シュートを決めるより誇らしく思う息子の行動
あるとき息子の友達のお母さんから突然連絡が来たときがあった。
○○君のお母さん。
○○君とは中学校のサッカー部のライングループで繋がっていた。けど、直接本人を知っているわけではないし、もちろん○○君のお母さんなど話したことなかった私は「?」と思いつつも電話に出た。すると
「今日はうちの息子のせいで遅刻させてしまって申し訳ありませんでした。」
と言われた。息子からは何も聞いてないので私は訳が分からなかった。
そのお母さんの話によると、○○君が登校途中自転車のチェーンが外れてしまい、自転車に乗れなくなってしまった。
○○君が一人で直していると通りがかったうちの息子が止まってくれて一緒に直してくれたらしい。
なんとか直ったがそのために2人とも遅刻してしまったようだ。
「うちの子が言うんです。みんな知らんふりして通って行ったり、クラスの子が通ったとしても『大丈夫か?がんばれよ~』って言って通り過ぎていくだけなのに、めぐりさんの息子さんだけは止まってくれて、一緒に直してくれたらしいんです。それがすごく嬉しかったみたいで…。でもそのせいで遅刻になっちゃった、どうしようっていうからお母さんにお知らせしておかないとと思いまして…。
本当にすいません、ありがとうございました。」
「いえいえ、お役に立てたなら良かったですよ。わざわざありがとうございます。」
そう言って電話を切った。
すぐ息子に
「ねぇ、○○君って仲のいい友達なの?」
と聞くと
「え?別にそこまでは…。あんまり話したことないけど、でもサッカー部で一緒だし。何?いきなり。」
「今○○君のお母さんから聞いたんだけど、あんたさぁ、今朝、自転車直すの手伝って遅刻になったんだって?」
「あぁ、そのことか…。いーよ、別に遅刻くらい。」
私はこの連絡をもらって親としてとても嬉しかった。
コイツなかなかいいやつじゃん、そう思ったからだ。
中学生の私ならどうしただろう…、私はけっこう自分の得を考える人間だったしな。仲のいい子なら止まるけどそうじゃなかったら通り過ぎてたかもしれない。遅刻するのも嫌だし…。
(まぁ、昔は今と違って遅刻すると校庭を走るなんていうペナルティがあったからかもしれないが)
息子は何をするにもほとんど平均で人よりも特化した能力はあまりない。成績、スポーツ、体つき、芸術などなど。
けど、小さいころから人の気持ちに敏感だったり、弱っている人や小さい物に対して優しかった。
人の能力は全て数値化できるわけじゃない。
それは子供に限らずどんな人だって。
人の悪口言わない
物事に対して簡単に不平不満言わない
挨拶する時いつも笑顔
メンタル弱い時ねほりはほり聞かないでそっとしておいてくれる
細かいところまで掃除してくれる
自分で決めたことはやり遂げる
そういう小さなちょっとしたことが、その人のイメージを作り出し、この人いいなぁ、好きだなぁって思うきっかけになるのかもしれない。
数字には表れなくてもみんな優れたところを持っているんだなと思う。
今回息子が取った行動はシュートを決めるよりも、私はずっと誇らしく思った。
人は変わっていく生き物だが、息子にはその優しさをずっとずっと持っていてほしい。
「あんた、優しいね。○○君一緒に直してくれてすごく嬉しかったって言ってたよ。」
すると息子は
「そうかな?だって困ってたら誰かに助けてもらうと嬉しいじゃん。」
そう言って笑った。
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