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街歩き #023 | 神奈川県鎌倉市の旅

神奈川県鎌倉市


 こんにちは。本日ご紹介する街は2022年12月4日に訪問した「神奈川県鎌倉市」です。

 2022年放送の大河ドラマ”鎌倉殿の13人”。神奈川県内を中心に"鎌倉殿"ゆかりの地を数々巡ってきましたが、この日はドラマも終盤に近づき、いざ鎌倉市へ。

 ”悟りの窓”が人気の明月院・足利尊氏ゆかりの長寿寺・扇ガ谷と山ノ内を結ぶ国史跡の亀ヶ谷坂・不思議な十六の井を是非拝観してほしい海蔵寺・美しい伽藍が並ぶ水戸徳川家と英勝院ゆかりの英勝寺・北条政子と源実朝の供養塔がある寿福寺など…。

 今回は北鎌倉駅から鎌倉駅にかけて「神奈川県鎌倉市」を歩きます。

北鎌倉駅

明月院(臨済宗建長寺派)

明月院・悟りの窓

 国史跡。1160年山内首藤経俊が平治の乱で戦死した父・俊通の菩提供養のために明月庵を創建。1256年5代執権北条時頼が最明寺を建立。8代執権時宗が最明寺を前身とする禅興寺を再興。1380年上杉憲方が禅興寺を中興開基。禅興寺は関東十刹の第一位となり明月院は支院の首位に。1868年禅興寺廃寺。現在は明月院のみが残っています。

明月院・パンフレット
明月院・参道

 境内に入ってすぐ左手にあるのが5代執権・北条時頼の廟所。元々当地には時頼建立の最明寺という大寺院がありました。1256年時頼は執権職を辞し出家。”最明寺入道”と呼ばれ、当地で隠居生活を送っていました。

明月院・北条時頼廟所

 明月院といえば”悟りの窓”。紅葉の季節ということで朝一番からこの行列です。明月院はいつも人気の寺院ですね。

明月院・本堂

 本堂突き当たりの壁に円窓があり奥の庭園の景色が見えるようになっています。まさにピクチャーウィンドー。真正面からの撮影を狙うとどうしても行列ができてしまいますね。

明月院・悟りの窓

 悟りの窓を見学後はぐるりと回って本堂後庭園へ。普段は立ち入りできませんが、花菖蒲と紅葉の見頃のみ特別公開されています。

明月院・本堂後庭園 拝観券
明月院・本堂後庭園

 本堂の裏側から見た"悟りの窓"。セットの舞台裏を見てしまったような感じですが、この手作り感がまた味わい深いですね。

明月院・本堂後庭園
明月院・本堂後庭園

 普段非公開だけあって手入れの行き届いた庭園内。12月に入り日焼けしてしまっている部分もありましたが、まだまだ美しい紅葉が見られました。

明月院・本堂後庭園
明月院・本堂後庭園

 拝観者を迎えるにあたって色々と飾りつけが施されています。細やかな心遣いが嬉しいですね。参拝者を温かく迎える気持ちがよく伝わります。

明月院・本堂後庭園

 青・赤の衣装を見にまとったお地蔵様はそれぞれ青地蔵と赤地蔵。筆書きで詩的なお言葉が書かれた看板が建てられていますね。

明月院・本堂後庭園 青地蔵
明月院・本堂後庭園 赤地蔵

 庭園内には鎌倉十井の一つ”瓶の井”があります。現在も使用できる井戸としては数少なく貴重な存在なのだとか。
 鎌倉十井とは、江戸時代に水質があまりよくなかった鎌倉において、特に良質の水が湧いたと伝えられる十の井戸のことです。

明月院・本堂後庭園 瓶の井

 壁面に彫刻が施されている珍しいやぐら。1160年の平治の乱において京都で戦死した父・俊通の菩提供養のために山内首藤経俊が造営したものと伝わります。

 山内首藤経俊は”鎌倉殿の13人”にも登場しましたね。1180年の頼朝挙兵では乳母兄弟ということもあり参陣要請を受けましたが暴言を吐いた上で拒否。大庭景親率いる平家側に参陣した際に、放った矢が頼朝の兜に刺さったという記載が吾妻鏡の中にあります。ドラマでも忠実に描かれていました。

