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京町家との格闘をお話ししてみなさんと一緒に考えます

その7京町家と地震・雷・火事・・・〔2〕(続き)

京町家と地震 前回の「勝てないまでも被害を減らす」で述べたように、軽くすること、強さの中心を平面の真ん中に、想定の揺れ方からそれる揺れ方の建物、を京町家は一通り満たしています。京町家の地震に対する備えや構えを材料、構造で見ていきます。

木材図

木材の性質 木は異方性があり、収縮し、材質にばらつきや欠陥があるといわれます。異方性とは均質でないということで、木目方向とそれと直角方向の強さが違うということです。収縮とは乾燥するときに縮むことで、木目方向はほとんど縮みませんが、そのほかの方向は縮みます。材質のばらつきとは節やアテといわれる強風で圧迫された部分や腐ったところがあるということです。それはその通りですが、木こり、木挽き、材木屋、大工がそれらを見込んで、数百年あるいは千数百年もつように造ってきたのですから、取りざたする必要はありません―もっともそのノウハウが生き続けることが必要ですが―。
木材は強い 比荷重強度という構造材料の強さの比較の仕方があります。同じ建築をつくるのにどれぐらいの重量の構造材が必要かで比較します。伝統木造軸組構法は㎡あたり250㎏ぐらいです。鉄骨造で1,000㎏ぐらい(基準の変更で増えつつありますが)、鉄筋コンクリートで2,500㎏ぐらい(これも鉄骨同様)ですから、構造材としての木材は鉄骨の4倍、コンクリートの10倍以上強いことになります。
木材は強さのバランスが良い 木は押える力(圧縮)に抵抗する強さと引っ張り(引張)に抵抗する強さのバランスのとれた材料です。鉄骨も塊ではそうですがそのまま使ったら重すぎるので薄くします。そうすると圧縮や引張を受けたときに捻じれ(座屈)たりちぎれたりします。それを防ぐ手立をとりますが、軽くすることと強度を確保することがなかなか難しい。コンクリートは圧縮には相当強いのですが、引っ張りはゼロと考えて良い材料でそれを鉄筋で補います。しかしコンクリートと鉄筋が一体(付着)し続けることが求められ、建ってる間や1回の地震でなんべんもゆすられるなかでコンクリートにひび割れが入るので付着を維持するのは困難です。。
 材料にかかる力は圧縮、引張の他に曲げる力(曲げ力)と切る力(剪断力・ハサミで切る力)が設定されますが、曲げも剪断も圧縮と引張の組み合わせです。すなわち一つの材料で圧縮と引張のバランスが良いということは、曲げにも剪断にも強いということになります。したがって木材は軽くて強い優れた材料ということになります。

