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働き方改革は授業を変えているか。 授業づくりネットワーク

今回はこちらの本を読んで考えたことを。



個人的には石川晋先生と高橋尚幸先生のお話が好きです。
感想はさておき,「働き方改革は授業を変えているか。」

私個人的には,「間接的にはYes。直接的にはNo。」かなと思っています。


間接的にYes

余裕が生まれるわけなので,ゆったり教材研究をしたり,どこかの勉強会に参加したり,本を読んだり,いろいろできるわけですから,授業を変えるような気もします。

また,仕事で精神を削り切られないで生活することで,自分の脳が日常生活のうちでもいい情報をキャッチしてくれる可能性が出てくるかと思います。

旅行先でいい教材見つけちゃうような職業病の一種とも言いましょうか…


余裕が生まれることには全面的に賛成したいなと思っています。

直接的にはNo

こちらの方が意識的には大きいのですが,余裕が生まれたから授業をいいものにするために時間を使うかと言われればそうではないと思います。

働き方改革を進めている中ですが,進んだ分勉強会に参加したり,本を読んだり,何か発信したりしている人が身近で増えたかというと,あまりそのようには見えません。

わからないだけでこっそりしているのかもしれませんが,そんな恥ずかしがり屋さんはどんどん表に出てきてほしいものです。

働き方改革で生まれた余裕はどのように生かされるかは教員次第ですので,働き方改革自体が授業づくりに直接的な影響を与えているかと言われれば,Noかな~と思っています。

ではどうしましょう?

とりあえず個人的に意識したいのは,余裕には①時間的なものと②精神的なものがあり,混同して考えちゃだめだと思うのです。

①時間的な余裕
これはわかりやすく,定時退勤しましょうというやつですよね。
見た目でもわかりやすいですし,時間的な余裕はあるに越したことはないでしょう。
何か苦しくなってしまうくらいならいっそのこと帰っちゃいましょう!
きっとどうにかなりますよね。

②精神的な余裕
こちらは見えずらいでづらいですが,結構大事だと思います。
いい例ではないですけど,どんなに遅い時間まで働いても大丈夫なときって,「子どもたちのためになっている」「こんな実践をして,いい影響を与えたい」「今いる後輩にこれは伝えたい」みたいな,突き動かす何かがあって,それに下支えしてもらっている状態だと,さほど苦と感じないということがあげられます。
遅くまで働かずとも,自分の仕事がある一定レベルまで評価されたり,自分のつらさをわかってもらえるといった心理的な安心感もありますよね。
見た目だけでは判断しかねる精神的な余裕の存在も忘れてはならないですよね。


注意したいのは,この2つの側面が混同されて議論される中で,ちょっとバチバチした感じになるのはよくないよなあということです。

「とりあえず早く帰ろう!残業代なんてないに等しいんだから!」
「子どものためだからこのくらい時間を割いて当然だ!」
「なるべく時間はかけずに物事をこなした方が効率的だ!」
「泥臭くやらないとわからないこともある!」

どれが絶対に正しいなんて言うものではなく,時と場合によっていい見方は変わるのだから,その時々に自分はどうしたらいいのか判断したらいいですよね。

まわりの目とか気になっちゃいますけど,そこを貫けるだけの強さみたいなものは日々の積み重ねから獲得していくしかないのかもしれませんが,振り回されないように思考は張り巡らせていきたいですよね。

そしてできれば,すべての教員が自分に合った余裕を認め合いながら,子どもたちのより良い成長を願って生活できることがかなうといいなと思っています。

どうか皆さんも楽しい教員生活になりますように。



今回もお読みいただきありがとうございました。
誰かの「よりどころ」となりますように。

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