明月院・本堂後庭園 やぐら

 明月院境内にはうさぎ小屋があり、うさぎが飼われています。なぜ明月院でうさぎが飼われているのかといえば、寺名に”月”が入っているから。お月様にはうさぎがいるというわけです。

明月院・うさぎ小屋
明月院・うさぎ小屋
明月院・うさぎ看板

 出入口ではうさぎと亀が川のせせらぎを眺めています。亀の方はなんだか怪我をしているみたいですね。

明月院・うさぎとかめ
明月院・山門
明月院・御朱印

長寿寺(臨済宗建長寺派)

長寿寺・境内

 1336年足利尊氏開基。初代鎌倉公方・足利基氏が父・尊氏の菩提を弔うため七堂伽藍を揃えた堂宇を建立。裏山に尊氏のお墓があります。公開期間限定のお寺でこの日が秋の公開最終日。期間限定だからこそ美しさが維持できるのだと思います。年内最後の紅葉を満喫し大満足。

長寿寺・境内
長寿寺・パンフレット

 長寿寺は足利尊氏の鎌倉邸跡に創建された寺院。建長寺塔頭寺院であり諸山第一位。開基は足利尊氏で墓所も境内にある足利尊氏公ゆかりのお寺です。

長寿寺・看板

 御朱印帳をお預けし、お書き入れを待っている間に書院からの風景を眺めます。長寿寺境内の紅葉の風景は素敵ですね。心が落ち着きます。

長寿寺・書院
長寿寺・書院

 境内にある観音堂は、1920年に奈良・円成寺から多宝塔が移築されたものです。現在の本堂が建立される前はこちらが本堂だったそうです。

長寿寺・観音堂
長寿寺・観音堂

 境内奥のやぐらにある足利尊氏の墓所。尊氏の遺髪を埋葬したものと伝わります。

長寿寺・足利尊氏墓

 観音堂裏側から見た紅葉風景。よく手入れされた境内で美しいですね。期間限定の境内公開だからこそこの環境が維持されているのだと思います。

長寿寺・境内
長寿寺・境内
長寿寺・御朱印

亀ヶ谷坂

亀ヶ谷坂

 国史跡。扇ガ谷と山ノ内を結ぶ切通で鎌倉七切通の一つ。建長寺の奥にある回春院の大覚池にいたという大亀があまりに急坂で引き返したというのが"亀ヶ谷坂"の由来。1180年源頼朝が安房から鎌倉入りしたのもこの亀ヶ谷坂でした。

亀ヶ谷坂
亀ヶ谷坂

 他に比べると通りやすい切通で、今も生活道路として日常的に使われている国史跡です。

亀ヶ谷坂

 山ノ内地区と扇ガ谷地区を結ぶ亀ヶ谷坂。地名から当地に居住した山内上杉家と扇谷上杉家を思い浮かべてしまいます。足利尊氏の母は上杉家出身ということもあり、山内上杉家は関東管領として勢力を拡大しました。上杉謙信は山内上杉家第16代当主で、景勝は第17代当主です。

亀ヶ谷坂

海蔵寺(臨済宗建長寺派)

海蔵寺

 1253年藤原仲能創建。1333年鎌倉幕府滅亡時に焼失。94年扇谷上杉家当主・上杉氏定が中興開基。扇ガ谷の少し離れた場所にあることもあり久々の参拝です。

海蔵寺・パンフレット
海蔵寺・山門

 右手に見える本堂は1923年の関東大震災で倒壊した後、25年に再建されました。左手に見える仏堂は1776年に浄智寺から移築されたもので、薬師三尊像が安置されている薬師堂です。

海蔵寺・本堂と仏殿

 海蔵寺も紅葉が美しいですね。鐘楼の前の赤い紅葉が鎌倉らしい風景です。

海蔵寺・鐘楼

 境内をぐるりと回った裏手にある十六の井。鎌倉時代に作られた岩窟内の不思議な井戸です。

海蔵寺・十六の井

 洞窟の中央に石造の観音菩薩像。その下には弘法大師像が安置されています。井戸の水は金剛功徳水。16の穴は16の金剛菩薩(薩・王・愛・喜・寶・光・憧・笑・法・利・因・語・業・護・牙・拳)を表現したものと考えられています。