町家の構造

京町家の構造的特徴
基 礎 ルイス・フロイスは「日本の家はだいぶん低い1階建て」、「それぞれの柱の下に一つの石を置く」〔※1〕といっていますが、ちょっと怪しいです。そのころの室町時代末から江戸時代初めの町家は掘っ立て柱の平屋が一般的だっただろうと思います。掘っ立ては原始的に見えますが、それなりに優れた構造で、柱の根を焼き(そうしたかは不明)砂利を埋めて水から守るようにすれば50年はもつと思いますし、木組み(柱と横材の仕口)もそれほど神経を使わなくてよかったと思います。しかし2階建てになるとそうはいかなくなります―1700年頃には基礎は石を置きその上に柱を立てる「石場建て(いしばだて)」に変わっています―。柱の根元が固定された状態で地震に振り回されると厄介です。建築基準法(建基法)の柱は基礎に緊結を要求し掘っ立て柱に近いですが、振り回されてももつようにするために、箱に穴をあけたような建築になってしまいました。
木組み 柱の足元が掘っ立てで固定されていたら、柱と梁などの横材との取り合いは多少動いても外れなければよいのですが(ピン接合)、足もとが石の上に柱を置くだけになるとそういう訳にはいきません。仕口はしっかりと止めてかつ直角を保てるようにしなければいけません(剛接合・ラーメン)。仕口がピン接合であるといわれたこともありますが、足元が自由端(ローラー)で仕口がピンなら建っていることもできません。今でもそれなら半剛接合だという見解もありますが、これでは地震はおろか大風で横から押されても倒れてしまいます。京町家の木組みは仕口が剛接合のラーメン構造としなければ説明がつきません。
蓮台でもたせる そして京町家の構造はちょっと独特で、柱と胴差(どうざし・壁(屋根)荷重を受ける梁)や2階床梁で組まれた蓮台(れんだい・人を載せて川を渡る担ぎ台)と呼ばれる架構だけでもたせる構造です。側壁(かわかべ・両隣に接する壁)や大黒通りの壁はミセ、ダイドコの開口部を除けば、2階床の位置にも桁(けた)のレベルにも梁はなく、柱を薄い貫で縫い合わせるだけです。足元に足固めもありませんし、民家にある差鴨居(さしがもい・2階床や小屋を支えるための梁を鴨居と兼用)もありません。但し表の軸組(柱と貫で構成)だけヒトミ梁(差鴨居のような梁)はありますが、構造的要請でなく納まり上です。また敷居や床框(とこがまち)の下だけに足固めが入りますが、これも敷居や框を止めるためだけです。隣家に接して軸組を立てる工法の「立て起こし」のためと、経験的に材料を極限にまで切詰めた結果です。正直どうしてこれでもつのかと思える構造です。
柱を守る 300年近くこれで持たせてきた実績に敬意を表して弁護すると、京町家は先に述べた木材の圧縮と引張の応力(おうりょく・外力に対抗する部材の力)を最大限に引き出すために、細い柱や横臥材(おうがざい・梁や胴差などの横材)で差し渡し(支点間)を出来るだけ長くして木材の曲げ応力に頼ります。細い柱で支点間が短いと剪断破壊を起こすので足固めや差鴨居は入れません。表の軸組の床框(ゆかがまち)の下は柱が短くなりますが、足元が固定されていないので剪断力はかかりません。またヒトミ梁の上の横材は胴差(どうざし・壁(屋根)荷重を受ける梁)がなく軒の桁なので短柱にはなりません。ちゃんと揺らされて起きる構造的損傷を巧みに避けています。建物の構造種別に関わらず柱で支えるシェルターとして絶対に守るべきだとされる、柱を壊さない(折らない)構造になっています。
耐震要素はない 京町家(伝統木造軸組構法)には建基法が義務付ける耐震要素はありません。建基法が耐震上一番重要だとして義務付ける耐力壁は京町家にはありません。耐震診断では京町家の壁量を算定して不足分の壁などを設けて補うようにしているのですが、耐力壁は柱と横臥材(土台や梁)の4辺で囲み、筋違や合板などの面材によって構成されるのですが、京町家の壁には土台や足固めも梁もなく、床下や天井内で木舞壁がそのまま止まっています。また桁行(間口)方向に壁はほとんどなく、階段や書院の窓がない場合に壁になりますが、上記の納まりですから耐力壁にはなりません。梁間(奥行)方向には側壁と大黒通りには壁がありますが、横臥材は一切ありません。足元は玉石基礎やカズラ石基礎(御影石の延べ石)に達することはありますが、エツリ(間渡し竹・力竹)は基礎につけると重たい壁がたわむ(拝む)ので1寸ぐらい離してあります。同じ大黒通りの開口部上部の壁は胴差に載っていますが、上は横臥材がなく棰で納まり上止める程度です。したがって京町家には耐力壁が全くありません(壁がまったく役立たないということではないですが)。すなわち京町家は地震に対して壁でもたそうとはしていないということです。
 水平構面(すいへいこうめん・床を変形しないようにすること)は柱や軸組(柱、間柱、貫などで構成)にかかった水平力を他の柱や軸組に伝え、一体的に水平力(地震や風が建物を押す力)に全体で対抗するためと、建物のねじれを止めるために建基法が義務付けているのですが、京町家は1階の床組みは前述したように土台もありませんし構造的に切り離されています。2階床はササラ(小梁・床梁)を間中(1間の半分・約1m)ごとに入れ、5分厚(15㎜弱)の床板を張りますが、床板は置くだけではギシギシなるので止めるだけです。そこに乗るのが怖いほどの状態ですし、そもそも側壁(かわかべ・両隣に接する壁)には梁がないので構面を構成することは不可能です。屋根面は棰の上に4分板(12㎜弱)の二五貫(7.5㎝)を木返し(板巾と同じ隙間)で張り、トントン(杮・こけら)を葺きその上に瓦を葺いてあり、横臥材は桁とモヤのみで、構面とはなりません。同様に建基法が要求する2階床や桁位置に設ける火打(ひうち)も梁や胴差に直行する横臥材がなく、桁に直行する梁もないので入れられません。すなわち京町家は捻じれを許容し、それぞれの軸組(柱と貫で構成)が一体で働くことを期待していない構造です。

