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【現役慶應vs2浪京大】どうなってもコンプレックスはなくならない

仮に京大を目指してもう1年仮面して成功した場合(京大だけ受けるとする)自分は選択肢として、現役慶應or2浪京大の2つがある。そこでタイトルにあるコンプレックスについて詳しく説明しようと思う。

現役慶應
→京大に行けなかったというコンプレックス

2浪京大
→2浪であるというコンプレックス

現役慶應に関してはすでに抱いていて、2浪京大は今の自分なら抱くといった感じだ。この1年で京医は間違いなく受からないので京大受けて受かるとしたら2浪というコンプレックスは抱くのだろう。

どちらにしろコンプレックスを抱くのならば、もう1年辛い思いをして受かるかもわからない先の見えない勉強をする意味はあるのか?ない気がしてきた。受かってもコンプレックスは無くならないんだろ?ほんとにない気がしてきた。

しかし、きっぱり受験をやめれるかって言われたら素直にやめれない自分もいる。少なくとも参考書はまだ捨てれない。決断っていうのは難しい。受験をやめれたら気持ちが楽になることはわかっているのに。

もし慶應に残るなら勉強に変わる熱中できるものを探さなくてはならない。見つからずにだらだら過ごすのならば仮面してまた勉強に打ち込むほうが自分のためにはなる気がする。

こうしてみるとほんとに大学受験で人生(少なくとも大学生活)狂った。中学受験はうまくいったのに。中学受験の成功体験を忘れられないのかもしれない。ああ、困ったもんだ。

今後の予定だが、院試にも備えて受験で足を引っ張った英語だけはしっかり勉強する。それで英語が伸びて京大受けて受かりそうなら(もちろん2浪なのだからオープン実戦両方A判定は必要だろう)京大をまた受けるっていうスタンスの方がもう1年歯を食いしばって実質宅浪するよりも自分は向いてるのかもしれない。1浪目は大学に行かなかったから勉強時間は確保できたがメンタル面でのケアが全くと言っていいほどできてなかった。

てことで、春学期はとりあえず大学生活を''始め"ようか。

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