海蔵寺・十六の井

 山門をくぐった先にある底脱ノ井は鎌倉十井の一つ。安達泰盛の娘・千代能が詠んだ歌 ”千代能が いただく桶の 底ぬけて みづたまらねば 月もやどらず”はこの井戸の水を汲もうとした時に桶の底が抜け、その時に悟りが開けたという心境を詠んだ歌です。

 千代能は1285年の霜月騒動で滅ぼされた安達泰盛の娘。夫は金沢流北条氏の3代当主・北条顕時です。千代能と顕時の娘は足利貞氏に嫁ぎ、嫡男の高義(尊氏・直義の異母兄)を産んでいます。

海蔵寺・底脱ノ井
海蔵寺・御朱印

英勝寺(浄土宗)

英勝寺

 1636年英勝院尼開基・玉峯清因開山。水戸徳川家が太田道灌邸跡と伝わる場所に創建した鎌倉唯一の尼寺です。仏殿・山門・鐘楼・祠堂・祠堂門は全て国重文。鎌倉で江戸時代の由緒は珍しいですね。

太田道灌邸舊蹟碑

 入口の通用門は洋風の門構え。門の中央には徳川家の三つ葉葵紋と太田家の桔梗紋が合わさったデザインが施されていますね。入ってすぐの場所にある寺務所で拝観料を納め、境内に入ります。

英勝寺・山門

 英勝院は太田道灌の5代孫で徳川家康側室のお梶(お勝)の方。娘の市姫が4歳で亡くなった後は水戸徳川家の祖・頼房の養母に。1616年家康逝去後に出家し、英勝院と名を改めました。36年太田家ゆかりの地・扇ヶ谷に英勝寺を開基。仏殿が建立されました。42年没。

 他の鎌倉寺院の伽藍とは少し趣の異なる江戸様式の仏殿ですね。なかなか美しいフォルムでこちらの仏殿は見ていて飽きません。国の重要文化財に指定されています。

英勝寺・仏殿

 開山の玉峯清因は水戸頼房の娘・小良姫。1634年に英勝院の養女となり、翌年得度。36年に英勝院の開山住持となりますがこの時わずか8歳。95年に清山尼に住持を譲るまで、60年近く住持を務めました。

英勝寺・仏殿と山門

 山門は英勝院尼の一周忌の直前に高松藩主・松平頼重が建立。松平頼重は水戸光圀の兄に当たります。大きくて美しい形の山門は国重文です。境内のスペースの関係で正面から全体の写真が撮れなくて残念。それくらい立派な山門です。

英勝寺・山門

 山門の扁額は後水尾上皇の揮毫。レプリカのようですが山門の中心に収まっています。

英勝寺・山門

 境内の一段高いところに竹林と書院があります。落ち着いた雰囲気で侘び寂びを感じますね。四季折々の草花が楽しめますが、紅葉の時期もなかなか素晴らしい。

英勝寺・竹林と書院
英勝寺・書院
英勝寺

 やぐらの中に収まっている金毘羅宮。やぐらの中に祠が収まっているのも鎌倉らしい風景です。

英勝寺・金毘羅宮
英勝寺

 新編鎌倉志に描かれた英勝寺図を頂きました。図と照らし合わせると当時の境内の一部(東側)に今の横須賀線が通っていることがわかります。

英勝寺
英勝寺前・横須賀線
英勝寺・御朱印

寿福寺(臨済宗建長寺派)

寿福寺・総門

 鎌倉五山第三位。1200年北条政子開基・栄西開山。落馬で亡くなった夫・頼朝の菩提を弔うため源氏山のふもとに創建。境内裏に北条政子・源実朝母子の墓があります。観光寺院と一線を画しているお寺で境内も非公開。御朱印も現在休止中です。

寿福寺・総門

 総門をくぐった先は本堂に向かう参道。落ち着いた佇まいの風景がいいですね。紅葉も映えています。

寿福寺・参道

 参道の先に本堂がありますが、中門の先は非公開で入ることはできません。中門にて本堂に向けて参拝いたします。

寿福寺・本堂

 寿福寺は鎌倉観世音24番札所・鎌倉地蔵尊18番札所ですが、現在御朱印対応は休止されています。(かつては鎌倉13仏の4番札所でもありましたが、こちらは2023年5月15日に札所を返上されています)