地震対応

京町家の地震に対する備えと構え
軸 組 間口(桁行)方向は柱と2階床梁で構成されます。室側の側壁通りと大黒通り、大黒通りと側壁通り柱(トオリニワ)とを一本の梁でつなぎます。その他の開口や納まり上必要な柱は階ごとに入れる管柱(くだばしら・水平力を受けない)です。トオリニワでは側壁を止めるための側繋ぎ(かわつなぎ)梁を1間(約2m)ごとに入れます。
 奥行方向(梁間方向―梁は無いが)はミセとダイドコの開口部を除き間中(約1m)ごとに半柱(120×75程度)を立て並べます。梁がかかる蓮台の柱も半柱のこともありますが、できればここは正角(四角)がしっかりして良いです。開口部は胴差を入れその上に半柱を同様に並べます。柱は基礎石からまっすぐに伸び小屋組の桁、モヤ、棟木を支持し、梁などは入りません。
小屋組 室間口2間(約4m)までは真ん中に1本登り梁を入れ、桁と地棟(棟木の位置にそれと平行に入れる)に架けて、登梁の上に小屋束をモヤのピッチ約1mごとに立てます。小屋組の束、モヤ、棟木は今の木造に比べ細く丸太のことも多いです。
其の他 1階床組は先述しましたが、材料の荷重も人などの荷重も柱には伝わりません。2階床組はササラ(小梁、床梁)が1mごとに半柱と胴差および半柱間に架かり床板を張って畳を敷きます。1階と同じように家具などの物は置きません。木置きは薪や柴を置きますが、重いものではないです。基本的に重い物は土蔵に入れます。土蔵がない場合は長持や商品を厨子2階に置きますが、それほど重い物ではないです。屋根は先述しましたが棰の上に二五貫を入れトントンを葺き、土を瓦の谷部だけにおいて瓦を据える筋葺で、べた葺きに比べて軽いです。土壁は側柱に貫厚(5分・15㎜弱)の貫欠きをして貫(成3寸5分・105㎜弱)を釘止し、その内側に間渡し竹(エツリ)を竪横1尺強(約330㎜)に入れ木舞掻きをして荒壁をつけます。両側の側壁は立て起こしのため裏返しをしない(外側の荒壁を塗らない)ことも多く、壁厚は2寸弱(60㎜弱)です。豪雪地帯や伝統的に本葺き(寺の屋根)の地域は5寸柱(150㎜)に通し貫(柱の真ん中付近に柱を貫いて入れる)に入れ両側に荒壁をつけると厚さが110㎜程度になりますからその半分です。
荷重の流し方 以上みてきたように京町家は構造材の重さ(固定荷重)も物の重さ(積載荷重)も他の木造に比べ相対的に軽くなっています。また屋根荷重、2階床荷重、壁荷重は開口部の胴差部を除き、直接柱を介してまっすぐに地面に伝わるようになっていて、地震で揺らされたときに建物に残る荷重(残留荷重)が少なくなるようになり、地震時に建物にかかる力を減らします。
地震への対応・揺れ方、壊れ方 
直下型や準直下型のガタガタ地震では柱の足元がずれて建物に伝わる地震力を減らします。福井地震(1947)では初動で数十センチずれて揺り戻しで元に戻ったという、嘘のようなあり得る話があります。ドンドンが加わった場合は阪神淡路のときの北淡町や京都の樫原宿のように瓦がずり落ち(北淡町ではベタ葺き(全面に土を敷く)の瓦が崩れ土煙で窒息する被害もあったが)、天保のようなもっと大きな地震では土壁もふるい落とされて鳥籠のようになって、さらに建物荷重が減らされて地震力をしのぐのだと思います。もっとも濃尾では突上げられて地面にたたきつけられて一気に崩れ落ちたと思われる建物が見られます。