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手掛かりは 自分だけ という 調べもの

一瞥(いちべつ)

小さい頃は、痛そうな人を見て、よく泣いていた。どうしてこんなに泣くのか、何が嫌で泣くのか、分からなくて、大人を困らせた。

小学校低学年の頃、見た事を作文に書いたら、皆んなに嘘つきと言われ一人ぼっちになった。

一人ぼっちで下校すると、いつも以上に怖いものに遭遇するので、迂回するうちに道に迷ってしまう、わずか10分程度の帰り道に迷子になってしまうのだ。

6年生になったある日、図書委員なので、本の整理をしていた。

いつもの様に、とても混雑していたが、貸し出しに来る人も、返却に来る人も途絶えて、大勢いるのにシーンとしたこの風景が大好きで、膝の上に置いた本を読んでいた。先生が声をかけて来た、「おおい!もう7時だぞ、ちゃんと鍵かけて帰れよ!」ハッとして顔を上げると、入り口から覗くニコニコ顔の先生、それ以外は誰1人いない、先生にくっ付いて、慌てて学校を後にした。暗くなった道を独り歩きながら。そうか、私が変だったんだ。あれも、これも、友達が気が付かなかったんじゃ無くて、私が変だったんだ。悔しいのか、絶望したのか分からない、只々涙が止まらなくて、泣きながら歩いた。すると、いつもの十字路に、いつもの怪我をした集団がいた。それを見ると無性に腹が立った。嘘つきと言われるのが嫌で、見ない様にして来たが、怒りの感情が爆発して、一瞥し、凝視した。するとパッと消えて、飛び出し注意の看板だけになってしまった。

その日の夜から、自分を観察し、調べ始めた。 

私は、オカシイ、私の何が、変なのか、書き始めた。

毎晩、書いていると、押し入れの襖が、いつの間にか数ミリ開いている様な気がして、立って行って閉める。トン、微かな音がして閉まる。やはり、空いていたのだ。そうなると、周りの空間の密度がどんどん濃くなっていく気がして、怖くて仕方なくなるのだ。

つづく


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