寿福寺

 参拝日(2022年12月4日)の前週11月27日放送の”鎌倉殿の13人”は”八幡宮の階段”の回でした。源実朝が鶴岡八幡宮にて頼家の子・公暁に暗殺される場面が描かれていました。寿福寺の墓地には北条政子・源実朝の墓所があります。

寿福寺

 吾妻鏡には、北条政子と源実朝は勝長寿院に葬られたとの記載があります。こちらは供養塔であるか、廃寺になった勝長寿院から移されたものであると考えられています。

寿福寺・北条政子の墓(五輪塔)
寿福寺・源実朝の墓(五輪塔)

 大河ドラマで実朝暗殺の放送回直後ということもあり、墓参に見えられる方も多くいらっしゃいました。墓所ということで場所の案内が丁寧にされているわけではないので、供養塔がどこにあるのか迷われると思います。やぐらの中にある供養塔ということで、岩肌の方向に向かって進まれると見つけることができると思います。

寿福寺

 寿福寺境内へとつながる寿福寺トンネル。個人的には寿福寺参拝の隠れた名所だと思っています。岩肌をくり抜いて作られたトンネルでなんとも迫力があります。普段の生活道路としても使用されているトンネルです。

寿福寺・寿福寺トンネル

鎌倉小川軒

鎌倉小川軒

 1988年代官山の小川軒から独立し、89年鎌倉小川軒として開業。御成通りの鎌倉本店は初めての訪問です。期間限定で設置されている"鎌倉駅の13印"の"特別な13印"をゲットしました。家族へのお土産に購入した鎌倉銘菓"レーズンウィッチ"。相変わらず美味しいな。

鎌倉小川軒
鎌倉小川軒
鎌倉駅の13印プロジェクト

小さな旅の終わりに

長寿寺・観音堂

 北鎌倉へ。"悟りの窓"が有名な明月院。紅葉の時期ということで特別公開中だった本堂裏庭園。庭園のあちらこちらに手作りの案内板や装飾が施されていて、おもてなしの心を感じる温かいお寺でした。

明月院・本堂裏庭園

 足利尊氏ゆかりの長寿寺も紅葉が見事ですね。普段は非公開ですが、時期限定で公開されるお寺。時期限定だからこそこの景観が維持できるのだと思います。是非あらかじめ公開時期を確認の上、参拝いただきたい寺院です。

長寿寺・境内

 海蔵寺の山門脇にある底脱の井。安達泰盛の娘・千代能が詠んだ歌が井戸名の由来です。安達氏の祖は源頼朝の流人時代からの側近だった安達盛長。子の景盛は北条泰時の側近で娘(松下禅尼)を北条家に嫁がせ、その子の経時・時頼が執権になったことから安達氏は御家人の中でも勢力を強めました。

海蔵寺・底脱の井

 英勝寺の山門は関東大震災により一旦他の場所に移されていましたが、2011年現在地へ復元。2013年に国の重要文化財に指定されました。わりあい最近に復元されたためか他に比べて知名度は低いですが、この見事な山門は是非拝観していただきたいなと思います。

英勝寺・山門

 今、人気を集めている実力派カントリーシンガーの一人Luke Combs。”Fast Car"という曲がヒットしています。Tracy Chapmanが1988年に出した曲のカバー曲です。MVはOfficial Live Videoで臨場感たっぷりにステージで歌っています。

 " So I remember when we were driving, driving in your car(君の車で運転していた時のことを思い出すんだ)Speed so fast, I felt like I was drunk(ものすごいスピードで酔ったような感じだったね)City lights lay out before us and your arm felt nice wrapped around my shoulder(街の灯りが僕たちの前に広がり、僕の肩を包んだ君の腕が心地よかった)And I, I had a feeling that I belonged(で、僕はここにいていいんだと感じた)I, I had a feeling I could be someone, be someone, be someone(僕はきっと誰かに、誰かに、何者かになれるんだと感じたんだ)”。今いる世界を飛び出し新しい世界に向かう希望の歌です。


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