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妻の恐るべき洞察力にびっくり!

2023年の11月、図書館に予約していた東野圭吾の「ブラックショーマンと名もなき町の殺人」をやっと借りることができた。最初の印象は、いつもながらの彼の人物設定のうまさである。私は東野圭吾のファンというわけではないが、加賀恭一郎のファンである。そして、今回も神尾武史というヒーローが現れた。続編も刊行されており、加賀恭一郎、湯川学に次ぐ、新たなヒーローとなるのであろう。

ところで、今回は東野圭吾の読後感想ではない。

先述の「ブラックショーマンと名もなき町の殺人」を読み終えて、テーブルに置いておくと、妻が「ちょっと読ませてね」と数ページ読んだ。そして、しばらくして「犯人は〇〇じゃないの。なんとなくそんな気がするんだけど」と言ったのである。その通りなのだ。その〇〇が犯人なのである。

とりあえずその際は、「なんでそんな数ページでわかるねん。おかしいんちゃうか。」と反論(ごまか)したものの、内心ではとても驚いた。

その後、彼女はこの本を全て読み終えて、勝ち誇ったように「ほら、やっぱり!」と、私をとても上の方から見下ろしたのである。私は、「まぐれ当たりもあるもんやなぁ」と目を逸らした。

ところが、事件はこれだけではなかったのである。

それからしばらくして、同じく東野圭吾の「流星の絆」を読んだ。なかなかの長編で遅読の私は、読み終えるのに2週間以上かかった。

私がまだ読んでいる途中で、妻が「どれどれ」と数ページ読んで、「犯人はこの〇〇じゃないの」と、またしてもとんでもない事を言った。しかし今回は、誰がどう考えてもその段階でその〇〇を犯人だと考えるのは不自然だ。

「そんなアホな!」と一蹴した2週間後にクライマックスを迎えたある夜、なんと犯人はその〇〇だと言うことが判明したのだ。「信じられない。そんなはずがない。」とうわ言のようにくりかえす私の横で、妻が勝ち誇った表情で前回よりももっと上の方から私を見下ろしていた。

それ以来、彼女は自分の洞察力に自信をもってしまい、私は人を見る目があるとか、先を予見する力がある、などと一種宗教じみた発言をするようになってしまったのである。 (合掌)

妻の教えを乞う信者(笑)

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