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7.入院から退院


僕は人生で一番大切なのは、時間だと思ってて。

こうやって文章を呼んでもらう事は、
その人の時間をもらってると思ってて…

だから、嘘偽りなく全て書いてます。
少しでも気持ちが楽になって、家族との時間、自分との時間、何かをする時間を取り戻してもらう…そんなきっかけになってもらえたら…って思うんです。
おこがましくて、すみません。でもね、本気なんですよ…


緊急での入院。


妻に付き添ってもらって、
病院に向かいました。
3人の子供らは家に残して。

そのまま検査が始まって、前述したように
胆嚢の数値が異常なまで上がってた。
この時初めて、
心臓と肺に水が溜まってる事を知りました。
甲状腺が異常なまでに腫れ上がってて、
何も受け入れられない。水ですら、入っていかない。

(これは、後日談なのですが、
化学療法によって、体に広がった癌細胞に効きすぎて、
癌細胞がある臓器が熱を持ち水が溜まったのではないかと言ってた。今思えば、それが治っていく過程だったという事なのでしょうか?)


この段階では、もう体が動かなくて
意識は少し朦朧としてたのですが、
病院で先生に診てもらえてるという安心感がありました。

胆嚢が炎症を起こして腫れていた原因は、
心臓に水が溜まってるのが影響してると。

(今、ふと思ったのですが、
この時、妻はどんな気持ちだったんでしょうね。
明日、聞いてみよ。夜、病院について、検査が始まって、
現状と処置が決まるまでの間、何を思いどうしていたのかを考えると胸が痛みます。僕はそのまま入院。
妻は、夜中の2時か3時に帰ったと言ってました。
帰路もどんな気持ちだったんでしょうね。
当事者は、辛いのは当たり前。でも、周りの人の方が気持ちも大変。不安でいっぱい。この日から、妻はめっちゃ痩せましたもん。ご飯、食べれなかったらしいですし…)

そのまま、日が明けて
手術をする事になりました。


手術

手術は、心臓に溜まった水をカテーテルで抜くという事でした。本当に丁寧な説明をして頂きました。

外科手術の先生は、女医さんで
寄り添うような感じで話して下さりました。

手術自体は、難しいことはないらしく、
今でもわかる、肋骨の間に管を通した数ミリの跡があるくらい。お医者さんってすごいな。感動しきりです。


術後に先生が、
「何かあったら、必ず私が治します」
そう言って下さった。

たぶん、病院の先生が言ってはいけない言葉だと思うんです。たぶん言わない。でも、この言葉にもすごく勇気をもらった。(治らないと悲しませることになるな…)って。
感謝しかない。


ただ、この時の僕の症状は、
肺に水が溜まってる影響で、息ができなくて
どれほど吸っても酸素が入ってこないよぉ…という状態。

この時、看護師さんに言ってた言葉は、
「すみません…苦しいです。」って。


手術が始まるほんと少し前、
酸素マスクの酸素濃度かな?
それをみて、「えっ??」っていう声が聞こえたので、
マックスで開けて下さってたんでしょうね。すみません。


手術が終わった後は、そのままICUに。


その当日は、
この地区では、多大な被害がでた台風の日。
信号が止まり、各地で停電が起こり、交通機能が麻痺して
大変だったみたいでした。

ゴーっという風の音と、看護師さん達がバタバタとしてて、
でもなんか焦った雰囲気のないほんのちょっとワクワクしてるのかな?という感じの忙しさ。

看護さんに、「なんかあったんですか?」と聞いたら、
「台風が来てて、大変なんです!」って。
「看護師さん達、帰れないですねぇ…」って言ったら、
すっごい笑顔だった。

ICUに入った後、
少し時間が経った時に、
妻と母が看護師さんとベットのそばまで来た。
「子供達、つれてきていい?」って。


僕は、明日にでも連れてくるのかな?と思って、
少し目をつむってて、
起きたら妻と3人の子供が目の前にいた。


僕は、ベットが少し起き上がった状態になってて、
酸素マスクをしてる姿。


今でも、目を瞑ると子ども達の顔が浮かびます。
その光景が浮かびます。
笑顔と「来てたんだ、ありがとうなぁ」といった言葉で返したのを覚えています。それ以上の会話はしなかった。
子供も一言も発してなかった。びっくりの光景だったんでしょうね。
彼ら彼女は、今でもその光景は覚えてるんでしょうかね?
その時、そして今、どう思ってるんでしょうかね?


帰った後、妻が
「あやね(下の娘です)がね、
パパなら絶対治るわ…」とぼそっと言ってたって。
その言葉がどれだけ力付けてくれたか。


手術をしたこの日は、
僕にとって、よく言う「今日が山」と言う日だったらしい。



妻は、先生から「ご家族を呼んで下さい」と言われたって。
後日聞いたんですけど、妻と母は、二人で先生の前で泣いたと言ってた。
でも、僕の前では笑顔でいようね…って。


顔が笑ってたのを納得。心はどうだったんでしょうね。
それを思うと今でもぐっとくる。


ICUには、2日間いたんですけど、
意識が朦朧とした中、横になってる時に
僕の手を握って、
「もう大丈夫だからね。楽になるからね…」と
言って下さった方がおられました。


その手が、妙に暖かくて
観音様に握って頂いてるようで、
気持ちがスーッと楽になる感じ。
涙がでるくらい。


2日目の朝、
同じ方がまた、僕の手を握り締めてくれて、
「大丈夫だからね…」って。


後日、知ったのですが、
病院の院長先生でした。

(院長先生ともなると、あんなすごい力があるんだ…。)
本当に気分も体も楽になったのを覚えています。


ただ、男の人に手を握って欲しいなんて
思ってもみませんでしたけどね…。




ICUを出てからは、
看護師さんから
「ナースセンターの近くの方が安心でしょ」と言われ、
隣の赤十字マークの付いた個室に。

ずーっとひたすら寝てたのですが、
呼吸の苦しさと体のだるさはマックスだった。
痛くて寝れなくて、ただただぼーっと
看護師さん達が働いてる雰囲気を感じてた。
命に携わる仕事の素晴らしさを知りました。


今まであまり誰かに頼るという経験がなくて、
何にもできないもんだから、
(頼っていいんだ…)と思えると泣けてきた。
泣いてないですけどね笑


2日後、4人部屋に移動。
この時は、全く自分で歩く事ができず、
身体が動かない。足が上がらない。
呼吸の苦しさが抜けなくて、酸素マスクが外れなかった。


看護師さんからは、
「たぶん、お家に帰られても車椅子と酸素ボンベを付けたままの生活になると思います」と言われてた。


ただ、ここから
怒涛の回復。


2022.11.9


(なかなか思い出しながら書いてるので、時間がかかって。
見てくださってる方の中には、早く結果をと思われてる方もおられると思いますが、どの部分が誰にどうプラスになるかわからないので、僕に起こったすべての事を書きたいと思ってます。是非少しづつでも読み進めてもらえる事を願います。)





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