また同じ地区で潰れたものと残ったものがあり、揺れる方向や桁行と梁間の向きでは説明しにくい状況があり判断が難しいです。同じ直下型の阪神淡路のときに長田区の被害調査に通いました。その3で神戸には伝統木造はなかったと述べましたが、戦後に伝統構法で建てた建物は残っていて、平屋建ての5軒長屋があって、桁行方向に30度ぐらい傾いて止まっている事例がありました。地棟がつながっていたおかげで倒れが止まったようです。濃尾や陸羽地震(明治29年)にもなんで倒れないのだろうと思うぐらい傾いているものがあり、伝統木造軸組構法の粘り腰は信頼してよいように思います。
 遠地型や準遠地型のユサユサ地震は伝統木造の固有周期の0.5秒と共振する揺れが起きやすいです。そのとき足元は動かずピン接合(離れないけど自由に動く)になり、左右前後に大きく揺れます。地震力は柱と梁、柱と貫などの接点の摩擦力や木材同士のめり込みで吸収します。寛文(1662年)のときにどんな構造の町家だったのか不明ですが―洛中洛外図では今に残る厨子2階のように見える―、1,000軒の町家が潰れ、死者200人というのはどうでしょう。少なめに見積もって1軒当り5人として5,000人とすれば4%です。他の96%には逃げる間があったのではないでしょうか。他の京都の歴史地震では町家の被害の報告は少ないです。それは潰れるほどには長く揺れなかったということだと思います。そして長く揺れたとしても仕口の枘が込み栓のところで割れるなどして、固有周期がさらに長くなって地震の周期とずれることでよれよれになりながら、地震力をかわしていくことになると思います。なお町家だけが立ち並んでいて、同じような揺れ方で衝突して潰れるようなことがなかったが、コンクリートなどの揺れ方が違う建物が挿入された場合にどんなことが起こるかという悩ましい問題があります。その場合町家がコンクリートに衝突して潰れるのか、コンクリートが想定以上の荷重を受けて潰れるのかわかりませんが、隣にコンクリートや今の木造が建つときには私の町家があなたの建物を壊すかもしれないから離して建てるようにとお願いしてください―木造であっても基礎を深く掘り下げて町家の支持地盤を壊すということがある―。

耐震補強をするとどうなるか 見てきたように京町家は地震力を足もとでずらしてスカすか、揺れて吸収するかの構造です。その中に強い壁を入れると京町家の構造が働くまでにその強い壁ががんばり、町家の固定荷重は荷物としてそこに襲いかかり強い壁を破壊し、結果一気に潰れてしまいます。

備えと信頼 以上みてきたように1,200年に一度の慶長伏見のような地震はおきないように祈るしかないですが―明日来るかもしれないので祈ってください―、2階に重い物を置かない―小屋裏物置などもってのほか―、柱の根腐れや傾きや不同沈下などの手入れを怠らない、雨漏りを放置しないなどの備えを心がけ、慌てずゆっくり逃げるようにすれば京町家(伝統木造)は命を守ってくれる頼りがいのあるシェルターだと思います。

※1.『ヨーロッパ文化と日本文化』ルイス・フロイス著 岡田章雄訳 岩波    
   文庫 2002年第20刷
掲載図版:『町家再生の技と知恵』から転載ないしは加筆修正転載及び新規
                   作成による

また長くなってしまいましたので次回に送ります。

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