見出し画像

我々は何を指して自由と呼んでいるのか

我々は負の歴史の悪用、アフリカンアメリカンに対する人類の罪の悪用をする事にした
アフリカンアメリカンは歴史的に二つの困難にさらされた
奴隷制による自由の制限、束縛だ
そして黒人差別
アフリカンアメリカン文脈以外でも自由は重要な概念だった

監獄がいいか自由がいいか?
封建制がいいか?自由がいいか?
自由がない社会がいいか?自由がある社会がいいか?

と極端な条件でイメージをさせれば誰もが自由が良いと言うに決まっている

こういった極端な例題で説得され騙す事が出来る
自由主義社会にもゲッベルスがいたと見るべきだな

自由はユダヤ人のホロコーストとも関係するし民主主義以前の封建制とも関連がある
彼らもガス室と言う監獄に入れられ自由を奪われ処刑された人々だった

自由がいいと人々に思わせる出来事の一つになった

では自由主義を推し進め自由に任せたらどうなった?
時と共に格差が開いた
途方もない程に開いた

上位2400人の富は下位40億人の富に匹敵すると言われている

貧困は世襲し金がある一部は自由を謳歌し、それ以外は名ばかりの自由があるだけの世界になった


自由は条件付きの自由でしかなく完全な自由を意味していなかった

金がある奴が搾取する自由があるなら金がない奴が金がある奴を襲い金を収奪する自由があってもいいはずだが、それは認めなかった

社会契約説ってやつだな

一部にとっての都合のいい自由に成り果てたわけだ


まず不自由を体験をさせたり不自由の歴史を見せたり
極端な不自由な状態をイメージさせ「ほら?自由がいいだろ?」と選択を迫る

自由が良いと言うに決まっている
おまえはペンギンで空を飛ぶ翼を持っていない
しかしそれに気付けない
空を飛ぶ自由を行使出来ないが空を飛ぶ自由が欲しいと思わされてしまうと言う心理トリックだ

結局自由を手に入れても自由を使いこなせない

健康、教養、知識、知性、IQやEQ。コミュ力、肩書、運動能力やセンスや金がないと自由など大した価値があるものではない事にいつまでも気付けない

サルトルも言っている
「人間は自由の罪に課せられている」と

健康、教養、知識、知性、IQやEQ。コミュ力、肩書、運動能力やセンスや金がないと選択すらままならず、結局、大抵の場面場面で消極的な選択をせざるを得ない状況になっているからやむを得ず状況に選ばされているだけに過ぎず自由など罰でしかないんだ

自由には責任も付きまとう
言論の自由一つとっても何を言っても許されるわけではない

低劣な発言をしたら批判をされたり名誉棄損や誹謗中傷、デマだと責められるように自由には責任がつきまとう

美味しい自由はないのに責任だけはある状態だ


でもおまえはペンギンなんだがペンギンだと言う事に気付いていない
飛んでみるまでペンギンだとわからず自分を時速389キロメートルで飛べるハヤブサだと勘違いしているペンギンなんだ

こうする事で飛んでみるまでわかんないが 「飛んでみようとしたら飛べずに不満を言う不満批判(最近流行りの批判の批判)をする状態が出来上がる」

批判は良くないと言いつつ批判している人間を批判しているという矛盾

しかし自分がペンギンである事に気付けないように
自分が矛盾している事にも気が付かない

気が付かせない
ジョージ・オーウェルの小説のように二重規範を矛盾だと思えないように訓練されている

自由主義は失敗する
公平性、公正性等何もなく
しかし公平性や公正性が存在しているように見せかけている

とにかく見せかける系が多い

皆ハヤブサになれる可能性があるのだと見せかけている

例えば
赤ちゃんをイメージさせ皆赤ちゃんからスタートするんだよ?
だからスタートラインは皆一緒なんだ!
と見せかけている

実際には赤ちゃんから成長した個人個人が一生懸命競争しているのではなく赤ちゃんの親 対 赤ちゃんの親と言う構図で競争している

そういう現実に近いイメージはさせない

現実から程遠いイメージをさせる事によって自由競争社会は成り立つ


とにかく仮想の前提、仮想世界、仮想の競争、仮想の自由を見せかけている


裏でお膳立てしている親に焦点は当てず赤ちゃんから成長した個人だけを切り抜き
焦点を当てる事で個人 対 個人が競争しているように見せかけている

おまえ如き雑魚が個人の力でハヤブサになれるはずもないのに個人の力でハヤブサになれると信じている
あるいは個人の力でハヤブサになったと信じている
実際ハヤブサになる為の努力をしたし

