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「あの家」[怪談]

私の実家の近所には、「近づいてはいけない家」がある。
子供の頃から、「あの家には行ってはいけない」と、両親や先生に口うるさく言われてきた。
ただ、子供にはそんな言葉は逆効果だ。行くなと言われれば、行きたくなる。私は、「あの家」に行きたくてしょうがなくなっていた。でも、結局行くことは無かった。
そもそも、「あの家」の場所を知らないからだ。
大人達からは、「あの家」がどこのどんな家なのか、教えてもらった憶えが無い。クラスの友人達も知らないようだった。あそこではないかと、友人達と目星をつけて近づいてみては、なんでも無い所だったりなんてしょっちゅうで。やがて中学、高校と進路も進み、「あの家」の事などすっかり忘れていた、大学一年の夏の事。
小学校の同窓会に参加した。懐かしい旧友達と話しているうちに、思い出すのは「あの家」の事。
何の気なしに、「あの家」とはいったい何処の事だったのかを皆に聞いてみた。皆は、「あぁ、そんな話もあったなぁ」と同じように忘れていたようで、いまだに見当もつかないという感じだった。ただ、話題にあがったからには、気になってしょうがない。出席していた当時の担任教師に聞いてみる事にした。ビールを片手にご機嫌な様子の担任は、懐かしむような調子で話してくれた。

「あの家」は、正確にいうと存在しない。皆の想像上に架空の家を創り出し、共有させる。その家を皆で忌み嫌わせる事で、厄を全てそこに向かわせる、という一種の厄祓いだったらしい。その地域独特の風習だそうだ。

子供の頃、皆で必死になって「あの家」を探していたのが恥ずかしくなる。まさか、そんな家、最初から無かったなんて。同じ事を思っていたのか、旧友達と顔を見合わせて、笑った。

以上が知人から聞いた、その地域でおこなわれていた風習の話です。
実は、その風習に関して、改めて調べてみたのですが、そんなものはどの史料にも記されていないんです。口頭でのみ伝承されているものである可能性もあり、知人の地元にて聴き込みもしたのですが、口を揃えて皆「知らない」「聞いた事がない」というばかりで。知人の通っていた小学校にも行ってみたのですが、風習だと説明した教師はすでに退職されているようでした。
掴みどころのない、なんだか変な話ですが、私には底が知れない悪意を感じてしまうのです。風習と偽って、何者かが、架空の家を人々に想像させる。やがてその想像は、数が増えるごとに現実へと侵蝕し始めて、「忌地」が出来上がる。実在は無い、けれども、皆の想像には存在している。例えば、その「風習」がプツリと途絶えたら、「忌地」は姿を消してしまう。ならば、そこに込められた厄はどこに向かうのか。
現在、その地域では原因不明の突然死が後を絶たないようなのです。話をしてくれた知人も、その親族も、もうこの世にはいません。

似たような風習が、地元でおこなわれている方がいらしたら、どうか気をつけて。
何者かの、実験の一環かもしれませんから。

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