9年前の自分からのメッセージを見つけた
昨日妻を美容院まで送り届け、終わるのを待っている間に何をみるでもなく、iPhoneをいじっていた。すると2015年1月に書いたメモをたまたま見つけた。本人は書いたことは全く覚えていない。
9年前の2015年の前の年、2014年の年末は公私共に本当にいろいろなことがあった。
まず、ナビに炎症性腸疾患の診断が下り、その後の1年間の闘病が始まったのが、11月だった。
そして、12月に入ると私が安全衛生部門の室長を務めていた勤務先で一酸化炭素ガス中毒という重大な災害が発生し、被災者は一命は取り留めたものの、長期間の後遺症に見舞われ、結局、障害者となってしまった。
年が明けると、施設で暮らしていた私の母親の容態が悪化し、火が消えるように1月の終わりに89歳でこの世を去った。
そのような状況の中で、ふと自分を見失いそうになった私が、書いたのだろう。
中でも勤務先でのガス中毒災害は、お客様の設備管理責任と被災した勤務先作業者の予防処置の点で、その原因の比重が非常にグレーな状況になっていた。
安全衛生部門の長としては公平な判断を下さないといけないのだが、被災者側が当然訴える設備の安全管理上の責任と、作業者それぞれが負う自らの身を守る責任をどのような形で原因として報告するかで大いに苦しんだ。
そしてこのメモを書いた時期はちょうど、災害の原因究明と対策に追われている最中だった。
今読み直すと、反対者を拒絶するような物言いで、決して正しい考え方とは言えないかもしれない。しかし、少なくとも「信念」を大切にしたいと言う気持ちは伝わってくる。
定年退職して1年になる。
家庭での生活にもすっかり慣れて、ともすると何も考えずに日々の過ぎていく時間の中に流されている自分がいる気がする。改めて、今自分が大切にしていること、目標としていることに「信念」をもって関わっていかないといけない。
追記:
実はこの記事は思うところあって、一度公開後に削除した。そして一晩考えて、一部修正したのちにもう一度公開することにした。大袈裟かもしれないが、自分を見失いそうになるってこういうことじゃないだろうか。