しかしそんな努力など0.001%以下の要素に過ぎない

稀に超強運で雑魚からハヤブサになれた稀有な例も有り
その極端な例を見せられハヤブサになれると残酷な夢を見る

強運=三連単の万馬券の十倍の十数万円かけて買った馬券が当たる以上の強運だ
三連単の万馬券の十倍の十数万円かけて買った馬券が当たる以上の強運を胎児になる瞬間に発生させなければならない


敗者や弱者に情をかけず、かけても最低限以下の情のみ
公正で公平な自由競争の結果、敗者になったんだからしょうがないよと

自由主義の失敗は敗者や弱者に深い情をかけていれば、勝敗など経済レベルの話でしかなかったが、生死や尊厳の話しにまでなってしまったんだ

仮定に仮定を重ねた上での仮想の自由
嘘に嘘を重ねた上での仮想の自由で君達の世界は成り立っているんだよ!

あれ?おかしい?口調が某べえになっちゃった・・

仮想の自由 偽の公平性、偽の公正性

本物の自由の話しと思い込み
本物の公平性、本物の公正性と思い込み
21世紀には自己責任だと言い出すやつまで現れ出した


おまえらは疑問を作る力が弱い上に世界を知らない、見ている世界が限られている
そんな公平性や公正性は嘘で塗り固められている世界の話しだと言う事は底辺を少し見てみれば簡単に気付ける事だが、見ようともしない


最初は個人や皆の為の自由だったはずだ

しかし自由主義を長々と続ける内に「搾取する自由」のような強者の強者による強者の為の自由の色合いが濃く強くなってゆく

そりゃそうだよな?
一度大金を手に入れたら
金で票も買えるし金で優秀な弁護士やロビイストも雇える
金で政治献金も出来るし裏金も配れる
金は金を産むし文化資本、知識資本、教養資本、金銭的的な資本、不動産や会社などの資産的資本、株的な資本、良い地域や都会に産まれた強運も世襲みたいなもんで、全てを世襲させ東京の有名塾は東大受験を攻略している

金で様々な体験をさせ、様々な体験を語る事でハーバード大学にも入学させる事も出来うるし、ハーバード大学は寄付で入学出来るシステムもあり高額な寄付で金持ちの子供を入学させ、地頭の良い人間と金持ちを引き合わせたり寄付金で研究のクオリティを保つシステムになっている

最高峰の大学とされるハーバード大学や米国の私大で地頭の良い人間と金持ちを出会わせ米国社会が良くなっているか?
米国の貧困にあえぐ人間に恩恵があるか?

ハーバードのような最高峰の私大で育てた人材が米国社会を良くしてくれているなら、このシステムは良いモノだという事が出来る

米国の貧困にあえぐ人間に恩恵があるならこのシステムは良いモノだという事が出来るが

見ろよ米国の惨状を・・・
人々は希望を無くし毎日のように銃乱射が起こり、親の世代より物価から差し引いた場合の収入は低く、親の世代より学歴が低い

年収や暴動やデモが2ー3年前は3カ月から半年続き、議会に侵入され革命みたいな状態にすらなった

有力大統領候補はトランプのようなヤベエやつや80歳以上のお爺ちゃんしかいない始末、トランプも80歳超えだ

年齢差別?
いや年齢による衰えの話だ
優生学的な生物的な話ではなく、単に生物的な老衰の話だ

バイデンも70歳前後までは米国の典型的インテリで知性知識教養IQが高そうな男で使えそうな男だったらしいが、今は・・


自由主義は時と共に自由でも何でもなくなる
むしろ逆に人から自由が無くなってゆく
自由主義に手を加えないと失敗する
失敗し封建制社会と似たような社会になってゆく
例えば実質階級制のような
世襲制社会がそもそも本質的には階級制のような社会だ

序盤、例えば1800年代等は皆貧乏スタートだから階級社会だと感じないが
中盤以降は資本の差がみるみる出て階級社会化してゆく

日本の場合は鎖国で遅れていたから1900年代だな
まあでも近代化はギリ1800年代か


では不自由がいいのか?
自由が政治的自由を意味しているとするなら
中国の場合は、政治的自由がない国だが、中国の中間層以上の自由度は日本をはるかに上回る程自由を謳歌している国だ
貧困層の自由度は似たようなもんだが

