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私は猫で会社をつぶしました

猫を眺めるたびに、昔、流行っていたCMを思い出します。昭和生まれの方はご存知でしょう。「私はこれで会社を辞めました」を。4年前、経営していた小さな会社を守るか、猫をとるかの崖っぷちに立ちました。自分としては順風満帆であった人生における、最後の二択。当時64歳。迷うことはなく30年経営した会社を捨て、猫を選ぶ。結果、自己破産への道を進む。運営していた保護猫カフェ閉店直後のことで、猫の数は180匹。どう考えても猫です。そこから5年が経過。猫の数は65匹となり、猫と共に静かに暮らしております。貧乏生活ですが、後悔はありません。飼育環境は、清潔かつ静か。健康を考えた食事を、きちんと調達できています。多分、うちの猫は幸せ。自信有ります。十数年後に最後の一匹を、きちんと看取ることができれば、私の人生も終わる。終わり良ければ全て良し。目標は85歳まで、元気で長生きすることです。できるかな。少し不安はあります。
 猫とは不思議な生き物です。猫に関する、ことわざは多く有りますが、「猫殺すと七代祟る」は本当。地域密着型の保護活動を20年、継続していたので、猫を虐めた人々の最期は時々、情報として入ってきます。詳細は書けませんが、それらを聞くたびに「天罰は下る!」の思いを込めた、ガッツポーズをします。もちろん心の中だけですが。地域猫活動は、理不尽の連続でした。最初、正義感の強い私は戦いましたが、途中で勝てないことを悟り、唱えた続けた言葉は「猫よ祟れ!化けて出ろ!一代でいいから!」  活動開始当初の目標は、猫界のマザーテレサと呼ばれることでしたが、藁人形を持ち歩く、怖い猫オバさんに私が化けました。当時の地域猫活動の認知度は低く、近所の方に正面切って言われました。「野良猫にご飯をあげるなんか、お馬鹿さんがやることよ」世間では、鎧を着て戦うマザーテレサは、お馬鹿さんにしか映らなかったのでしょう。最近、テレビCMで流れているキティちゃんの「ハロー!地域猫!」を見ては思います。時代は変わった。ひょっとしたら日本も動物愛護先進国になれるかもしれない。でも、私が生きてるうちは無理かな。


 祟る猫もいれば、恩返しする猫もいる。猫神様は存在する。これらは猫ボラ界では常識です。助けた可哀想な猫に愛情かけて、少しだけ手間暇かけてあげると、幸せな猫となる。この作業を繰り返すとですね、ボランティアの満足度を上げ活動のエネルギーを増やすのです。猫の人生を変えるのは、私しかいないと思い込む。とりあえず保護するかの連続となります。困ると救済もしてくれる猫の神様は、どんどんどんどん天使を送ってきます。寝る時間を削り、贅沢を忘れ、小さな命を救うことだけに集中する猫ボランティア達。私の周りには沢山いました。活動のノウハウを教えてくれた先輩達は、80歳を目処に引退。激務のため急死された方もいます。私は保護猫を抱え過ぎて、早目の引退となる。結果、命拾いの道を選んだ。私と同じく、保護猫の多頭飼育に陥ったボランティアさんは、全国各地にいます。その人数は計り知れない。たまにしか買えませんが、万が一、ジャンボ宝くじが当たった折には、困っている多頭飼育者の救済に奔走することが、私の人生の最後の夢です。猫の恩返しに期待する今日この頃です。


最後に、保護犬保護猫を家族に迎える事が、当たり前の社会となることを、心から祈っております。幸せな猫(犬)が1匹でも多く増えますように。


 


#うちの保護いぬ保護ねこ

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