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結局、新人賞が受賞できなかった人の話

■ 市川沙央さんの話に心を打たれました

 先日、『ハンチバック』で芥川賞を受賞した市川沙央さんは、重い障害を抱えながら20年、投稿生活を続けたそうです。『ハンチバック』は、それまでの書いてきた小説の作風を変え、純文学的なものに振り切って賞をつかまれました。

 世の中には、人知れず投稿生活を続けていらっしゃる方がいるんだなと改めて思いました。私も何を隠そう、なんだかんだと言って15年近く、小説の投稿を続けたかもしれません。でも、どれ一つとして引っ掛かることはありませんでした。『ハンチバック』のように真に切実なものは抱えていなかったかもしれないけれど、書くのをやめられなかったのは、社会人として生きてきて、やはり書くことでしか満たされない気持ちがどこかにあったのだと思います。

 ほかの趣味とは違って、小説を書くことはあまりに一人でいる時間を強います。小説を書きたい気持ちがある限り、何かほかのことを楽しんだり、時には家族を含めて誰かと長く時間を費やすことができず、人生は小さく狭いものに限定されてしまうものです。そのうえ、賞という形になって結果がでないと、周りにも何をしているのか分からないので、ただ一人でいるのが好きな不思議な雰囲気の人ということになってしまいます。

■ もう新人賞は、あきらめようと思った理由

 そのようにしか生きられなかったことに後悔はないのですが、もうすぐ50歳になってしまいます。よほどエンターテイメント性の高い賞でなければ、さすがにもう新人賞を受賞するのは難しいと感じるようになりました。さらに、決定的な自分の欠点として、僕は物語性の高い物語を作ることができない。面白い話を作ったり、物語の人物を生み出したりすることができない。

 小説に出てくる人物は、すべて自分のドッペルゲンガーで、その人物が味わう感情は、僕がかつてどこかで味わったものでしかない。突き放して言えば、ただ自分のことを知ってほしいだけでした。私小説的な作品は純文学の王道だけど、例えば太宰治のように自分に起きたことを起伏豊かに歌い上げることもできない。
 そもそも、大地主に生まれていないし、左翼運動も、男女の心中も、戦争も、情死も体験していない。豊かになった時代に生まれて、子どものころから本を読むのが好きで、奇跡が続くように、東京の大学に入って就職し、結婚して子供を育て、他人から見れば何一つ不自由のない生活を送っているのに、それでも誰も読まない小説を書き続けてきただけなのです。

 普段は仕事と子育てに忙殺されて、書く時間がなかったから、週末のあいている時間を、家族と過ごす時間をどこかから盗むようにして少しずつ書いてきました。だから、物理的に短編ばかりになってしまいますし、自分の資質としても短いものが向いているようです。(だから、頼みの綱の文学界新人賞の応募枚数が100枚から150枚に伸びたのは厳しかった。募集が半年に1度から1年に1度に減ってしまったことも)。

■ それでも、自分で何か書くのが好きなんです

 小説は書きながら、自分の心の動きを確かめたり、思いもかけない言葉を見つけたりする時間が一番楽しいから、書いてさえいればそれでいいといった考え方もあるはずです。僕も、自分の中の大半の部分ではそう思っています。決してただ、「作家」になりたいわけではない。けれど、どこかで自分の書いたものが読まれてみたいと思っている。そして、自分の人生の中で一冊くらい、自費出版ではなく本を出してみたい。だから自分を変えるために、新しいことを試してみようと思います。

 ネットに小説や読書エッセーなど文章を上げるのは、砂漠に砂をまくようなものだと思います。でも、もし一粒の砂を拾ってくれる人がいたら、どうかよろしくお願いします。

 努力はしているけれど、ワードの校閲チェックぐらいしか使っていないので誤字や脱字、事実誤認が多いのは許してください。そして、飽きっぽい性格なので、ある日突然、更新するのをやめると思います。


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