本質的な自由が中国にはある

政治的自由にこだわりすぎた
本質的自由にこだわるべきだった
しかし
本質的な自由は哲学領域の話であって
哲学途上国の日本には土台無理な深堀領域だった

まあ政治的自由も政治哲学領域の話しなんだけど

疑問を作り疑問を解決するという力に欠ける

教育はクイズ大会と化し、哲学的素養があまりに低すぎて
自由の毒には気付かず、自由の毒に敗けたマヌケな国だ

当然、不自由も良くないが
日本レベルの国場合、不自由と自由には大きな差がない

例えば
結婚の自由があっても結婚しないじゃないか?
出産の自由があっても出産しないじゃないか?

選択の自由だけがあっても
結婚できる自由があっても環境、金、魅力、幸せにする力などがないと結婚しない
出産の自由があっても環境、金、魅力、幸せにする力などがないと出産しない

まさにペンギンの自由でしかない

人間には結婚する自由があるんだから結婚しろよ
ペンギンには翼があって空を飛ぶ自由もあるんだから空を飛べよ
と言っているのと大差ない

実際、おまえらもっと子供産めよ
と言って出生率が高くなると思い込んでいる馬鹿な政治家が昔にいた
今は流石にいないがw


我々が欲しがっているのはそのような自由ではなく本質的な自由だったり我々を幸せにする自由の事なのだ

自由を手に入れれば幸せになれると信じ、騙された
国家規模の詐欺みたいなものだった

ならば是正したり修正したり訂正したり、暴れるなどして洗浄し
本質的な自由や我々を幸せにする自由にすればいいわけだが

この国は根本的に、それが出来ない

最近では「批判ばかりしている!」と言って「批判」し是正したり修正したり訂正したり洗浄・自浄しようとする者を邪魔するやつらが大量に湧いて出て来ている始末

もっと考えないとダメだぞ?
おまえらも批判ばかりしているぞ?

それに何のための批判かが大事だ

おまえらの批判は、この社会をより良くするために批判している人を批判する亡国的批判で

是正の為の批判、修正の為の批判、訂正の為の批判
洗浄や自浄の為の批判を邪魔している

高齢者か?ハラスメントはダメだと教わって育った子供も多いだろうが

高齢者も多いだろう

ネトウヨは大半が50歳以上らしいし
50歳は高齢者ではないが

今のサヨクはリベラルサヨクだが

大昔、高齢者が若い頃の左翼と言えば共産主義系左翼だった

大昔、高齢者が若い頃の産主義系左翼が「総括」と言って自己批判をしたり仲間を批判し、時にはリンチを加え、あるいはリンチ殺人を行い、逮捕されたり死刑にされたり国外逃亡した

いわゆる内ゲバだ

自己批判や是正の為の批判、修正の為の批判、訂正の為の批判
洗浄や自浄の為の批判を見ると、昔のバカサヨクの「総括」と言う名のリンチ殺人事件を思い出すんだろう

それとは別の文脈だ

批判を封じるなど、それこそ亡国への道だ

自由は絶対悪ではなく、むしろ自由についてもっと深く考えないことが問題なんだ
社会全体が自由をどう活かすか?
どのような条件下でなら自由は望ましいものとなり得るのか?
という視点が欠如している

自由とは何か?どのような自由が望ましいのか?といった基本的な問いに対する考察や議論が足りないことが、自由が悪用されてしまう要因となっている。
社会全体で自由に対する理解が深まれば、自由の悪用を防ぎつつ本質的な自由を尊重できるようになる。

自由に関する理解を深めるためには、考えるための下地や素養が必要だ。

社会全体で哲学的な素養や批判的思考、自由に関する社会学的素養が養われれば、自由がより建設的に活かされる可能性がある
これには教育制度の見直しや個々の能力や興味を引き出すための工夫が必要だ

また、自由について批判的な視点を持つ本や、肯定的でも否定的でもないようなバランスの取れた書籍を読むことも重要だ。
人は材料無しに思考は出来ない
異なる視点や意見に触れることで、より広い視野で自由について考えられるようになる。
決定的に哲学的素養があまりに足りなすぎる
これらの取り組みが、自由が社会にとって、より意味のあるものとなる為の養分になりえるのだ

別に共産主義になれとかそういう話ではない

反共カルトが流行っているから一応言っておくがw

この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?