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6.治療が始まり、入院


初めてお世話になる病院に話を聞きに行った時の事から。

前回の話で伝えた病院は、
僕の病気が発症した年の春にできたばかりの
新設のがんセンター。

その時の僕は、見た目の体はいたって普通。
ただ体の中には癌細胞が広がってました。

今の症状から、今後どうやって治療をしていくかを
本当に詳しく丁寧に伝えてくださりました。

癌の知識なんてある訳もなく、
この日までに調べた事、読んだたくさんの本、
そんなコトを持ってても、
本当に未知の世界。

僕の場合の治療方法は、
免疫チェックポイント阻害薬
「キートルーダ」という薬剤。
5年前、まだ症例の少ない時だったと思います。

不思議なことに、
前述のがんセンターでは、
抗がん剤と癌細胞が小さくなった時に放射線の治療。
(転移してる癌細胞がある時に放射線をすると、100%死にます…と言われた。おぉ…こわ)

どちらが正しいなんて
知識のない僕には分からなかった。
最初に癌を発見してくださった病院も、
抗がん剤治療。でも、ここは根治する放射線ができない。
何がなにか分からない。
説明中も「はい…はい…」
そう返事するだけ。


病院の決定と治療の始まり


この話をすると、
えっ?と引かれる方もおられるかもしれませんが、
最終的に治療する病院を決めた理由は、
家から近いことと感じが良かったこと。
そして、
『 家からの方位 』を見てもらっての判断でした。


とりあえず、治る可能性を近づけてくれそうなものは、
思いつく限り試した。
そのうちの1つです。

方位をみてもらったのは、
治療に関してはもう先生にお任せする。

そして、あともう一歩の後押しが欲しかったから。
不安を拭い去る、ここに決める。
そんな思いもありました。

(ちなみになのですが、もう治療にあたられてるのにという方が体半だと思いますが、僕が見てもらったお寺では、
方位が悪い所には、お札を書いてもらえたりします。
気になる方は、されても良いんじゃないかと思います。)


その面談の際、
先生から緩和ケア・ホスピスの話しと延命治療の話し、
そして最後をどこで迎えたいですか?と。

治す事しか考えてなかった僕は、
この時、(あぁ、そんなことも気にしないといけないくらい、大変な状態なのかなぁ…)と漠然と思いました。

緩和病棟はいっぱいで、2ヶ月後に面接をして
入るかどうかを決めるとの事でした。

2ヶ月後の緩和ケアの予約をして、
化学療法センターの案内を受けて、
看護師さんからいろいろと説明を受けて
1回目の治療の日が決まりました。


ちょっと、時間は飛んで。

初めての化学療法の当日。
僕のした治療は、
当日に一人で行って一人で帰っても何の心配もない。
車で来て、車で帰っても大丈夫。
(なんか、そんなものなんだ…)
そう思ってました。

化学療法センターに入って、
30くらいの病床。ベッドとソファーと。

その日は半分くらいくらい埋まってたと思います。
不思議とみなさん笑顔でね。
みんな向き合ってるんだなぁ…。
そう感じました。

採血するくらいの感じで始まって、
あっという間に終わりました。

明るい太陽の日がたくさん入る、
優しい雰囲気のただよってる空間でした。


点滴を外してもらって、
たぶん「少し休んでから帰って下さい」
みたいな事を言われたと思います。

(終わった…)
体の中が何がどうなってるのかが分からない中で、

(帰ろうかな)と思った瞬間、
さーっと血の気が引くと言うか
強烈な目眩の感覚というか…


(これ、おさまるのか??)って
少し我慢したんですけど、
体がいう事を聞かなくなる感覚で
(だめだ、これ…)

ナースコールを押して、
「すみません、なんかおかしいです…」

申し訳ないくらいセンターの中は、
騒然とし出して、
その間も僕は体の中で起こってる事が飲み込めないし。
あっという間に、髪の毛は洗ったように汗で濡れてるし。



先生に連絡をとったり、血圧を測ったり、
点滴が始まったり。
何が起こってるのか、全くわからなかった。

結局、後日談になりますが、
点滴後に一気に血圧が下がったらしいです。

それが、どういう理由かすら聞けてもないんですけど。
まぁ、その時の気持ちはいっぱいいっぱいでした。



そんなちょっとしたバタバタがあったので、
僕の治療はこの1回で一旦終わることになりました。

(念の為と言って、がん細胞がなくなった半年後に再開するのですが、癌が無くなるまで1度きりの投薬になりました。
結局は、癌細胞が体から消えてから2年間は、キートルーダの免疫療法を続けました。なくなってるのに続けるのか…
でも、先生がしといた方がいいと言うもので…。)


入院

ちょっとしたバタバタ劇があったので、
(結構、先生はケロッとしてた。看護師さんに、びっくりしましたか?と聞いたら、びっくりしましたと言ってた)

