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そういえば昨年の今頃は、スカッと身辺整理をしていたなぁ・・・スカッとぉ?!

もうすぐ定年退職してから一年になる。
昨年の今頃は、ただただ身の周りの不用品を「スカッと」処分することに時間を費やしていた。机の中にはそれなりの資料があったが、それらはどうでもいいものばかりだった。全てシュレッダーにかけることに迷いはなかった。

なぜにスカッと?! それは、私の過去の職歴に理由がある。

定年退職を迎えた会社には「正社員として」足掛け20年お世話になったのだが、その会社に勤める前は、「派遣社員として」15年間いろいろな会社で仕事をしてきた。

少なくとも個人的な経験ではあるが、派遣社員はいつ契約終了になるかわからない。そんな境遇の中、誰に教えられたわけでもなく心掛けていたのは、「いつ契約終了になってもいいような仕事のやりかた」だった。

派遣社員として新しい職場に行くと、「派遣さん」と呼ばれることもあった。最初の頃は「ちゃんと名前があんねん!名前で呼べよ!」と思っていた。しかし、その内に、「彼らにとって、俺はただの道具なんや。そこに人格を認めてないんや。それなら認めさせてやろう!」と思うようになった。

そのためには、成果を出さないといけない。派遣社員にとっての存在感は仕事の成果しかないのである。そして、当時の私に求められた成果はドキュメントだった。

その頃は工業用プログラムを作る仕事を担当しており、最初はプログラムが成果だと思っていた。ところが、実は成果はドキュメントだったのである。プログラム仕様書だったり、フローチャートが成果なのだ。

ベテラン社員に言われたことがある。「ドキュメント通りにプログラムを作ることはできて当たり前のことや。それは仕事やなくて作業や」と。

それ以来、とにかくドキュメントを作ることを成果とする習慣がついた。それは、プログラマーとしての仕事以外にも共通することである。ほとんどの仕事においてドキュメント、つまり「記録」は存在する。あるいは、あえて「記録」を残すことには価値がある。

そして、次に大切なことが、作ったドキュメントをわかりやすく残すことである。デジタルであろうとアナログであろうと整理整頓して残さないといけない。デジタルならフォルダ構成をわかりやすくして、データを整理して収めていく。アナログも同じである。

これを常に行なっていないといけない。

なぜなら、くどいようだが、いつ契約終了するかわからないからである。突然の契約終了でお客様にご迷惑をかけることは、絶対に許されない。

これが私の派遣社員としての矜持だった。

話は少しそれるが、派遣社員は「非正規雇用社員」と呼ばれ、まるで世間のはみ出しもののように言われている。しかし私に言わせると、彼らは会社に染まることなく、自分の価値観と自分の実力だけで世の中を渡り歩いている、現代の「侍」だと思っていたし、今もそう思っている。

多くの会社で仕事をすることで、人生を何倍も楽しむことができた。もちろん、苦しみもあったが、それも人生では重要なエピソードである。

そんなわけで、最後の職場ではなにを慌てることもなく、ただただ「スカッと」身辺整理をしていたわけである。

すでに、重要なデジタルデータはは全てサーバーの特定のフォルダに収納されていたし、アナログの資料はキャビネット内のファイルに収まっていたのである。

ここまで書いてふと思ったのだが、noteを書いている人は少なからず、ドキュメントにこだわる人なのだろう。それは自分の生きていた証をなんらかの形で残したい。そう、生きてきた成果として残したいと思う人だからではないだろうか。


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