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思い出してムカッ(# ゚Д゚)

今日のお題は「初めての仕事」について。


私の初めての仕事は、とある大きな古い企業の事務職。
仮にN響(えぬきょう)としておこう。笑

本店の受付業務ということで、早い話が外を向いて座っていることが、メインのお仕事のようなものだった。

いかにも昭和にありそうな、お客様を笑顔でお迎えして、客室へお通しして、🍵を汲んで出す、みたいな、本当にテレビドラマに出てくるような仕事だった。

結果から言うと、面白くないし、部長の愛人からの電話はかかってくるしで、1年で辞めちゃったけどね。😅


ここのお仕事は4月からの開始ではなく、確か3月の18日からスタート。
それでその入社式の前に、この辺りでは有名なお寺に泊りがけで研修もあり、とても厳しかった。

私の同級生達はみんなまだ仕事が始まっていなくて、卒業旅行でディズニーランドへ友達同士で行ったりしている最中、私はカキ(貝の)に中ってしまって、げっそりしているのに、この研修に参加。😓

お寺の精進料理を食べて、座禅組んで肩を叩かれたりと、無茶苦茶具合が悪かったのに必死に頑張ったのを覚えている。
さすがは昭和。
今だったら、こんな具合悪いのに参加なんて!となるのに…。

あの時、母から電話で休ませて欲しいと伝えてもらったのだけれど、逆になんとか出て欲しいと言われて、泣く泣く参加したんだよ。
何を勉強したか、内容は全く覚えていない。😹

それらの研修を終えて、配置発表になった時、一応「本店」だったのだから、頑張ったことが認められたのかもしれない。

その後、同期もいるのに、お昼ごはんの時のお味噌汁を作る係になって、毎日20人分くらいのお味噌汁、またはスープを作るのもお仕事のひとつになった。

私は元々料理は好きだったので、お味噌汁のバリエーションもそれなりにあったと思うし、時々は鯛のお頭とかでお吸い物を作ったり、シチューなども作ったりした。

シチューは若者には好評だったけれど、おじい様方には不評だった。
さすがは、N響。🤭


まだギリギリ昭和の時代なので…、最初のお給料が11万ちょっとくらいだったと思うんだよね。

その最初のお給料で、今はもうないこの辺りで一番美味しいと有名だった、洋菓子店のお菓子を買って、我が家とお隣さんと、同級生のお家と3軒に配った。

バイトはしたことはあったけれど、こうして本当にしっかり働いて得たお給料は、やはり重みが違った。


働き出してからたくさんの「」を色々経験したけれど、その夏、生まれて初めての「ボーナス」というものを貰った。

それで、お隣の同級生の子が、M越の宝飾店で働いていたので、母に何かプレゼントしてあげようと、相談してアクセサリーをいくつか持って来てもらった。

上司と一緒にわざわざ来てくれて、おススメのものを見せて貰った。
母の好きなものを選んで貰っているので、私はあまり見てなくて、隣の子=小学生からの幼馴染なんだけど、その子と母とで話して決めた。

ダイヤのネックレスで、確か元値は20万円近くだったと思う。
一緒に来た上司の方が(娘の初ボーナスでの母へのプレゼントということで)もうこれでもか、という程お値引きしてくれて、破格の11万円にしてくれた。

でもさ。私の初ボーナスは5万6千円なのに…?。😑

まだ働き出して3ヵ月程で、0.5カ月分しか出てないのに、普通その予算を大幅にオーバーしたものを買うかなぁ。😂

ビックリして、「ほんとにこれがいいの?」と、私は違う意味で聞いたのだけど、母てるみは「これがいいの!気に入った!」ととても嬉しそうだった。

はぁ、もちろん買ってあげたよ…。
オーバーした分はそれまでに貯金貯めてたから買ってあげられたけれど、おかげで自分のものは何も買えなかったけどね。😂
こういう全く遠慮しないところが、さすがてるみだけどね。😹


てるみは、本当にそのダイヤのネックレスが気に入ったようで、まるで親の仇のようにずーーーっと何十年も、今でも、大事につけてくれている。✨

ちゃんと、時々メンテナンスして磨いて、確かに大事にしてくれていて嬉しいし、もう充分元を取ったと思うけれど、未だにそのネックレスを見ると、たまに思い出してムカッとしてしまう、心の狭い私だった。












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