2回目の投薬は、様子を見ることになりました。

体力の問題と免疫や抵抗力の関係からか、
また薬剤の特徴からなのか、
投薬後の後遺症は、ほぼ心配ないとは言われてたのですけどね。


前にも書きましたけど、
僕は美容師をしてて、
その1回目の投薬後、少し休んでから
そのまま店に行きました。
仕事するつもりでね。

お店は任せてたんですけど、
自分で仕事をするようになってから20年近く
休んだ事が無かったので、
こんな時ですら仕事に行ったという…。

でも、着いても今まで経験した事のないだるさと
体の重さで「ちょっと無理かなぁ、座ってていいかなぁ」
何もできなかったのを覚えています。

その次の日から2日ほど(はっきり覚えてないんですけど)
どうしても無理で起きれなくて、仕事を休みました。
妻は、普段疲れて休みたいなんて事を言った事が無いもんだから、よっぽどなんだな…と思ったと言ってました。


次の診察は、
3週間に1度の投薬の予定だった日。
その日までは、病院に行くこともないはずだった。



ここからは、また少し話が変わって、
その間に僕がした事の話。

前述した恩人の先生との学びはずっと続いてて、
ある日、学びの先生がLINEでこう言われました。

「癌患者さんの治療をされている気功の先生がおられます。
もし私を信じてもらえるなら、一度その方に診てもらいませんか?」

「その方は、現在、亡くなった逸見政孝さんが経験されたスキルス性の胃癌と同じ症状を持つ女性の治療をされてるそうです。
子供さんも小さく、なんとかならないかという相談を受けて、治療をされてる。結果もいただいたので見てみて下さい」

気功って、僕の中では触れずに人を倒す…
そんなくらいイメージで、
気功が体に及ぼす影響など考えてもみなかった。

西洋の医学をしてもらってて、
東洋の医学をしてもらうこと。
抵抗はありました。
もちろん治療していただいてる先生に悪い。

ただ、気功自体が、治療といっても体を切ったり何かを飲んだりするものではないし、悪いものを取り去り免疫を上げるもの。
そんなイメージに変わったので、試してもらおう。
自分にできることは何でもする。

後でやらなかったという後悔が嫌いな性格でもあるので、
お願いする事にしました。


その時の僕の体は、甲状腺の腫れは全然引かず、
食事がまともに取れない状態。
仕事には復帰してたのですが、ほぼ気力で保ってた。

良くやってたな…と思います。我ながら(笑)


その間、お客様には一切知られてません。
僕は、この仕事もお客様に元気を与える仕事だと思ってて。
辛い顔やしんどいなんて事は、来てくださる方には関係ないですもんね。いつものテンション。いつもの対応。

ただ、体は悲鳴をあげてた。
今思えば、無茶ですね。


気功の治療院があるのが、神奈川県。
僕が住んでるのが関西。
真夏の凄い暑い日、新幹線で向かいました。

気功の事は、また詳しく書きます。
結果は、素晴らしく良かった。
(この先生に診ていただけたら、治るな…)
そう感じたくらいでした。たぶんこの先生は、普通と違う力をお持ちだったんでしょうね。実感です。

「このがん細胞君は、素直なので良いと思いますよ」
そうおっしゃってくださりました。

(余談なのですが、気功で抗がん剤の副作用はほぼなくなるとおっしゃっていました。もし、辛くてどうしょうもない方は一度、相談に行かれてもいいのかと思います。)

1ヶ月に2度、伺うことを約束して、
遠隔でも治療が出来るということでそれもお願いをして帰路につきました。
(その時は、遠隔って何??あやしくない?って思ってましたけど…)


帰り道に、行きと全然違う体調のよさ、体の軽さに驚きました。

ただこの後、僕はしてはいけない事をしてしまったんです。

気功で身体が楽になるかもしれないと
思った僕は、家の近くでも探したんです。

同じ治療の団体が、新大阪にある事を知って、
神奈川県でした治療の数日後に行ってしまった。
(癌は気功で治る。みたいな本も出しておられます。)

そこの治療が悪い訳ではないので、誤解されないでほしいのですが、僕には合わなかった。それだけだと思います。


当時僕の胆嚢が腫れ上がってて、
触ると痛いくらいだったんです。

その箇所を治療してる最中、
(神奈川の先生は体に全く触れる事なく
治療をしてくださってた)
ここの治療院では、
長時間体を押される感じで、
治療中ずっと痛くてたまらなかった。

その痛さが抜けないまま帰宅。
次の日のお昼近くまで起きれなかった。

体のしんどさも抜けず、横になっていると
どんどん体が辛くなってくる。
しまいには、水も飲めなくなってしまって。
これはダメだな…


「ごめん、ちょっと病院に電話してくれないかな。」

なんとか乗り切れないかなぁ…
そう思っても、無理でした。


そのまま、緊急入院。

胆嚢の何かの数値を測る値が、
基準数値より桁が2つほど多かったんです。

その日から、誰もが諦めかけてた生活が続きます。
でも、僕の気持ちは全然切れる事はなかった。


2022.11.9



(なかなか思い出しながら書いてるので、時間がかかって。
見てくださってる方の中には、早く結果をと思われてる方もおられると思いますが、どの部分が誰にどうプラスになるかわからないので、僕に起こったすべての事を書きたいと思ってます。是非少しづつでも読み進めてもらえる事を願います。)

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