重な機会で、大満足の企画展でした。
白旗神社
1200年北条政子又は源頼家創建。白旗大明神である源頼朝を祀る神社として創建されました。1885年に源実朝を祀る柳営社が合祀され、現在の御祭神は源頼朝と源実朝です。黒漆塗りの社殿が印象的ですね。扁額には”武衛殿”と書かれています。鶴岡八幡宮の境内社です。
白旗神社近くの流鏑馬馬場脇に植えられている実朝桜。2011年源実朝の首塚がある秦野市から移植された八重桜です。
< 源実朝 >
1192年生。源頼朝と北条政子の次男で幼名千幡。1203年兄頼家が出家追放の後、鎌倉幕府3代将軍に就任。実権は北条氏に掌握され、官位と京風文化に執心。19年鶴岡八幡宮での右大臣拝賀式典の帰りに甥の公暁により暗殺され、源氏将軍は3代で断絶します。実朝の和歌は金槐和歌集として編纂。
実朝は1216年陳和卿に唐船の建造を命じますが、完成した唐船は由比ヶ浜に浮かべることができませんでした。”鎌倉殿”でも描かれていましたね。
1219年鶴岡八幡宮での拝賀を終えた実朝は、石段を下る途中、甥にあたる八幡宮別当の公暁に襲われ殺害されます。
実朝暗殺については、公暁単独犯行説・三浦義村黒幕説・北条義時黒幕説など諸説ありますが、"鎌倉殿"では三浦義村が公暁を焚きつけ、北条義時は情報を入手していながら止めなかったというストーリーで描かれていました。
実朝の首は公暁により持ち去られ行方不明に。首がないまま亡骸は勝長寿院に葬られたと伝わります。鎌倉寿福寺には北条政子の墓とともに源実朝の墓とされる五輪塔があります。
秦野市にある源実朝公御首塚。三浦家家臣・武常晴が、見つけた実朝公の御首を当地の領主波多野氏を頼り、埋葬したものとの伝承。御首塚近くの金剛寺は実朝を供養するために建立されたものと伝わります。
北条時房邸跡
鶴岡八幡宮前から伸びる若宮大路と小町通りの間の路地にある北条時房邸跡。
鶴岡八幡宮に向かって若宮大路の左側には北条一門の屋敷が並び、右側には泰時の時代に移された幕府機能(宇都宮辻子幕府)がありました。北条時房は義時没後には連署として執権の泰時を支えていきます。大河ドラマ"鎌倉殿の13人"で時房を演じたのは瀬戸康史さんでした。”トキューサ”ですね。
鎌倉歴史文化交流館
北条時房邸跡から西へ進み、横須賀線の線路を越えると扇ガ谷。住宅地の中に鎌倉歴史文化交流館があります。
2017年開館。扇ガ谷の閑静な住宅地にある鎌倉歴史文化交流館。ここは無量寿院があった場所と伝わります。入口には畠山重忠が武蔵御嶽神社に奉納した赤絲威鎧の模写。鎌倉の歴史を学ぶのにお薦めの施設です。今年は北条氏展で何度も訪問しました。
< 北条氏展Vol.4 北条義時の子どもたち 中世都市鎌倉の黎明 >
鎌倉国宝館と共同で通年開催されていた"北条氏展"。こちらも今回が最終回。
義時の子どもたちの紹介パネルが大変わかりやすく、それぞれの系図がよく理解できました。泰時が得宗家・朝時は名越流・重時は極楽寺流・政村は政村流に分かれていきます。
北条朝時は義時の次男で、北条時政の名越亭を継承した名越流北条氏の祖。現在の材木座にあった弁谷の新善光寺は名越氏ゆかりの寺院。当地のやぐらから蔵骨器(骨壷)である白磁四耳壺がほぼ完全な形で発見されました。
鎌倉歴史文化館での北条氏展も、1年にわたり工夫を凝らした展示の数々で大満足の企画展でした。
小さな旅の終わりに
鎌倉駅からバスで十二社へ。明王院は鎌倉で唯一五大明王を祀るお寺。運慶作とも伝わる御本尊は国重文です。
一条恵観山荘は知る人ぞ知る鎌倉名所。繊細な紅葉が美しいですね。四季折々の風景が楽しめる庭園です。
浄妙寺といえば観応の擾乱の足利直義墓所。足利氏が居館を構えていたのも浄明寺周辺でした。お寺の名前は”浄妙寺”ですが、当地の地名は”浄明寺”です。
杉本寺の背後にあったとされる杉本城。築城主の杉本義宗は三浦義明の嫡男で三浦家の家督を継承。1164年に39歳で亡くなったため、三浦宗家は弟の三浦義澄が継ぎます。杉本義宗の子が和田義盛で、三浦義澄の子が三浦義村。従兄弟同士の関係ですが、1213年の和田合戦では義村が義盛を滅ぼすこととなります。
鎌倉時代の三大寺社である鶴岡八幡宮・勝長寿院・永福寺。現存しているのは鶴岡八幡宮のみです。勝長寿院跡は周辺の宅地化で残念ながら遺構はほとんど残っていませんが、永福寺跡は早くから国史跡として公有化を進めたおかげで発掘調査と整備事業が進められ、遺構や多くの出土品が発掘されました。
神奈川県立歴史博物館で開催されていた特別展 ” 永福寺と鎌倉御家人 ” 。鎌倉市訪問の前週11月5日に鑑賞してきました。
北条義時法華堂跡近くの案内板。大江広元・北条義時の名前も”鎌倉殿”のおかげで知名度が上がりましたね。
通年開催の北条氏展は素晴らしい企画展でした。北条氏と源氏三代将軍に関する文化財の数々を一堂に集めた展覧会で十分に堪能。300ページ以上にわたる図録もしっかり購入しましたよ。
鎌倉殿の13人が終わるとこの見慣れた幟もなくなってしまうんでしょうね。少し寂しいな。
"鎌倉殿"の主人公だった北条義時はいわばアンチヒーローでしたが、今は流行っているのが、Taylor Swift の ” Anti-Hero "。この曲を含む彼女の10枚目のアルバム " Midnights " はBillboard hot 100のTop10をこのアルバムの曲で独占するという記録を打ち立てました。
自分の内面を歌った曲で歌詞を見ると結構暗めですね。" I'll stare directly at the sun, but never in the mirror(私は太陽は直視するけれど、決して鏡は見ない)It must be exhausting always rooting for the anti-hero(アンチヒーローを応援するのはいつも疲弊するに違いないから)"。優等生な私とそうじゃない私。歌詞の意味を表現したMVはTaylor自身が監督しています。
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